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京都国際舞台芸術祭 2018

FEATURES:Essay

リレーコラム2018 #06
山田創平/新自由主義・ジェンダーの平等・セクシュアルマイノリティの政治

ブブ・ド・ラ・マドレーヌと山田創平によるインスタレーション『水図』(2013)より、コンセプトシート。
ブブ・ド・ラ・マドレーヌと山田創平によるインスタレーション『水図』(2013)より、コンセプトシート。

「女性」をめぐるリレーコラムの第六回は、芸術と地域との関係、マイノリティの権利、HIV/AIDSと社会との関係などを研究しておられる社会学者の山田創平さんです。

リレーコラムについて:
KYOTO EXPERIMENT 2018では女性アーティストおよび女性性をアイデンティティとするアーティスト/カンパニーにフォーカスを当てプログラムを構成しています。「女性」という言葉を前面に出すとき、私たちは日常の会話や慣習から感じるふとした違和感や、社会の制度、歴史的にみたジェンダーの問題まで、現代社会の一側面を切り取る様々な視点に気づきます。このリレーコラムでは、分野の異なる専門家によるコラムを紹介しながら、フェミニズムの問題を女性だけの問題にせず、社会全体の問題として捉え、観客のみなさんとプログラムのテーマへの理解を深めるとともに、学んでいきたいと考えています。(リレーコラムは2週間に1回更新予定です。)

ブブ・ド・ラ・マドレーヌと山田創平によるインスタレーション『水図』(2013)より、コンセプトシート。ドローイングはブブ・ド・ラ・マドレーヌ、テキスト翻訳は溝口彰子。

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新自由主義・ジェンダーの平等・セクシュアルマイノリティの政治

 

HIV/エイズ
私のもともとの専門はHIV感染対策です。90年代から様々なかたちでこの課題に関わってきました。HIVはエイズの原因となるウイルスの名前です。HIVが体の中で増えると、体の免疫機能が低下します。すると健康なときには特に問題のなかった身の回りに存在するカビや細菌といった微生物が体の中で増え、肺炎などの様々な症状が現れます。現在はウイルスの増殖を抑える薬が存在していますので、感染の事実を早く知り、早い段階で医療機関を訪れることで、大幅に余命を伸ばすことが可能になりました。HIV感染症はHIVが何らかの事情で体内に侵入することで起こります。HIVは体液の中でもとくに血液、精液、膣分泌液、母乳に多く含まれますので、これらの体液が直接粘膜に触れたり、血管の中に入ったりしないようにすることで感染を防ぐことができます。このような感染の仕組みをみる限り、感染の可能性は現在の世界を生きるすべてのひとに等しく存在するように思われます。しかし実際には地域によって感染する人々の属性には偏りがあるのです。

 

エイズと社会的排除
HIV感染症はアフリカでは女性の報告数が多く、東アジアでは男性の報告数が多くなっています。そして日本では感染報告の9割程度が男性で、そのほとんどが男性同性間の性的接触によるものです。エイズは「社会的脆弱性を突く疾病」と言われます。つまりその社会の中でとりわけ差別され、弱い立場にある人々の間で広がる感染症だということです。例えば、差別や社会的排除により、社会の中に「居場所がない」と感じている人がいるとします。今を生きることで精一杯のその人が、10年後、20年後の自らの健康のために「健康のための行動(例えばエイズであればコンドームの使用)」がとれるかといえば、できない人も少なくないかもしれない。HIV/エイズに関する日本の状況は日本社会での男性間性交渉者(MSM=Men who have Sex with Men)に対する差別や社会的排除の、ひとつの重要なあらわれなのです。

このような事情をふまえると行政などが展開する「コンドームを使いましょう」というキャンペーンは、HIV感染対策としては必ずしも十分ではないことがわかります。男性間性交渉者に対する差別や社会的排除を無くしてゆくことこそが重要なのです。しかし男性間性交渉者は実際のところ一枚岩ではありません。男性間性交渉者の中には、みずからゲイ、バイセクシュアルと名のる人もいますが、そうではない人もいます。公衆衛生の文脈ではひとまず「男性間性交渉者(MSM)」という「くくり」を用いますが、そこに含まれるひとの性別の自認も「男性」であるとは限りません。その意味で男性間性交渉者の内実は実際には非常に多様です。「ゲイ」「バイセクシュアル」「男性と性交渉を持ちながらも自らを異性愛者と思うひと」「トランスジェンダー」「性自認は男性だが異性装をするひと」など、そこには様々なひとびとが存在しています。それはひと言で言えば「出生時に医師などにより判断された性別が男性であり、現在、自らの性別自認が男性であり(つまりトランスジェンダーではないということ)、女性にのみ性的感情が向かうひと」つまり一般的に言うところの「異性愛男性」以外の「あらゆる人々である」と言えるかもしれません。それは「異性愛男性という中心」と「それ以外の人々という周縁」という中心と周縁の構造で捉えたほうが良いように思います。

