Interview

インタビュー クリスチーネ・グライナー

ブラジルの振付家マルセロ・エヴェリンによる『マタドウロ(屠場)』の関連イベントとして、現代のブラジルのパフォーミングアーツを紹介するレクチャーを行います。基調講演にご登壇いただく、舞踏研究者であり、ブラジルの舞台芸術に造詣の深いクリスチーネ・グライナーさん(サンパウロカトリック大学身体言語学部教授)に、ブラジルのパフォーミング・アーツについて、マルセロ・エヴェリンの舞台作品についていくつか質問を投げかけました。

── あなたがダンスの研究者としてキャリアをどのようにスタートされたのか教えてください。

クリスチーネ・グライナー(以下、グライナー) なぜかは分かりませんが、身体芸術は常に私の人生の中に存在してきました。ブラジルのダンスマガジン”Dançar”の記者として10年働いた後、私はダンスの研究をさらに深めようと決めました。1980年代初め、サンパウロカトリック大学大学院身体言語学部で、私の恩師であり、大学教授、そして詩人でもあるハロルド・デ・キャンポス(Haroldo de Campos)氏に出会いました。彼は日本の文化に造詣が深く、私に日本の振付家でありダンサーである伊藤道郎の研究を勧めてくれました。伊藤道郎は1916年に有名な詩人であるエズラ・パウンド(Ezea Pound)、劇作家ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)と共に日本の能に影響を受けた作品を創作したことで知られています。私は最終的に、このアイデアを修士論文のテーマとして、そして私の2冊目の出版本のテーマとすることになります。

── 日本の舞踏に興味を持つようになったきっかけを教えてください。

グライナー 1986年の大野一雄の舞台にとても感動しました。彼のパフォーマンスを見ているうちに、舞踏が、それまでフランスやアメリカ、南米諸国で経験してきたものより、さらに複雑であるといこうことに気がつきました。残念ながら、1980年代には舞踏に関する文献や映像資料は限られていました。土方巽に関するアーカイブが取り纏められたのは1990年後半になってからのことです。私が日本で舞踏の研究を始めた頃、國吉和子氏によるダンス批評が最初の資料として大いに研究の助けとなりました。それ以来、舞踏の研究を続けていますが、まだまだその終わりは見えません。
立教大学の宇野邦一教授や、東京大学の内野儀、パトリック・ドゥ・ヴォス両教授、土方巽アーカイブを設立された慶応義塾大学の森下隆氏、大野一雄舞踏研究所の溝端俊夫氏。彼ら研究者との共同研究から、私は舞踏が異なるレベルの意識と、身体の知覚を経験するための非常に複雑な方法論であることを理解し始めました。ですので、私は舞踏を美学的モデルやステレオタイプなイメージから模倣しようとすることに興味がありません。

── ブラジルのコンテンポラリーダンス、およびパフォーミングアーツの状況について教えてください。また、今回のレクチャーでは、その中でどのような面を取り上げられますか。

グライナー ブラジルは広大な国です。この10年間、私はブラジル国内の様々な地域を、北部から南部まで旅する機会を得ました。その経験から私が言えることは、ブラジルの中でも、パフォーミングアーツについての理解に違いがあるということです。私はブラジルの大都市の一つであるサンパウロに住んでいます。サンパウロは、教育水準の高い大学が数多くある裕福な都市です。しかし、今回のレクチャーでは、幾つかのパフォーマンスを異なる側面からからお見せしようと思っています。私のプレゼンテーションの狙いは、先鋭的な表現に取り組むアーティストを紹介することにあります。彼らは時に、非常に政治的な問題に向き合い、またダンスと他の芸術表現との融合や領域横断に取り組み、そして新たなテクノロジーを取り込むことや、自身の身体や生の限界を問うということに挑戦しています。

── マルセロ・エヴェリン自身について、そして彼のパフォーマンス『マタドウロ』をどのように評価されているかお聞かせください。

グライナー マルセロは、これまでに政治的な問題に向き合い作品を発展させてきました。『マタドウロ』はその良い例です。それはパフォーマンスであり、政治的なマニュフェストでもあります。彼の作品をよりよく理解するためには、数多くのコンテンポラリーダンス作品を知ることよりも、いくつかの政治問題について深く注意を向けることがより重要です。
マルセロは、ある特定の場で、いかに簡単に人間の生が否定されてしまうのかという倫理的な観点に基づいた問いを取り上げています。多くの人は、悲しみや悲嘆は個人的なことであり、それは私たちにとって孤独な状況を与えるという観点から非政治的であると考えています。しかしながら、マルセロは悲しみや悲嘆は、政治社会の複雑な秩序が供給するものであると捉えています。彼は、自身の経験から人間的な状態とは何かということに強く興味を持っています。彼自身が生活するテレジーナという街の不安定な事情を考えると、これは単純な問題ではありません。『マタドウロ』では、若いダンサーたちが、ある方法で、彼ら独自の生き方を表現しています。それは、その不安定な街に常に内在する、人と動物の間、もしくは犠牲者と加害者との間の “むき出しの生”を表現しているのです。

クリスチーネ・グライナー Christine Greiner
ブラジル・サンパウロ在住。サンパウロカトリック大学身体言語学部教授。身体論。舞踏を中心に、日本の身体表現を研究。著書に『舞踏 ─進化の一つの思想』(1998)、『能と西洋』(2000)、『身体 ─学際的研究への示唆』(2005)などがある。近著では『The Body in Crisis: short-circuit of representations』(2010)を出版。近年、「Tokyogaqui」、「Imaginary Japan」(2008)、「Revolt of the Flesh」(2010)等の展覧会キュレーションも行っている。

翻訳:青嶋絢

ARCHIVE

  • マルセロ・エヴェリン/デモリションInc.+ヌークレオ・ド・ディルソル『マタドウロ(屠場)』 元・立誠小学校 講堂 撮影:阿部綾子

    マルセロ・エヴェリン/デモリション Inc. +ヌークレオ・ド・ディルソル

    『マタドウロ(屠場)』