Essay

『個室都市 京都』演出ノート 高山明/Port B

Photo by Toshihiro Shimizu Photo by Toshihiro Shimizu

京都は憧れの町だった。中学・高校の修学旅行はともに京都だったし、京都の大学に行こうと決めていた。今ではなぜそんなことを考えたのか分からないのだけれど、そこで4年間アメフトをやり、その後は京都に住みながら研究者生活を送りたいと願っていた。
しかし実際は東京の大学に行き、アメフトをやったはいいけれどそれが「格闘技」であって「球技」でないことに飽き、大学を途中で止めてドイツに行ったらそれまで全く興味のなかった演劇などに出会い、足を踏み外したらそのまま脱線を繰り返して演劇を生業にするようになり、ヨーロッパに残ろうと考えていたのに一時帰国したらそのまま日本での活動が始まり、東京を中心に活動を続けてきた先に、京都を度々訪ねながら京都ならではの作品を制作するという今回のような展開が待っていた。

どれだけの夢が叶い、どれだけの夢が潰えていったのか、もはや僕自身にも全く分からないが、40年ちょっとのこれまでの僕の生に、ある時は近づき、ある時はまるで縁がないように京都の町は存続してきたのだろう。ズレや脱線や出会い損ないそれ自体が京都との関係であるかのように、僕の行ったり来たり、出たり入ったりを京都はさりげなく“受け・流し”てきたように感じられる。それは多分、僕との関係だけではないだろう。
京都は千年以上も無数の人達と濃淡さまざまな関係を結び、ズレや脱線で彩られた数々の生を“受け・流し”てきたのだと思う。そこでの思い出や、叶った夢、叶わなかった夢、そういったものの“戯れの場”こそ「京都」なのではないか。ある都市が千年以上も生き延びている。

そのことのリアリティを、僕は神社仏閣や町の作りといった古くから続いているものにではなく、むしろ保存できずに過ぎ去っていくもののなかに、ズレや脱線の別名であるような、表層を戯れるだけで消えていく無数の夢や思い出のなかに見る。実体ある町としての京都ももちろんあるのだろうが、一観光客に過ぎない僕にとって、京都のリアリティは圧倒的に“表層”にあり、時に腹の立つほど洗練された“流れ”のなかにあった。それは掴もうとしても掴めない。その事実を思い知ることからスタートした。形のない“それ”を観客に体感してもらえるようにすること。これが『個室都市 京都』で試みたことの全てである。

高山明

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  • 高山明/Port B『個室都市 京都』 京都駅ビル 撮影:清水俊洋

    高山明

    『個室都市 京都』