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京都国際舞台芸術祭 2017

FEATURES:Interview

対談 ハイナー・ゲッベルス×市川明【後編】

2017年5月24日、京都芸術劇場 春秋座にて、同日のレクチャーのために来日したハイナー・ゲッベルスと、市川明(大阪大学名誉教授、ドイツ文学・演劇研究者)による対談を行いました。

市川 『Black on White』という作品は、私の考えでは、Klang-Bild(音の図像)を生み出す芸術作品です。さまざまな視覚的、聴覚的魅力をたたえており、多様な連想や解釈に開かれた作品です。また「筋」に戻ってしまいますが、ここでは筋はどのように現れ、タイトルの「ブラック・オン・ホワイト」はどのような意味を持つのでしょうか? 月並みな質問かもしれませんが、多くの人たちが興味を持っている点だと思うので。

ゲッベルス そうですね、題名はもちろん影を暗示しています。ひとつの影は白の上の黒です。同時にエドガー・アラン・ポーの物語では、影は一種の文字であることを暗示しています。文字が壁のところで揺れ動いています。そしてドイツ語ではSchwarz auf Weiß(白の上の黒)その背後に何が隠されているか、みなわからないのです。文学はつねにひとつの謎、ひとつの秘密なのです。エドガー・アラン・ポーにおいて、こうした影は死者の声でもあるということは明らかです。そしてそれはハイナー・ミュラーにとっても永続的なテーマなのです。そしてタイトルについても?
筋について聞かれました。たくさんのテーマが存在していると私は思うのです。ひとつのテーマはエドガー・アラン・ポーの話です。もうひとつのテーマは不在です。それはすでに最初に音楽家たちが観客に背を向けて座っているときに始まっています。三つ目のテーマは、もちろんハイナー・ミュラーです。彼の声が再三再四聞こえるからです。そしてハイナー・ミュラーとともにエドガー・アラン・ポーや死者の声をいわば書き続けるこうした芸術概念です。四つ目のテーマは、おそらくこの作品における死です。私はテーマの束が存在すると思うのです。ひとつのテーマやひとつの筋ではなく、身体の筋、振り付けの筋、空間の筋、そして空間は変化する。テクストの筋、じっさいいくつもの筋が存在するのではないでしょうか?

市川 作品、あるいはパフォーマンスといったほうがいいのかもしれませんが、そこでは楽器が伝統的な仕方で演奏されるわけではありませんね。たとえば琴――伝統的な日本の楽器ですが。琴はどのように演奏されるのでしょうか? そしてそこで何が起こるのでしょうか?

ゲッベルス 琴は伝統的な仕方で演奏され、それから、それは不在というテーマに属するのですが、音楽家のひとりがひとつの機械を作ります。サイレンのついた。このサイレンはもともとは危険を表す楽器なのです。ウウー! そして糸と釘のついた。この機械が自動的に琴を演奏するのです。最後には琴を演奏する人は誰もおらず、機械が存在するだけです。ひとつの琴機械(マシーン)が。

市川 琴マシーン(ハムレットマシーンじゃなくて)、おもしろそうですね。10月の京都上演には絶対行きます。これは最初に聞いておくべきだったのですが、ハイナー・ミュラーとはどのようにして知り合いになられたのですか? 対談の中で少しはわかったのですが。

ゲッベルス 1980年です。

市川 ああ、そのころ私はベルリンにいました。

ゲッベルス でもハイナー・ミュラーはベルリンではなく、フランクフルトにいました。当時私はフランクフルト劇場の音楽監督として契約を結んでいました。私たちはハイナー・ミュラーのある作品の世界初演を準備していました。『グントリングの生涯。レッシングの眠り、夢、叫び』です。私はその音楽を作曲しました。そしてホルスト・ラウベがこの作品を演出しました。それからハイナー・ミュラーがやってきて、私たちとこの作品を読みました。話をし、論議しました。そしてそれは――私はハイナー・ミュラーを知りませんでした。彼の作品も――それはとても強烈な体験でした。

市川 当時、まだ社会学専攻の学生だったのですか?

