KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN|京都国際舞台芸術祭

2016年10月22日-11月13日

About(開催にあたって)

ディレクターズノート

——彼女は彼らの句読点(パンクチュエーション)を引き受けるようになる。
これに奉仕しようと待ちかまえる。彼らのもの。句読点。
彼女は、彼女自身、境界点(デマーケーション)になるだろう。

(テレサ・ハッキョン・チャ『ディクテ』/池内靖子 訳)

KYOTO EXPERIMENTは7回目を迎えます。今年は特別に春と秋、2度開催することとなったため、ある種の連続性や対称性をもって浮かび上がる事柄を、観客のみなさんと共有する機会になればと考えています。
今回の公式プログラムで特徴的なのは、身体性が際立った春のプログラムと対照的に、演劇作品そして言語や境界といった世界を規定する枠組みについて考察する作品を数多く配置しているところです。第60回岸田國士戯曲賞を受賞したタニノクロウ率いる庭劇団ペニノ、「告白」をキーワードに映像インスタレーションを発表する小泉明郎、そして「沈黙劇」を確立した太田省吾の代表作『水の駅』を演出するインドの俊英シャンカル・ヴェンカテーシュワランは、独自の文体、あるいは語りの様式を提示します。

さらに、歴史を語る言葉、国籍など、現在の世界を区分けする様々な境界をめぐって考察する3つの作品が登場します。マレーシアを拠点にするマーク・テは、自国の現代史を取材し、歴史への複眼的な思考を促します。ウィーン在住の日本人作家松根充和は、国籍、民族とそのアイデンティティにまつわる、挑発的なパフォーマンス作品を発表します。歌舞伎を現代の視点からアプローチし、その潜在的な魅力を引き出してきた京都を拠点とする木ノ下歌舞伎は、忠義の物語として知られる『勧進帳』を、現代における境界の問題として読み直します。

春との連続性という点では、これまでにも強調してきた一過性で終わらせない国際恊働の流れがこの秋の開催においても引き継がれます。2014年の初来日時に大きな賞賛をもって日本のオーディエンスに迎えられた振付家ルイス・ガレーはふたたび日本に戻り、長期滞在を通じて日本の表現者たちと新作を立ち上げます。さらに春の公式プログラムでチリにおけるポスト植民地主義の問題を扱った『ZOO』(マヌエラ・インファンテ作)を、バンコク在住の演出家篠田千明が翻案、新演出で発表します。

また、デザインや建築にまつわるリサーチプロジェクト「researchlight」を引き続き実施します。今回は「対話/dialogue」をテーマとしながら、公共空間でのオープンな実験を展開し、物理的な祝祭の場ひいては芸術の場の拡張を目論みます。
その狙いの延長線上に、子どもが制作のプロセスや上演に関わってきた過去の取り組みの集大成として「こどもとおとなの演劇祭 プレイ!パーク」というもうひとつのフェスティバルをパラレルに展開します。その名の通り、子どもだけでなく、舞台芸術に馴染みのない大人にも体験してもらえるラインナップを揃え、芸術との出会いを拡げます。

拡がりという視点から常にKYOTO EXPERIMENTが意識していることに、芸術ジャンルの越境性というものがあります。今回、世界にインパクトを与え続けている2人のアーティスト、池田亮司とマーティン・クリードの多面的な活動を包括的に紹介し、表現のポテンシャルが様々なアウトプットに展開する姿を提示します。そして次の世代としてその表現を確立しつつある、アルゼンチンの舞台作家であり映画作家のフェデリコ・レオンは、2010年の来日以来2度目の登場。 その他、今回も多数の参加を得ることができた、フリンジ「オープンエントリー作品」を含め、祝祭としての場は充実の度合いを増していると自信を持って言えるでしょう。

ただ今回のプログラムに伏流する「境界」という言葉を思い出すとき、祝祭の場として安易に盛り上がるわけにはいかないとも考えています。というのも、この言葉が暗に意味していることが、我々が生きる現代の社会が分断を強めていることの顕われだと感じられるからです。20世紀末以降、グローバル化が進行し「ボーダレス」や「外部の消失」といった言葉が登場して久しいものの、実態としては欧米化が強化されたに過ぎず、その反動としてのさまざまな事態は、行動の自由や思考の自由からむしろ私たちを遠ざけ、より危機的なところまで進行していると言えるのではないでしょうか。他者との対話に困難を抱える地点から、他者の存在を感知出来ない不可能性の地点へと現代は進展しつつあるのだと。

その上でなお、芸術の存在意義を考えるならば、成立のプロセスにあると言いたいと思います。芸術は新たな価値を生み出す営みだと言えますが、それは個人的あるいは集合的な感覚が、コントロールを超えて反応を起こし、多様な展開を遂げたからだと言えるでしょう。だとすれば、そもそも芸術が成立するためのこうした予測不可能なプロセスを我々の社会が許容できるかどうかがまず重要だと考えます。

予測不可能なもの=他者を許容するためには、人々が未来=予測不可能なものに希望を持つことが必要だからです。そうした意味で、芸術は我々の社会にとっての試金石であり、励ましでもあるのだと思います。

KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMNは、現在の芸術状況とそれを取り巻く社会への危機意識を基底的な理解としつつ、しかし未来への希望を失うことなく、静かに可能性の扉を開き続ける営みとして開催することを宣言します。

2016年7月
KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター 橋本裕介とスタッフ一同

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