Interview

山城知佳子インタビュー

《土の人》(2016/2017) 協力:あいちトリエンナーレ2016 ©︎ Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates 《土の人》(2016/2017) 協力:あいちトリエンナーレ2016 ©︎ Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

出身地・沖縄を主題に写真や映像作品を制作しているアーティスト、山城知佳子が、KYOTO EXPERIMENT 2018に参加します。あいちトリエンナーレ2016にて発表された代表作《土の人》の展示とともに、同作から発展させたライブパフォーマンス『あなたをくぐり抜けて―海底でなびく 土底でひびく あなたのカラダを くぐり抜けて―』が世界初演を迎えます。《土の人》と新作パフォーマンス、沖縄戦の記憶の継承、声と言葉への関心について、お話を伺いました。

[インタビュー収録:2018年7月10日、ワコールスタディホール京都
聞き手:高嶋慈(美術・舞台芸術批評)]

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高嶋:まず、新作のパフォーマンス作品の構想についてお聞かせください。

山城:近年の作品のテーマがずっと「声」なんです。きっかけは、《あなたの声は私の喉を通った》(2009)で、サイパン戦を体験したおじいさんの証言をなぞった時に、「声が自分の体の中に入り込んだ」というイメージが出てきたことです。それまでは、私自身がパフォーマンスをしていたのですが、自分の体の中のことを表現するためには、フィクションの力を借りるしかないと思い、映像作家に移行していきました。約10年、映像作品をつくっていますが、いつも前の作品の続きで、連作です。体に入った「声」に肉が付いた感覚から《肉屋の女》(2012)ができて、次の《土の人》はさらに「声」が増えて、呟きというか言葉になった感覚です。詩を暗誦する場面があったり、自分の発話を取り戻したいという感覚もあります。

《あなたの声は私の喉を通った》(2009) ©︎ Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

 
実は、試演的なパフォーマンス作品は2回ほど発表しています。昨年11月、東京の三鷹で「TERATOTERA祭り2017 Neo-political~わたしたちのまつりごと~」に参加した時、沖縄戦のフィルム映像に、ヒューマンビートボクサーが奏でる銃撃音を付けて、空爆のさなかにいる疑似体験ができるような空間をつくりました。これが好評で、音への可能性をすごく感じました。フィルムの映像を無音で見せる時間と、ヒューマンビートボクサーの肉体がライブで出す音が付いた時間とで、すごく場面が変化することを体感できたんです。これを再編集したものが、今回の新作パフォーマンスの第1章になります。公式日本チャンピオンの経験もある、Sh0h(ショー)というヒューマンビートボックス・アーティストに参加していただきます。彼とは三鷹で一緒に共演しました。
第2章では、Tokiiiというヒップホップのアーティストに参加いただき、何を話すかを一緒に考えながら、音から言葉へ、ヒューマンビートボックスのビートから、ヒップホップのリリックに移行するという流れを考えています。これまでの作品、特に《土の人》では、死者かもしれない人たちの声が聴こえている、残響していると捉えています。音って、振動が耳に届くまでのごく僅かな間、空中に漂っているわけで、スローモーションのように伸ばしたら、ずっと漂っている音がきっとあって、それをキャッチできるかどうか、聴き手の感性が問われている。それを第3章で、「残響する音」として構成しようと思っています。具体的にはDJ SHOTAというDJに参加してもらい、さっきのヒューマンビートボックスの音やヒップホップのラッパーの言葉を、機械でループさせたりして、音そのものを漂わせたいと思います。同時に映像も制作して、「ここに漂う音」と響くような形にしたい。映像も過去の残骸というか、温存された時間じゃないですか。映像のテーマは「フラッシュバック」と「戦争とエロス」です。「戦争とエロス」については、この2つが自分の中でどう絡まっているのか、今から謎解きするので、言葉にしづらいんですけど、洞窟で撮影する予定です。洞窟は、喉や体内の空洞など、人の体を感じる空間です。また、ガマと呼ばれる沖縄の洞窟は、人々が逃げ込んで生き延びた場所で、集団自決で肉親を殺し合った場所でもあり、沖縄にとって命を語る上では避けられない空間です。洞窟化した舞台でフラッシュバックのようにリミックスされた映像とDJサウンドを体感し、命のつなぎについて考えたいと思っています。
「エロス」は命をつなぐ意味でも根源的な欲求に関わっていて、次の4章では、種が芽吹いて、花が咲く中、手拍子のクラッピングが鳴り響く…《土の人》のラストシーンをナマでやろうと思っています。肉体がなく、温存された時間から、4章では、実際に会場いっぱいを埋め尽くした、観客も取り囲んだ出演者たちで、はじけるように手を叩いて、ラストシーンを再現する。もう映像を飛び出しちゃうというか。

