Interview

ブシュラ・ウィーズゲン インタビュー/聞き手:竹田真理(ダンス批評家)[前編]

©︎Hasnae El Ouarga_Compagnie O ©︎Hasnae El Ouarga_Compagnie O

KYOTO EXPERIMENT 2019に参加したダンサー・振付家、ブシュラ・ウィーズゲンのインタビュー。2019年7月にはウィーズゲンによるワークショップが実施され、出身地モロッコの音楽とダンスを京都の参加者たちが体験しました。


―先日のワークショップを見学しました。あのワークはモロッコの伝統の踊りですか?

ウィーズゲン 伝統でもあり、今日も人々の間で踊られているダンスです。結婚式、出産祝いなどのお祝い事や、地方では収穫祝いや季節ごとのお祭りでも踊られます。一つ是非知ってほしいのは、これらは学校で教えられるダンスとは違うということです。モロッコの舞台芸術の学校では、演劇はロシア由来、ダンスと音楽はフランス由来の教育が行われていますが、そこからは外れているダンスなのです。
私は舞踊学校に行っておらず、オーソドックスな教育を受けていないのですが、その分、自分には既成概念やルールを超える強さがあると思ってきました。アラビア文化や先住民であるベルベル人の文化——彼らは音楽にしても衣装にしても独自の文化を持っているのですが、そうした文化を採り入れて、「モロッコにおけるパフォーマンスとは何か」を問うことを恐れずに歩んできました。メインストリームではないアーティストたちとコラボレーションすることにも躊躇はありませんでした。

―ダンスの活動はいつから始めたのですか。

ウィーズゲン 15歳です。最初はソロで活動していました。2001年、21歳のとき、3人の振付家によるコレクティブを結成し、2007年には自分のカンパニー「Company O」を作りました。今回京都に連れてくるのはこのカンパニーのメンバーです。

―経歴の中にマチルド・モニエ(*)、ボリス・シャルマッツ(**)と仕事をしたとありますが、どのような形で彼らと出会ったのですか。フランスに留学されたのでしょうか。

ウィーズゲン いえ。知人から「面白い人がいる」と聞いたマチルドが、モロッコに私の公演を観に来たのです。当初、私はマチルドのことは知りませんでしたが、公演を見た後、彼女から「新作を一緒に作ろう」と提案され、モロッコを巡回する作品でしたので、私は提案を受けることにしました。このとき彼女は、もし興味があったらフランスに来て勉強しないかとも言ってくれたのですが、こちらはお断りしました。アフリカやアジアなら行きますがヨーロッパは結構です、と。その後モンペリエに6か月滞在できるプログラムがあると紹介され、ヴィジュアルアートやパフォーマンスなどクリエイティブな表現者のための奨学制度だったので参加することにしました。

―ボリス・シャルマッツとはどういった出会いでしたか?

ウィーズゲン モンペリエ滞在中に会いましたが、それまで彼がどんな人かは、やはり知りませんでした。新天地に行く時には、誰が誰だか知らないというメリットがあって、有名な人でも一人間として出会える。今回の京都もそうですね。ボリスはモンペリエのプロジェクトが終わったら1年間、僕と一緒に何かやらないかと提案してくれて、それは有り難いお話だったのですが、この時すでに私はモロッコで、あるプロジェクトを進めている最中でした。それはいまだかつてモロッコで誰も手掛けたことのないものでしたし、そのための地方へのリサーチを進めたいとも思っていました。ボリスには、今自分がモロッコで携わっていることとリンクした形でならと交渉したうえでお話を受けることにしました。それまでのリサーチでモロッコには大変な可能性があることが分かっていたので、国を離れるとしても、そのことが自分自身やモロッコの状況によい変化をもたらすものでなければ意味がないと思ったのです。

―非欧米諸国のアーティストにはキャリアの途中で一度欧米に学び、西洋のメソッドを習得したうえで活動する人が少なくないですが、あなたは西洋志向を特に持つことなく、はじめからモロッコに軸足を置こうとしたのですね。

ウィーズゲン なぜかをお話しましょう。少し前までモロッコのアーティストは国を出た後、帰ってこないことが多かったのです。世界中を旅することは、モロッコの場合ビザの問題もあるため、多くの人がなかなか得ることのできない貴重な機会ですし、モロッコ人にとって外国に行くことは「より良い生活」への夢でもあります。2001年から始めたコレクティブは2010年まで続きましたが、この間、他のアーティストはどんどん西洋に行ってしまい、国内に残ったのは私たち3人だけでした。その間に作品の発表も、教育に関わることも、フェスティバルの立ち上げも行いました。フェスティバルを開催することで、外に出て行った振付家たちが帰ってきて、作品を見せるきっかけを作ることができました。
ただ、かつてと違い、われわれは外国に行って帰ってくる、あるいは行ってまた違う場所に行くといった、移動する機会を選択可能なものとして持ち得る世代です。今までなら外に行くといえば欧米一辺倒でしたが、今はビザの要らないブラジルとか、日本とか、欧米以外にも学ぶところはたくさんあるはずです。

―そうした中、あなたはモロッコにとどまり、コンポラリーなダンスシーンを作ってきたのですね。

ウィーズゲン 私は目の前のプロジェクトに注力するのみで、シーンを作りあげたというつもりはないのです。ただ、私たちは恐れることなくクリエイティブな試みを推し進めてきましたし、私の次の世代はそれを受け継ぎ、より小さな、さまざまな種類のフェスティバルを、タンジールやカサブランカといった都市で立ち上げようとしています。彼ら彼女らもシーンの担い手であり、一つのヒストリーをみんなで作りあげているのです。

 
*1959年生まれのフランスの振付家。ヌーベルダンスの旗手のひとり。
**1973年生まれ。ダンスの近年の変革を推し進めるフランスの振付家のひとり。KYOTO EXPERIMENT 2016 SPRINGに公式参加した。
 
2019年7月11日 ホテル アンテルーム 京都にて 
聞き手・構成/竹田真理


竹田真理(たけだ・まり)
東京都出身、神戸市在住、ダンス批評。2000年より関西を拠点にコンテンポラリーダンスを中心とした取材・執筆活動を行う。公演レビューのほか記事や評論を一般紙、ダンス専門誌紙、ウェブ媒体等に寄稿。国際演劇評論家協会会員。

 
(後編へつづく)

ARCHIVE

  • ブシュラ・ウィーズゲン『Corbeaux(鴉)』(2019) 元離宮二条城、平安神宮 撮影:浅野豪

    ブシュラ・ウィーズゲン

    『Corbeaux(鴉)』