Essay

ディレクターズノート[2016 SPRING]

design by UMA design farm design by UMA design farm

——この歴史的意識は一時的なものに対する意識であり、永続的なものに対する意識であり、また一時的なものと永続的なものとを一緒に意識するもの

(T.S. エリオット『伝統と個人の才能』/矢本貞幹 訳)

これまで秋に開催してきたKYOTO EXPERIMENTは、今回初めて3月に開催することになりました。この6回目のフェスティバルを迎えるにあたり、開催までに少し時間が空いたことで、プログラムの構成や趣旨について改めて考えを深めながら準備することができましたので、それをご紹介したいと思います。

公式プログラムですが、いくつかの軸に沿って紹介することができます。
ひとつめの軸は、トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー、大駱駝艦、そして松本雄吉を紹介することで、現代舞台芸術の源流を辿る試みです。1960年代〜70年代にかけ、ブラウンが拠点にしたニューヨークと同時期の東京はその動向がパラレルだと言えるほどに、分野の境目なく様々な才能が集い、そして互いに共同作業を行い、その後のそれぞれの芸術領域や社会にも大きな影響を及ぼしました。そこに、過去の振付家と対峙することをひとつのテーマに掲げてきたフランス・ダンス界の寵児ボリス・シャルマッツを配置することで、時代のある大きな流れを意識させたいと思います。

二つ目の軸は、そうした第一世代に続き、次代を担う存在になりつつある作家たちの共同作業による新作群です。劇団「地点」と音楽家・三輪眞弘による二度目となる取り組み、演劇ユニット「チェルフィッチュ」と美術作家・久門剛史の初顔合わせ、そして音楽家・足立智美とパフォーマンス集団・contact Gonzoに加え子どもたちが登場する新作は、次代を牽引していくという野心と責任感に溢れる力強い流れが、ここから立ち上がるはずです。

三つ目の軸は、継続的な視点に立った国際交流プロジェクトとして、作品だけでなくアーティスト自身の活動をフォローしていく試みです。これまでに様々な形でKYOTO EXPERIMENTに関わってきたチョイ・カファイやダヴィデ・ヴォンパクは、新作を携えて再び京都に戻り、各々にプロジェクトを展開させていきます。そして初来日となるチリの新鋭マヌエラ・インファンテの作品発表を機に、チリ・スペイン語圏の演劇と長期的に関わるプロジェクトをスタートさせます。

最後の軸は、researchlightと称する新たなリサーチプロジェクトです。これまでにもKYOTO EXPERIMENTはいわゆる舞台芸術に限らず、美術や音楽などのジャンルを越境しながら一つの言葉で区分けすることの出来ない、可能性に開かれた表現を紹介してきました。それを更に一歩押し進めるために、ものごとを計画、設計するという意味で芸術と隣接するジャンルでありながら、そこに人々の経験が織り込まれてはじめて生き生きと存在する、デザインや建築にも内容を広げていきたいと思います。

そう考えたのは、京都に新たな芸術の拠点「ロームシアター京都」が誕生することと無縁ではありません。こうした施設は絶えず、社会との関わりについて問われることになります。
そんな中、いかに社会の役に立つかというベクトルだけで考えることを、そろそろ止めにしたいのです。なぜならそのベクトルが、「芸術が上位で日常や社会が下位である」という芸術に関わる側がでっち上げたつまらない考えに支配されているように感じられるからです。こうした施設が、人間の息づかいを感じられるような生きられた空間として存在意義を持てるとするならば、むしろ“生きられる”ために、貪欲に人々の日常の営みや経験を織り込んでいくことが大切ではないでしょうか。いっそベクトルを逆にして、日常や社会が芸術に食い入るような可能性を開いておくこと、それが今必要だと考えます。

さて、「京都の実験」という名を冠したこの舞台芸術フェスティバルにとって、“新しさ”は常に意識せざるを得ないところですが、何が新しいのかということと同時に、どれほどの範囲の時間感覚で新しいのかということを問題にしなければならないと改めて考えています。
劇作家・演出家の太田省吾はかつてこのように書きました。
「舞台芸術は、その表現の生命を、生成と同時に消滅していくところにおいている。またその素材を、生きた人間とするところで成り立たせる。いわばわれわれの生の<宇宙=永遠>の中の<一瞬>に対する抗いを基底とした表現ではないだろうか。」

ただ、現実の私たちの生活は、めまぐるしく移ろう日々や時代を中心にして、太田の言うような<永遠>の相を、どうも遠ざけている気がしてなりません。かつてポーランドの演出家タデウシュ・カントルが語った「芸術とは現実に対する応答である」という考え方は、ある種の破壊力を持っていました。その言葉を意識しているかどうかは別にして、同時代の表現においては、芸術全般の傾向として、時代を、そしてそこで起こった問題(戦争や災害のような)をどのように捉えるかという反射神経が求められる場面も少なくないからです。そうして作家や私たち企画側もまた、その問題を表現に反映させたいという強い誘惑に駆られてしまうことも確かです。
しかし、そうした反射神経に頼ることだけが、同時代の感覚を鋭敏につかむ方法なのかと疑問にも思います。ここKYOTO EXPERIMENTで追求しようとしている表現が、同時代に生まれたものとして(たまたまではなく)必然性をもって存在するためには、<永遠>と<一瞬>を行き来するような、ある幅を持った時間感覚が必要なのではないか、そのように感じています。

こうした時間感覚を意識したとき、これまでの5年を経た今を折り返し地点として次の5年を射程に収めることができ、それを経た10年という時間はひとつの時代を画することになるのではないか、そうしてはじめて見えてくるものがあるのではないかと考えています。公式プログラムを圧倒する数のフリンジ企画「オープンエントリー作品」、そして内側に異なる視点を取り入れるために新進のキュレーターによりプログラムされたショーケース企画「Forecast」、これらも含めて行われる6回となる今回は、KYOTO EXPERIMENTの未来が指し示されています。是非たくさんのプログラムにお越し頂き、それぞれのやり方で楽しんで頂きたいと思います。未来と楽しみ方は開かれています。

KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター 橋本裕介とスタッフ一同