ただ、どう実現するのかという問題に今、直面しています(笑)。今までだと映像の編集で何とかなったものを、実際の現場におろしてこないといけないので。新たなチャレンジです。映像制作でスタッフとの交渉や段取りは慣れてきましたが、まだ劇映画を撮ってないので、演出に関しては弱いなと自覚しています。映画はどうしても、撮影に手いっぱいで、俳優を大事にする時間を持てない制約がありますが、舞台芸術だと、二度と再現できない一瞬に向かって、一緒に過ごせる時間をもっと持てる。その経験が今回できるので、今後つくりたいと思っている劇映画にとっても糧になると思います。実は去年、沖縄で演劇塾に入って勉強もしています。

高嶋:山城さんは以前、「ラマンオキナワ」というユニットでパフォーマンス作品も発表されていたので、その時に培った経験もあると思うのですが。

山城:その経験から活かされているのは、作品を撮る時に、必ず一回は自分で体験したい、自分の体で体感した中から作品のイメージを生み出す、ということです。今回は、パフォーマーの方を信頼して託す部分もありますが、やっぱり自分の身体的な感覚で掴まないと信頼できない、その感覚の重要度は保つと思います。他の映画監督には、そこがスタンスの大きな違いだと言われました。私の場合、水中のイメージを持ったら、自分が免許を取って潜らないと次のシーンが見えないんです。ある種、心象風景のドキュメンタリーだと思います。自分が次のイメージを見るための体験だから。ドローイングみたいにつくっているのかもしれません。一筆描いたら次の一筆が見えるみたいな。

高嶋:初めからきっちり構成を決めないんですね。

山城:はい。疑います、ホント?って。それってどこかから、いつの間にか入ってきたことじゃないのかって。その時に直感的に出てきたものの方を信じて、すぐ変更します。でもそれが、大きなシステムの中でつくる際に、融通がきかなくなるので、つくり方の模索はずっとしなきゃって思っています。

高嶋:《土の人》に話を戻すと、圧倒された場面が多数あるのですが、やはり沖縄戦の映像にヒューマンビートボックスが被さるシーンが衝撃的でした。機械の合成音ではなく、生身の人間の声が必要だと思われた理由をお聞かせいただけますか。

山城:沖縄戦の体験を語る際、ヒューマンビートボックスのごとく、おじいちゃんおばあちゃんがダダダダダっていう「音」で表現することが多いんです。沖縄の戦争を体験した時に20歳くらいだった高齢のおじいちゃんおばあちゃんは、うちなーぐちで語る方が饒舌で、日本語で説明が難しい時には、擬音語や擬態語によく頼ります。
もう一つの理由は、《土の人》の戦争シーンは、戦争そのものの表現ではなくて、穴から出てきたギョロ目のおじいちゃんが唯一の戦争体験者の役で、自分の経験を思い出している。後で穴から顔を出す若い人たちは、そのおじいちゃんの脳内スクリーンに映る戦争を一緒に見ているんです。記憶の中の映像だから、おそらくその音はおじいちゃんがつくっている。音は、自分の想像力でアクセスできる分、他者の経験により近づけるんじゃないか。だから、ヒューマンビートボックスの音を一つのメディアとして採用しました。でも、映像としては矛盾しますが、あれはアメリカ側が撮った映像です。実際に戦場にいた住民側の人が見た光景は見れないし、アメリカ側が残したフィルムしかない。でも、アメリカが撮った映像を後で見て自分たちの歴史が頭に入ってくる、そういう当時敵国だった人の目線で見た沖縄戦と交錯しながら、自分たちの歴史を認識していくという複雑な戦後の過程もあると思うので、のちにカルチャーとして根づいたヒップホップのヒューマンビートボックスで表現するという手法を使いました。

《土の人》 (2016/2017) 協力:あいちトリエンナーレ2016 ©︎ Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