ゲッベルス いいえ、そのころ私はちょうど音楽の国家試験を終えたばかりでしたが、フランクフルト劇場の音楽監督でした。そして私が演劇や演出に関して彼が言ったことのなかに、直感的な仕方で、非常に多くの共通性を感じ取っていました。俳優の声の音色のなかの不信、上演の際の不信、伝統的な演劇の演出法(演出家)、ならびに表現法に対する不信などなど。こうした点で共通する部分があったのです。ミュラーは伝統的演劇に抗い、その逆を示すことで光を放ってきたのです。
こうして私たちは知り合い、それから再三にわたってアヴィニョンやフィレンツェ、パリで会いました。ほかは思い出せませんが、ボーフムでも。それから私は1984年にミュラーに尋ねました。私のために『プロメテウスの解放』を朗読してくれないかと。それが私の放送劇のルーツになりました。それから『エレヴェーターの男』を作りました。その後ふたりで『南極のメイルストローム』を作りました。私は『荒廃した岸辺』をすでに作っていましたが、それに私はかかわりました。私は彼に『影』のテクストについて聞きました。それから『エレヴェーターの男』で、ずいぶん多くの上演を私たちはしました。そこで彼は舞台上に座って話しました。ニューヨークで。それから私たちは『プロメテウスの解放』で非常に多くの客演をしました。彼が死ぬ直前まで。

市川 ハイナー・ミュラーに最初に会ったとき、私は1979年ですが、当時彼は東ベルリンのパンコー区キッシンゲン広場の近くに住んでいました。彼が私に電話をしてきて、「アメリカの政治家のキッシンジャーは知っているか」と聞きました。「知っている」と答えると、それと同じ名前の広場だと教えてくれました。何度かお邪魔しましたが、その後彼はフリードリヒスフェルデの動物園の近くに引っ越しました。いつも思うのですが、『エレヴェーターの男』のアイディアは、このアパートのいつ下りてくるかもわからないような怪しげなエレヴェーターではないかなと。

ゲッベルス いや違います。また別の話です。ルーマニアでの話で、奥さんのギンカもいたと思います。どういうわけか彼はエレヴェーターの前で立ち。それから…一人の女性と、それから一人の男が彼に話しかけました、でも「それは男の妻」である、と。これは引用です。何が『エレヴェーターの男』で思い浮かぶのか。それはルーマニア、いや違う、ブルガリアで起こったエレヴェーターのドアのところでの男と女の話で…。

市川 そうなのですか。でもそろそろ終わりにしないといけませんので、小さな質問をします。『Black on White』のいくつかの劇評を読みました。「陽気なアナーキー」。2001年の劇評のタイトルはこうあります。ドイツやヨーロッパは現在、「陽気なアナーキー」へと滑り込んでいっているのでしょうか? それともむしろもっと陰鬱な音色をあなたは耳にしているのでしょうか?

ゲッベルス これは難しい質問です。あなたがいつの時点で私に質問したかということによります。目下のところ雰囲気は悪くなってきており、それならあなたのいうことは正しい。しかし私自身は、私はシュポンティ(非党派、自発行動派の左翼青年グループ)運動の出身です。1970年代にヨシュカ・フィッシャーやダニエル・コーン・ベンディートとともに――フランクフルトのシュポンティ運動について、あなたはご存知かどうか知りません――私は占拠した家に住んでいました。こうした風景に私は身を置いていたのです。それはひとつの態度であり、本来一度きりのもの、楽天的な態度なのです。この態度を私はすべての社会的変革に対してとり続けました。そこからこの種の概念が私に植え付けられたのです。最近ベンディートと一緒に朝食をとったのですが、彼のことをご存知かどうか知りませんが…。

市川 誰ですか、その人は?

