Essay

リレーコラム2018 #03
シャ・ケージ/Womanist Performance Politics

Photo: Uche Iroegbu Photo: Uche Iroegbu

「女性」をめぐるリレーコラムの第三回の著者はアメリカでパフォーマー、作家、キュレーターとして活動するほか新しいプロジェクトを創り出す活動を続けているシャ・ケージさん。
本コラムのタイトルにもある、ウーマニズム(Womanism)とは、フェミニズム運動が主に白人の女性によって担われ、性差別だけを問題としたのに対し、黒人の女性が中心になって、性差別、階級差別、人種差別を併せ持った問題としてフェミニズムを捉え直したものです。

リレーコラムについて:
KYOTO EXPERIMENT 2018では女性アーティストおよび女性性をアイデンティティとするアーティスト/カンパニーにフォーカスを当てプログラムを構成。「女性」という言葉を前面に出すとき、私たちは日常の会話や慣習から感じるふとした違和感から、社会の制度、歴史的にみたジェンダーの問題まで、現代社会の一側面を切り取る様々な視点に気づきます。このリレーコラムでは、分野の異なる専門家によるコラムを紹介しながら、フェミニズムの問題を女性だけの問題にせず、社会全体の問題とし、観客のみなさんと一緒にプログラムのテーマへの理解を深めるとともに、学んでいきたいと考えています。(リレーコラムは2週間に1回更新予定です。)

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Womanist Performance Poltics

fe·male • ˈfēˌmāl
形容詞
子供や卵を産むことのできる性別のこと。生物学的には、雄性配偶子によって受精する配偶子を形成すること。
例. 雌の鹿の群れ

名詞
女・動物の雌・植物の雌株 

誰もそうとは教えてくれないが、現代において女性であることは、それなり、なかなかの妙技なことであるを要する。古めかしい「女性らしさ」の定義や女性らしくあることに抵抗し、ためらったり、恐れたり、躊躇することなく、生まれながらに持っている性を取り戻すということ。つまり、日々変わるダンスだけではなく多くの男性がするように振付を踊りこなし、いくつかの事を巧みにやりくりする術を身につけるということ。。。。

ナイジェリア出身の女性作家チママンダ・ニョジ・アディチェ*1 はこう語っています。
大学院でライティングクラスを教えることになった時、授業の内容ではなく、何を着ていくかで悩みました。
授業内容は念入りに準備していましたし、自分の好きな事を教えているので、何ら不安はなかったのですが、自分が生徒からなめられるのではないかと心配でした。
女性であるというだけで、まず自分の存在意義を証明しないといけないのです。
あんまり女性らしい格好をしていったら、まともに受け入れてもらえないのではないかと。本当はお気に入りのリップグロスを塗って、ガーリーなスカートをはいて行きたかったのですが、やめておきました。
真面目で男っぽい、ダサいスーツを着て行くことにしました。残念ながら、「男性っぽい」外見というのが、女性にとってのデフォルトであり、一つの規範になっています。多くの人が、あまり女性っぽくない方が、相手に真剣に受け止めてもらえると考えています。
会社の会議に向かう男性が、何を着て行くかで悩むということは、あまりないと思います。一方、女性は悩みます。今思えば、あの日、あんなスーツを着て行かなければよかったと思っています。今の様に、自分らしくあることに自信を持てていたら、受講生たちにもよい影響を与えられたのにと。
ありのままの自分で幸せな姿を、みせることができたからです。女性であることに引け目を感じるのは、やめようと思いました。
そして、私の持つ女性らしさに対しても、リスペクトして欲しいと思っています。そうあるべきだからです。
私は政治と歴史が好きで、様々な概念について議論することが好きです。私はガーリーファッションが好きで、ハイヒールやいろんな口紅を試してみるのが好きです。男性からも女性からも、褒めてもらうと嬉しいです。(個人的には、オシャレな女性から褒めてもらうのが一番嬉しいです。)
でも、男性受けしない服をよく着ます。私がその服が好きで、着ていて心地がいいからです。
「男性のまなざし」が私の人生の選択に及ぼす影響は、いたって偶発的なものなのです。

アメリカにおける女性の立ち位置は、過去数十年で劇的に変化してきた。例えば、多くの女性が家庭内での労働から社会に出て雇用され、新しい役割を担うようになった。1960年代に働く女性の割合は、全労働者の3分の1であったが、今や、おおよそ5割へと推移している。数が増えただけでなく、仕事の内容も、リーダーとして活躍する女性が増えてきている(拍手!)。公職に立候補する女性の数は、2012年から2018年に史上最多となり、女性が占める割合も着実に増えている。経済的およびリーダーシップ的な躍進に加え、健康面でも女性を取り巻く環境が向上した事で、仕事場での安全と経済的な安定が担保されるようになった。