 
あとは、やはりアメリカ文化が沖縄には根付いていて、ヒップホップもヒューマンビートボックスも、今の若者にすごく人気で、自分たちの言葉をのせるための重要なカルチャーになっています。それも沖縄に鳴っている音として、重要な要素の一つだと思いました。また、記憶の継承を考えた時に、身近なカルチャーの音が鳴っていると、若い人にもアクセスしやすいと思うんです。そういう色んな理由を交えて採用しました。

高嶋:なるほど。ヒューマンビートボックスは、後半、銃撃音からクラブのダンスミュージックに変化しますよね。クラブカルチャーは、初期作品の《OKINAWA 墓庭クラブ》(2004)でも登場していて、琉球文化の伝統的なお墓の前で現代的なクラブミュージックが流れ、山城さんがひたすら踊っています。古い琉球の文化がもう冷たくなり、同じ空間にアメリカからもたらされた若者のカルチャーが奇妙に共存していると感じました。
先ほど、作品は全て続編だとおっしゃいましたが、山城さんの作品は、色んなところでつながっていると思います。声や記憶の継承というテーマは《バーチャル継承》(2008)もそうですし、死者の声が時間差を通して響くというのは、《沈む声、紅い息》(2010)でも感じました。花束のように束ねられたマイクが、海に眠る死者に捧げるように海中に投げ込まれた後、ボコボコと泡が上がってきます。あの作品では、息は空気の泡として出てきますが、何をしゃべっているかは聴こえませんでした。でもその後の作品、特に《土の人》になると、マイクに封じ込められた息が具体的な声になって、スクリーンを見ている私たちの方に届いてくる感覚があります。

《沈む声、紅い息》(2010) ©︎ Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

 
山城:そうですね。言葉に結び付けたいという気持ちが今、あります。そのために、パフォーマーの力が必要になってきています。

高嶋:ラップのシーンで何をしゃべるのかは、ラッパーの方と相談して決めていくのですか?

山城:はい。私が刺激になるようなテキストを送って、でもあまり誘導せずに、何かを生み出してほしいと思っています。ラッパーのTokiiiさんは沖縄出身で、東京で活動している方で、最近、死というものを個人的に考えている時期だそうで、死者の残響の声というテーマに関心を持ってくださっています。

高嶋:ちなみに、どういうテキストですか?

山城:崎山多美さんという沖縄出身の小説家の小説から抜粋しようと思っています。崎山さんの小説は、音でできてるんですよ。最新作の『クジャ幻視行』は、死者との対話がテーマで、主人公が沖縄戦を本にまとめているところだったと思いますけど、死者との交信が突然始まって、その交信の音が擬音語として文章の中にいっぱい出てくるんです。
元々、音に敏感な小説家で、ベトナム戦争時代に米兵の繁華街として街ができ、今は廃れた、ロックの街コザの出身の人です。基地があると、貧富の差が激しいんですよ。働かなくても年間何千万円の収入がある地主と、その隣にすごく貧乏で両親もいなくて、おばあちゃんに育てられた子供が学校に行かずにたむろしてるとか。本土復帰の前後に、レイプ事件が頻繁に起こった時期に思春期を過ごした方なので、小説の内容がすごく暗いんです。違う人が見れば、青い海と青い空のリゾートの素敵な場所なのに、狭いアパートに閉じこもってる人を描いたりする。今ヒップホップで有名になったラッパーの方の話を聞くと、そういう出自だったりして、音大で習うものじゃない音楽のカルチャーがあったから救われる人もいる。ヒップホップがアメリカ文化ではもう語れない、沖縄に定着して、若者の言葉として力を持っている、そこから表現者になった人と崎山さんの文章が今回のパフォーマンスで出会えたら良いなと思っています。
あとは、沖縄戦の証言で、逃げ惑う時に聴いた銃弾の音が「パーランクーの音みたいだった」という証言があります。「パーランクー」はエイサーで叩く太鼓で、銃弾の音を自分たちの民族楽器で表現するなんて斬新と思ったので、「どう思う?」ってラッパーの彼に送って、いっぱい読んでもらおうかなって。こうやってクリエーション過程で、私も調べるし、教育じゃない現場で、10〜18 歳くらい下の彼らと共有していく沖縄戦があるのかなと思います。

高嶋:次に、今回のKYOTO EXPERIMENT 2018のテーマ「女性」についてお伺いします。《肉屋の女》はかなりストレートに女性性を扱った作品だと思いますが、一方、例えば《アーサ女》(2008)では、山城さん扮する「アーサ女」に海藻がヒゲみたいに絡み付いて、ジェンダーを撹乱している印象を受けました。ご自身の表現と女性性について、どのように考えておられますか?

