Interview

インタビュー ヤニス・マンダフニス/ファブリス・マズリア

Photo by Ayako Abe Photo by Ayako Abe

フランクフルトに拠点を置く「フォーサイス・カンパニー」で得た技術や経験をもとに、ヤニス・マンダフニス、ファブリス・マズリアが2人で初めて制作した『P.A.D.』。四方を壁に囲まれた舞台で、身体と身体が激しくぶつかりあって繰り広げられる「近さ」が際立つダンス・パフォーマンスです。彼らのダンスの変遷や、武道から学んだ「意識」の使い方について、具体的にお話を伺いました。

── お二人が知り合ったきっかけと、ダンスの世界に入った経緯を教えて下さい。

ヤニス・マンダフニス(以下、マンダフニス) 何年も前の話ですね。私たちが知り合ったのはダンサーになる前でした。私は両親ともにダンサーだったので、自然とその世界で育ったんです。12、13歳の頃に、自分はダンスが好きかどうかを知るためにいくつかクラスを受けてみたのですが、そこで家族とは関係なく、自分のこととして、ダンスが好きだということがわかりました。こうしてダンスを始め、その後カンパニーで踊るようになり、ここまでずっと続いてきています。

ファブリス・マズリア(以下、マズリア) 私がダンスを始めたのはずいぶん遅く、16歳頃でしたね。将来に何をするか考えていて、やりたいと思うことのひとつがダンスでした。しかし始めてはみたものの、最初はあまり好きになれずに一旦辞めてしまいました。そして16歳の終わり頃に、もう一度やり始めたのです。
私とヤニスの共通点はヤニスのお母さんです。彼女が、私が好きだと思えるようなダンスを紹介してくれたのです。ですから、ダンスを始めた当初の私にとって、ヤニスのお母さんはプロモーターやメンターのような存在でした。私は、すでにヨーロッパでは、バレエ・スクールに入学するには年齢が行き過ぎていたので、ギリシャに渡り、ヤニスの両親が教えている国立学校に入りました。当時17歳頃だったのですが、ヤニスの家族と一緒に生活することになりました。これが私とヤニスの出会いです。知り合った当初、彼はまだ7歳くらいでした(笑)。それ以降、私たちはずっと家族のように連絡を取り合ってきています。
ヤニスはその後パリで勉強し、私がかつて所属していたカンパニーであるNDT(ネザーランドダンスシアター)でも踊り、そしてフォーサイス・カンパニーで再会しました。その後、ギリシャのフェスティバルのためにデュオの作品をつくることになりました。それが今回の作品『P.A.D.』です。以降、これまでに3つの作品を創作しています。

── お二人が所属していたフォーサイス・カンパニーでは、どのような活動をしてきたのでしょうか。

マズリア フランクフルトバレエ団(フォーサイス・カンパニーの前身)の時期は、どちらかというと、古典的な身体性を背景にしていました。従来とは違う動きなど、もちろん新しいことにも常に挑戦していましたが。その後、新生フォーサイス・カンパニーでは、構造的に、より実験的になりました。バレエの背景や技術を必要とされるのと同時に、即興で踊ることや、自分からいろいろなことを提案することができなければなりませんでした。常に自分たちも創り手でなくてはならなかったのです。完全に振り付けられた作品でない限り、私たちも、自身の素材を生み出さなければならない。ですから、即興性に強くなければならず、また、動きに対して独自のアプローチを持つことができないといけませんでした。このところはそれがさらに発展して、芸術監督のウィリアム・フォーサイス自身はあまり干渉せずに、私たちがやろうとすることをさせてくれるようになっています。現在は、いわば私たちは自分自身のバレエ・マスターとなり、自分でリハーサルし、自分で責任を持つようになりました。

マンダフニス フォーサイス・カンパニーは、ダンサーのいるカンパニーというだけではなく、カンパニーの誰もが、同時に振付家でもあります。振付家であることを要求されるのです。それが、フォーサイス・カンパニーのとても重要な特徴だと思います。

── 今回の作品『P.A.D.』について、いくつかお尋ねします。まず、タイトルが気になるところですが。これには、どんな意味が込められているのですか。

マンダフニス 秘密です。

マズリア 苦痛で難しい…そう、「苦痛で難しい(Painful and Difficult)」です。

マンダフニス そう、そう(笑)。

マズリア 「P.A.D.」というのは、私たちにとって暗号のようなものです。もともとこの作品は3人で作っていました。私たちは、たくさんゲーム(訓練)のようなことをしていたのですが、そのゲームの中で、ひとりひとりにこなすべきタスクがあり、その頭文字が、それぞれ「P」「A」「D」だったのです。2週間ほど活動をしたところで、もう1人のダンサーがわけあってこの活動から抜けなければならなくなり、最終的にデュオになったのですが、この「P」「A」「D」のアイデアだけは残すことにしました。今でも時おりどこかに「3人目の存在がある」という意識を持って取り組んでいるわけです。

── 作品の特徴として、四方を壁で囲んだ舞台、そして観客が上から覗くように観るというスタイルがありますね。この舞台美術が作品にとって、どういう効果を持つのかを教えて下さい。