とはいえ、パフォーミングアーツ・センターやアート施設における状況は、未だ旧態依然したものがあり、女性の活躍および多様性において課題が残る。女性アーティストが乗り越えなければならない格差があり、非常に不利な環境にある中で、多くの研究が、白人以外のアーティストが置かれている状況は、さらに劣悪であることを明らかにしている。

こうしたなか、「# BlackGirlMagic *1」を始めとする一連のキャンペーンは、非白人女性アーティストのストーリーを共有することで、問題意識を高めるだけでなく、「すべて」の女性(特に、今まで周辺化され疎外されていた人々)を評価することに一役かっている。体系的な差別は、パフォーマンス・アートの分野においても、目に見える形と見えない形で、個人や集団に不利益を生じさせている。アート界におけるジェンダーの不均衡だけでなく、非白人女性アーティストが二重に不利な立場に置かれている事実について、もっと議論されることを願っている。

今この時代に女性であることに、大きな可能性を感じている!そしてキュレーター/パフォーマーとして、今までもこれからも壊していかなければならない様々な壁があると感じる。柔軟性とパワー、情熱と洞察力といった、女性に備わった特性を受け入れ、女性であることの責任を強く感じる。「Me Too」運動で声をあげたすべての女性を称賛する。女性であることの意味を、もっと深く話し合うために、「W」のバッジを身につけよう。一般的な文脈であろうと、アートの文脈であろうと、ジェンダーの話は複雑で、時に逆説的で、多くの人を気まずくさせる。黙り込んでしまう人も、饒舌になる人もいる。現状を変えるのは簡単なことではない。

でも、多くの人がクリティカルに物事を考える準備ができているという点において、今の時代はエキサイティングだと思う。

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*1 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
1977年、ナイジェリア南部のエヌグで生まれる。03年発表の初長編『パープル・ハイビスカス』がハーストン/ライト遺産賞やコモンウェルス初小説賞を受賞し、ビアフラ戦争を背景にした長編『半分のぼった黄色い太陽』は07年のオレンジ賞を最年少で受賞してベストセラーとなる。09年9月に国際ペン東京大会に招待されて初来日した。13年に『アメリカーナ』で全米批評家協会賞を受賞。一児の母となってからも、ナイジェリアと米国を往復しなが旺盛に活躍をつづけている。
13年のTEDx talkではアディーチェが『私たちはみなフェミニストであるべきだ』というスピーチを行ったが、のちに歌手のビヨンセがこのスピーチの一節を引用し曲を発表。グラミー賞にもノミネートされた。

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*2ブラック・ガール・マジック(#BlackGirlMagic)とは
2013年にCaShawn Thompsonによって広がり始めたコンセプトでありムーブメントで、「黒人女性の美しさ、力と弾力性を祝う」方法として生まれた。当初オンラインで生まれたこのムーブメントはやがて世界中に広がり、多くの団体や組織がこのタイトルを使用してイベントなどを行っている。

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観客にお勧めしたい書籍
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ (著), くぼたのぞみ (翻訳)
『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社、2017)

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シャ・ケージ(Shá Cage)
ミネアポリスのカルチャー誌City Pagesが選ぶ2017 ARTIST OF THE YEARにも登場し、パフォーマー、作家として活動するほか新しいプロジェクトを創り出す活動を続けているシャ・ケージ。Catalyst Arts in Minneapolisのディレクター兼シニアキュレーターであり、パフォーマーとしての公演はアメリカ、カナダ、南アフリカ、ヨーロッパ、東欧、西アフリカなど多数。また、エミー賞(地域版)、アイビーアワード、McKnightフェローシップなど数々の著名な賞を受賞しているほか、インサイトが選ぶ「現代の優れたアーティスト」、Women’s Pressが選ぶ「チェンジメーカー」、City Pagesが選ぶ「ベストソロアーティスト」など様々な場面で注目されている。
ケージの作品「Khephra: A Hip Hop Holiday Story」(2017年世界初演)は大変好評を博しており、近年は「Hidden Heroes」というタイトルの新しい戯曲を委託され手がけた。そこでは、NASAでかつて働いていた”コンピューターのような”黒人女性についてが描かれている。