《アーサ女》(2008) ©︎ Chikako Yamashiro, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

 
山城:正直、かなり無意識に作品をつくってきたところがあって…、でも以前は、沖縄の中で感じる男尊女卑に対する怒りは確かにあって、《アーサ女》の時が特にそうでした。でも、《肉屋の女》で、女性が女性を解体するシーンがあるのですが、自分で自分の体を解体するイメージで、解放感が出てきたんです。さっき言った、声が増幅して肉が付いて、自分の内側からメリメリっと、他者が私を壊してしまうイメージを持っていて、乗っ取られるんじゃないかと恐怖心がすごかった。でも、作品をつくる中で解体して切り裂いた後は、他者と交わって生きる、しかも死者と共に生きる感覚は心地よいというか、沖縄に生まれることでそういう感覚を持つことはすごく良いことだなあと、逆に気持ちが解放的になったんです。でも、《肉屋の女》は、男性/女性の構図で描いたようになってしまったので、《土の人》では、あまり女性性で語られたくない意識が強くありました。

高嶋:むしろ《土の人》では、済州島と沖縄が映像の中で混じり合って見えたり、音響的にも日本語と韓国語が混ざっていたり、二項対立的な図式や境界が溶け合う感じがありました。

山城:そこを意識しました。でも、《土の人》をつくった感触はカラカラしてるんですよ。湿った土や泥が出てくるのに、乾いた土のひび割れの感触なんです。だから、次の作品は湿りたい、ぬめりたい、闇に戻りたい欲求があります。そうすると自分が感じるエロスの感覚で表現せざるをえないから、女性的な感性は出てくるかもしれません。
もしかしたら、《土の人》はハッキリし過ぎたのかもしれません。拍手が一つのリズムにまとまっていくラストシーンに対して、権力的だという感想を聞きました。それに対して別の方が、国家権力に対して民衆が声を上げる時には、声を揃えて言うしか届かない、それを権力と言うのは違うんじゃないかという意見をおっしゃいました。その意見は腑に落ちました。辺野古のゲート前に何回も行ってますが、絶対声が届かないですから。《土の人》は声を揃えて民衆が言い切ったシーンで終わっている分、分かりやすさはあるし、人にクライマックスを与える作品ではあると思います。その次はもっと曖昧な、微細な感情を拾いたい、細やかに言葉を通してしか伝えられない内面のことも表現したいと思っています。

高嶋:《土の人》の前半では、詩の一部を使われてましたよね。

山城:はい。中里友豪さんという沖縄の舞台役者で、詩人の方の詩を引用しました。

高嶋:特に女性が韓国語の詩をリフレインするシーンは、すごく音楽的なものを感じました。

山城:まだ朝鮮半島が南北に分かれてない頃の、名もなき詩人たちの詩を、金時鐘さんが編集した本から引用しました。「石よ木よ風よ 起きなさい」と呼びかけるような詩です。そうした朝鮮時代の詩と、うちなーぐちを混ぜこぜにして、言葉だけど音の扱いにして、しゃべってもらったりしています。

高嶋:詩が小説と違うのは、音のリズム感もあると思います。声に出して読んでみたりするのでしょうか?

山城:小さく声に出したりはします。選んだ詩は、やはり音が気になったものが多いです。例えば、「ボゴぼごボゴぼご…」という部分は、「ボゴボゴ」という水の音と、「母語」をかけていたり。歌から言葉への途中やあわいに関心があります。完全に言葉になったら、普通になって面白くなくなっちゃうのかな。言葉と音とリズム、そして声。誰かがいたから残った声の振動とか。それがパフォーマンスで出せたら、すごく面白いですよね。今ヒューマンビートボクサーが出した声かもしれないけど、その彼のボディを感じさせないで、過去のものを想起させながら、この振動を今リアルに感じられたら。それがパフォーマンスでできたらいいなと思います。

ARCHIVE

  • Photo by Kai Maetani

    山城知佳子

    『『土の人』(展示)
    『あなたをくぐり抜けて―海底でなびく 土底でひびく あなたのカラダを くぐり抜けて―』(パフォーマンス)』