ゲッベルス 彼は1968年にフランスにいて、赤のダニーと呼ばれ、フランスの学生運動の指導者でした。それから彼はフランクフルトに来て、そこでシュポンティ運動に積極的に参加し、後にブリュッセルのヨーロッパ議会の議員になりました。われわれはついこの間、一緒に朝食をとったときにそれについて語り合いました。私たちはふたりともまったく肯定的な歴史の観点、展望を持っているのですが、でも彼も最近の方向性、展開についてはショックを受けていました。エルドアン(トルコの大統領)について、トランプ(アメリカの大統領)について、ブレクジット(EUからのイギリス脱退)について。私たちはそうした展開を予期していないか、考えてもいませんでした。そこから危うい状況になって…。

市川 私もオプティミストですが、そんな私でも最近の日本の状況には不安を覚えます。私は長い間大学で教えてきました。またたくさんのドイツ語演劇を翻訳、上演し、ドラマトゥルクとしても活動しています。これは最近の『アルトゥロ・ウイ』の私の翻訳です。翻訳シリーズ20巻として順次刊行されています。こうした上演を通して作者もより近い存在になってきますし、作家が語っていることにも興味を覚えます。ヒャエル・エンデが生前嘆いていました。小学生でさえも「この作品のメッセージは何でしょうか?」と作家に聞く時代になったと。彼からすれば作品の世界を、自分の世界と比較しながらまず体験することが重要なのですが。
あなた自身も大学で教えられていますが、現代の若者に対するあなたの関係、立ち位置はどのようなものでしょうか? 今日の若者とあなたの青年時代を比較されることはありますか? どのようなことにお気づきでしょうか?

ゲッベルス 一般化することはしません。私は私の学科でもそうしたことに気をつけています。私はギーセン大学の応用演劇学科の研究室で働いていますが、同僚の中には、昔も今もレッテル貼りをする人はいます。「昔はこんな反応はしなかったのに」とか、「今の若者は…だ」とか、けっこう破滅的です。

市川 よく似た状況は日本にもあります。私も「昔はよかった」とか、「今の若者ときたら」とか、そうした「回顧主義」の人は嫌いです。

ゲッベルス そうなのです。決して以前はもっとよかったなんてことはないはずです。私たちはすばらしい学生を持っていて、彼らは大きな美学の振幅を広げ、彼ら独自の美学を探っています。私はこうした仕事に感嘆しています。明日の朝はもうドイツに帰って研究室で仕事をしています。仕事が私には楽しみだからです。若者たちは私たちの学生時代よりもずっと進んでいると思います・・・彼らは18,19、20歳くらいの学生ですが、ある政治的な、あるいは哲学的な問題でわれわれよりもはるかに優れている場合もあります。彼らがここ数年の間に成し遂げてきたことを私たちは目の当たりにしています。私はたいそう驚嘆しているのです。もちろん私たちが研究室で目にする一断面が一般的、典型的なものなのかどうかはわかりませんが。

市川 私もその意味では幸運に恵まれていて、若者と、学生と話をするのがとても楽しみです。私たちはこれからもずっと若いままでいなければいけませんね。最後にあなたの新しい計画、将来のプランについてお聞かせください。

ゲッベルス もっと大きな呼吸を持った作品をひとつ書きたいと思います。つまりヨーロッパに関する四時間か五時間かの・・・。

市川 何という題ですか?

ゲッベルス 題はまだつけていません。ジョン・ケージに関するものです。非常に複合的な展望を持っているために単純化することは不可能な、そんな本です。そのために少し時間が掛かるのですが、来年の終わりにはでき上がると思います。

市川 どうかあなたの仕事が大きな成功を収めますよう、そして仕事が大きな楽しみになりますようお祈りします。

ゲッベルス どうもありがとうございます。今日の対談はとても楽しかったです。

市川 私もです。こちらこそありがとうございました。

対談は京都造形芸術大学春秋座の楽屋で行われた。ゲッベルスさんは対談開始時刻の数分前に大急ぎでやってきた。何の打ち合わせもなく自然に対談は始まった。ハイナー・ミュラーなど、ルーツを同じくする者の友情からか、ドイツ語での対談という気安さからか、あっという間に話のギアは上がっていった。気がついてみると30分の予定の対談が1時間近くになってしまった。おかげでテープ起こしにも時間が掛かったが、興味深く対談を振り返ることができた。皆さんのお役に立てばうれしい。
文責:市川明

(対談 2017年5月24日、京都芸術劇場 春秋座にて)

対談の【前編】はこちら

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