 

中心と周縁
すでに多くの人々が指摘していることですが、現代の性別をめぐる諸制度(ジェンダー配置)や、同性愛差別の源には「近代」があります。近代は国民国家、資本主義によって支えられます。丁寧に説明すると長くなりますので、簡潔にお話することにしましょう。

産業革命の時代、蒸気機関の実用化により大きな機械を動かすことができるようになったことで、商品の生産現場は、それぞれの家から大きな工場へと移ることになりました。工場を所有する資本家と、工場に出勤して働く労働者という新しい階級構造の誕生です。工場で生産された商品を売ることで「売上」が生じます。その「売上」から原料費や光熱費など必要経費を除いた「利益」が100あったとしましょう。その時、その100を工場で働く5人の労働者で均等に分ければひとりの取り分は20になります。しかし資本主義社会では、まず75を資本家が取り、残りの25を5人の労働者で分けることになります。かつてカール・マルクスはこれを搾取と考えました。しかし資本主義社会ではこれを資本家による正当な取り分であると考えます。資本家はその75をもとに工場を拡張したり、新たな機械を導入したりと設備投資をすすめ、さらなる収益拡大を目指します。工場が2倍になれば資本家の取り分も2倍になるからです。そしてこのとき、工場で働く労働者の数も2倍になります。設備投資が進み、必要とされる労働者の数が増え(失業率の低下)、資本家の取り分も増えるこの状況を「好景気」と言います。またこのとき、同時にもうひとつの収益拡大策がとられることになります。「労働者の長時間労働」です。労働者に今までの2倍の時間働いてもらえば、資本家の取り分はさらに増えることになるからです。この時に発明された制度が近代家族です。

特に戦後の日本社会で顕著ですが、労働者としての夫を主婦である妻が支える家族形態(近代家族)が一般化します。妻の家事労働によって夫の「朝から晩までの長時間労働」が可能になりました。妻は「家族愛」の名のもとに、無償で家事労働に従事します。夫は家事をする必要がなくなり、朝から晩まで工場で働くことができます。これにより資本家の取り分はさらに増大することになります。ここにもうひとつの搾取があると指摘したのがマルクス主義フェミニズムのひとたちでした。妻の家事労働によって、資本家の取り分はさらに増大している。資本家は妻にも賃金を支払うべきだ。このままでは家事労働は無賃労働だと指摘したのです。この構造は社会に深刻なジェンダー格差(女性差別)を生み出します。例えば男性労働者がひと月分の給与を妻に手渡すとき、その給与の中には「妻の家事労働分」が含まれていると考えるべきですが、ほとんどの男性労働者はそうは考えません。「これは私が稼いだ給料で、それによって妻(子どもがいれば子どもも)を養っている」と考えます。夫が妻や子どもを支配し所有する「家父長制」が人々に内面化されることになるのです。

そして近代家族はさらなる差別を生み出します。先に述べたように資本主義は人口の増加を前提としたシステムです。近代家族にその役割が割り当てられることになるのです。そして「家族」は「異性愛の男女」による「子どもを産み育てる」場だと理解されるようになりました。そして特に戦後の日本では経済成長にあわせて必要な労働力を安定的に動員できるように、子どもの人数は各家庭で2人程度が理想的とされました。戦後、「家族計画」という言葉が流布し、現在「少子化」が問題視される背景はまさにここにあります。そしてこの時「単身者」「離婚者」「異性愛ではない人々」「子どもを産まない人々」「働かない/働けない人々」に対する社会的排除が生み出されました。ミシェル・フーコーはその排除が近代社会において「病理化(それらは異常なものであり病気であるとして排除し差別するということ)」によりなされたと指摘しました。

つまり近代資本主義社会は、異性愛男性を中心とした「中心と周縁」の構造をもっているのです。結婚をして子どものいる異性愛男性の周りに女性、単身者、障がいを持つ人、異性愛ではない人々(セクシュアルマイノリティ)などが配置され、それらの人々は常に社会的に排除され、差別されます。これが現在の社会のおおまかな見取り図なのです。

 

新自由主義と芸術
なぜ私がここで近代資本主義社会とそこに起因するジェンダー配置や差別の構造について語っているかと言うと、それが現在のアートの現場を考える上で重要な視点になると考えるからなのです。