マンダフニス 舞台美術のイメージは、作品をつくる過程で生まれてきたものです。最初につくり始めたときは、まだ壁は存在せず、「壁」というアイデアすらありませんでした。ところが、だんだん創作していくうちに、何らかの「限界」が必要になったのです。自分たちがやっていることに対して、その限界を超えて、違う感覚を得る必要が出てきたということです。だから最初は、ダンスのために必要だという、いわば技術的な理由で壁が生まれました。しかし、後になってこの壁が、私たちが考えていた知覚、そして錯覚というものにフィットするということに気づいたのです。錯覚とは、つまり蜘蛛の巣のようなもので、目には見えないのですが、必ずそこにひっかかってしまう、というものですね。常に壁を通り、出て行こうとするのだけれど、結局は壁の内側にしかいることができない、という意味が含まれています。
またこの壁は、観客に、観ることにもっと能動的になってもらう、高い位置から見下ろすことでパフォーマーとの異なる関係性を体験してもらう、という役割を担っています。まるで覗き見をするみたいに親密な状態で全体像を見渡せるようにすることで、私たちは、観客の視点を誘導しているのです。そして観客は、私たちの舞台上での親密な近さ、ダンスにおける関係性に、自らも介入していると感じることができるというわけですね。
観客が上にいて、私たちが真ん中にいるという状態で、ひとつの境界を定めたその瞬間に、まるで大きな輪のように物事が動き出すのです。私たちにとって大事なのは、錯覚を通じて大きなひとつの「輪」が生まれてゆくということでもあります。

── 「誰が」「どういう意思で」「体を動かすのか」ということに対する根幹を揺るがす挑戦をしているわけですね。

マズリア 私たちはできるだけ観客に近い状態に身を置き、みんなが知っていること、見覚えのある身体性や構造を見つけようと、あらゆるポジションや配置、重心の置き方などを駆使しました。ここで考えているのは、相手がまるで「超えようとしている自分自身のようである」ということです。いってみれば、自分自身にしたいと思うことを、相手を通じてやっているのです。もうひとつ私たちは「閉じ込める」ということにも取り組んでいます。相手を閉じ込めることで、自分自身がより自由に感じられるのです。誰かをより小さな規模の空間に閉じ込めることにより、自分が自由だという錯覚を得るわけですね。こうして、ときにオープンな状態を生み出し、ときに自分自身をも制限する力を生み出しているのです。

マンダフニス 私たちは「意識」というものを重要視しています。というのも、私は武道家の日野晃さんにお会いして、ワークショップに参加したことがあるのですが、この作品では、彼のいうところの「錯覚」と「交換」の意識を活用しているんです。明確に意識を据えて、空間や相手にこの意識を保持しつつ、動き回ることでその意識を操作し、結果として、観客の知覚を操作することができるのです。日本の武道でやっていることを、私たちのダンスに転換しているのです。

マズリア 今回の舞台は、戦いのリングのようでもあります。しかしそれは、私たちの戦いということではなく、先入観に対する戦い、真の姿を知る前に、思い込んで決めつけてしまい、思考を停止してしまうということに対する戦いなのです。あなたが見ているのは、本当のものなのでしょうか? もしかすると、違うものを見ているのではないでしょうか。というふうに、もう少し考えてみて下さい。こうして私たちも戦いながら、連携して、変容を生もうとしています。

── お二人はベルギーのアントワープにあるデシンゲルという劇場のアソシエイト・アーティストになりましたね。ここでの活動の抱負と、これから目指すダンスを教えて下さい。

マンダフニス これを機に、再び、『P.A.D.』も『ZERO』も上演しますし、現代音楽のアンサンブルとの新作も来年9月に発表する予定です。普段、自分たちだけでスタジオにこもって創作するのとは違う経験を得てみたいですね。インスタレーションもつくってみたいです。
これまでにも『シングルライン(単線)』というイベントを行いました。赤いテープを使って、街の真ん中からデシンゲル劇場まで、まっすぐの線を引くのです。これは写真のルポルタージュとして行ったのですが、線を引くために、民家やお店、ガレージなどに入っていかなければなりませんでした。その際、いろいろな人にこのプロジェクトの説明することで、たくさんの人とふれあうことができました。結局その線は2キロ近くになり、私たちは街のことをよく知ることができたのです。こうしたことは、いってみれば「交換」です。異なる種類のプロジェクトから、人間としてのどのような経験を得ることができるのか。普段はダンスを通じて、舞台上でさまざまな経験を得ていますが、今後、私たちは外に発信してゆくために、もう少し別の可能性を探ってみたいと思っています。

取材 : 2011年9月20日
聞き手:橋本裕介(KYOTO EXPERIMENTプログラムディレクター)
通訳:桑原綾子
編集:前田愛美、山脇益美(KYOTO EXPERIMENT特集ページ担当)

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  • ヤニス・マンダフニス/ファブリス・マズリア『P.A.D.』 京都芸術センター フリースペース 撮影:阿部綾子

    ヤニス・マンダフニス/ファブリス・マズリア

    『P.A.D.』