29 太⽥耕⼈ 京都教育⼤学 学⻑ 祝祭をつくる 〈祝祭〉をつくりだしたい。 2010年、京都国際舞台芸術祭を創設するにあたり、実⾏委員⻑だった私はそう考えていた。 社会や宇宙の秩序を象徴化し⼀定の形式に定着するのが祭儀なら、反対に祝祭は秩序を覆し、形式を溶解させ、混沌を⽣みだす。慣習を破却し、ジャンルを越境する。⾮⽇常のお祭り騒ぎで⽇常を刷新し、都市をいきいきと甦らせる。 ⾏政が主導する祝祭などありえない、と思われるかもしれない。いかにも、祝祭は⺠衆のものである。 だが、たとえば、応仁の乱後、天明の⼤⽕後、荒廃した京都で祇園祭の再興を強⾏したのは、町衆ではなく、時の幕府であった。たとえ⾏政や権威が⼿がけたとしても、祝祭はひとたび動き始めれば⺠衆の⼿にわたる。エディンバラ国際演劇祭が1947年に創設された折、主宰者による選にもれた劇団や団体がエディンバラ・フェスティバル・フリンジを⽴ち上げたのは、そのよい例であろう(同フリンジ演劇祭は巨⼤な祝祭となり、2019年には3800以上の演⽬に25万⼈超が詰めかけた)。 祇園祭が町衆の連帯に基盤を置くように、祭とは本来、何らかの集合体による共同作業である。芸術祭であれば、それを⽀える共同体は、そうした芸術を⽀持する⼈たちのコミュニティだといってよい。ある秋の午後、瀬⼾内国際芸術祭で維新派の⽝島公演に向かうため、鄙びた船着き場から定期船に乗ったことがあった。乗り合わせた70名ほどの⼈々の間には、愛する維新派を⾒るのに離島まで遠征する連帯感がたしかにあった。実験的な演⽬ばかりが並ぶKYOTO EXPERIMENTを愛し、私たちの船に乗ってくれるのはどんな⼈たちなのか。 都市とは〈⼈〉〈物〉〈情報〉が集積し、その交錯の中から新たな価値が創られてゆく場である。選りすぐった作品=〈物〉を、どのような〈⼈〉、どのような〈情報〉と掛けあわせるかを考えねばならなかった。 ⼤阪市と違って、京都市は幸い多くの⼤学が市内に残り、郊外に移転した学部等も戻りつつある。芸術表現に関⼼のある学⽣を対象にして、従前のチラシや⽂字情報ではなく、画像イメージを前景化し、Webサイトに情報をアップした。芸術系⼤学の学⽣を中⼼に客⾜が伸びはじめた。現代美術や現代⾳楽に通ずる先鋭さを、舞台芸術にも⾒いだしてくれたのだと思う。 それまで既存の演劇等にあまり触れていなかった分、学⽣たちは先⼊観なしに実験的な作品を受け⼊れてくれた。彼らの感覚が友⼈たちに共有され、後輩に受け継がれ、観客数は倍々ゲームで増加した。京都国際舞台芸術祭の共同体が、徐々にできあがっていった。英語でもWeb発信をしたことで、国境を越えた認知も進んだ。公演会場まで外国⼈客を乗せたというタクシー運転⼿から、「ここで何が起きているのですか?」と尋ねられたこともあった。 エディンバラやアヴィニヨンに⾒るごとく、祝祭は⽂化を興隆し都市を活性化する。エディンバラの街はいまコロナ禍で閑散としているが、⼤量のフリンジ公演がオンライン配信されている。これに倣って、京都の名をさらに世界に喧伝することも可能だろう。やがて、⼈の往来が通常にもどった暁には、あの禁欲的な状況のなかでKYOTO EXPERIMENTはこんなにもエネルギーを蓄えていたのか!と驚かせてほしい。そう私は願っている。
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