例えばアメリカやヨーロッパでセクシュアルマイノリティの権利運動と現代美術が極めて深い関係にあったことは改めて指摘するまでもありません。例えばキース・ヘリングなどがその好例でしょうが、私がこれまでに述べてきた構造をふまえると、その理由がはっきりとわかります。つまりそれは周縁から中心に対する異議申し立てなのです。現代美術が周縁的な営みである以上、同じく周縁的な存在であるセクシュアルマイノリティと共闘が可能だったのです。それが思想・哲学であれ、美術・芸術であれ、つまりミシェル・フーコーやロラン・バルト、ジュディス・バトラーであれ、アンディ・ウォーホル、フランシス・ベーコン、ロバート・メープルソープであれ、なぜ当人のセクシュアリティが注目を集め、それらの人々についての語りにセクシュアリティに関する言及が付随するのかといえば、そこに人々が「周縁」を見て、その「周縁からの視点」に、現在の社会を分析する決定的な視点があると感じるからに他なりません。周縁からの視点、異議申し立ては同時に、資本主義という金儲けのシステムに対する批判であり異議申し立てであり、また異性愛中心主義に対する異議申し立てでもあります。

昨今女性の権利運動としての「Me too」が知られるようになりました。これもまた周縁からの異議申し立てでしょう。重要なのはそれらの実践がつきつめると「資本主義という金儲けのシステムに対する異議申し立て」である点です。昨今よく耳にする新自由主義は、自由という言葉こそ入ってはいますが、そこでの自由は「経済的自由」を意味しています。新自由主義での自由は、資本家による利益追求をより容易にするための、強者のための自由です。一方で、金儲けとは無関係に、人間の尊厳や実存をまもるための自由、いわば弱者のための自由、「政治的自由」という価値観が確かに存在しています。「Me too」もキース・ヘリングの実践も、それらは政治的自由の追求であり、その意味で、近代社会を俯瞰し、その社会がもつ構造的差別や暴力性を暴き、糾弾する、文明史的意味を持った現象であると評価できます。私がダムタイプのパフォーマンス『S/N』(1994)を極めて高く評価する理由もそこにあります。

一方で、現在の、特に日本のアートの現場はどうでしょうか。社会とアートとの関係が語られる一方で、私自身、アートプロジェクトの現場において、女性ばかりが補助的業務や台所に立っている光景を目にしたり、女性と男性の性別役割分業がそのまま踏襲されていたり、性別がそもそも性自認に立脚するものである(他者から押し付けられるものではない)という観点がなかったり、プロジェクトからセクシュアルマイノリティの存在が予め排除されていたりといった場面に何度も出くわしてきました。現時点において、芸術的実践、とりわけ現代美術やパフォーマンスを「既存の価値観をななめから見る」「尖った実践」と考える時、それがジェンダー構造や性差別やセクシュアルマイノリティの権利、他の周縁的人々の存在に無自覚な実践であるならば、それはほんとうの意味での「芸術的実践」になりえていると言えるでしょうか。強者の側から弱者を搾取するだけの、現在の権力構造を上塗りするだけの、いわば御用芸術なってしまってはいないでしょうか。もしそうであれば、それは、かたちこそ違うけれども、戦時中、軍部に協力し戦争画を描いた画家たちと同じことをしてしまっているかもしれない。私はそう考えるのです。芸術の現場で、今こそ、ジェンダーやセクシュアリティ、労働、公平性、合意といった政治的自由に関する議論を深めるべきだと、私は考えています。

 

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観客にお勧めしたい書籍
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意思』(新潮社、1986)

竹村和子『愛について―アイデンティティと欲望の政治学』(岩波書店、2002)

イヴ・K.セジウィック『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(名古屋大学出版会、2001)

イヴ・K.セジウィック『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』(青土社、1999)

山田創平『たたかう LGBT&アート』(法律文化社、2016)

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山田創平
京都精華大学准教授。名古屋大学大学院修了。博士(文学)。公益財団法人エイズ予防財団リサーチレジデント、NPO法人関西エイズ対策協議会副代表理事、厚生労働省エイズ予防戦略研究・研究班員などを経て現職。編著書に『たたかうLGBT&アート』(法律文化社、2016)、共著書に『ミルフイユ04-今日のつくり方』(赤々舎、2012)、『ジェンダーと「自由」』(彩流社、2013)、『国東半島芸術祭記録集』(美術出版社、2015)、『釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム』(フィルムアート社、2016)などがある。現在、NPO法人アートNPOリンク理事、HAPS実行委員、公益財団法人企業メセナ協議会東日本大震災芸術・文化による復興支援ファンド選考委員などを兼任。また近年は作品制作も行っている。代表作にインスタレーション『水図』(別府市街地、2013)、パフォーマンス『水を飲む』(ARTZONE、2013)、パフォーマンス『井戸の話』(アトリエ劇研、2013)などがある。

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2010年より毎年秋に京都市内の劇場を中心に
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このたび、9回目となるフェスティバルを
2018年10月6日から10月28日の23日間にわたって、
ロームシアター京都をメイン会場に開催します。

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