InterviewEssay

リレーコラム2018 #07
井上八千代/インタビュー

京舞井上流 五世家元井上八千代 京舞井上流 五世家元井上八千代

日本舞踊京舞井上流は、京都五花街の一つ祇園甲部が習う唯一の流儀として知られ、代々女性によって受け継がれてきました。「女性」をめぐるリレーコラムの第七回は、この京舞井上流の五世家元井上八千代さんへのインタビューでお届けします。

リレーコラムについて:
KYOTO EXPERIMENT 2018では女性アーティストおよび女性性をアイデンティティとするアーティスト/カンパニーにフォーカスを当てプログラムを構成しています。「女性」という言葉を前面に出すとき、私たちは日常の会話や慣習から感じるふとした違和感や、社会の制度、歴史的にみたジェンダーの問題まで、現代社会の一側面を切り取る様々な視点に気づきます。このリレーコラムでは、分野の異なる専門家によるコラムを紹介しながら、フェミニズムの問題を女性だけの問題にせず、社会全体の問題として捉え、観客のみなさんとプログラムのテーマへの理解を深めるとともに、学んでいきたいと考えています。(リレーコラムは2週間に1回更新。)

____________________________________________________

井上八千代インタビュー

 

Q 女性の身体性や女性像をどう捉えているか
女性であるということを特に意識しないパフォーマーもいれば、女性の持つものを生かした表現をしたい人もいて、様々だと思います。私自分自身はやはり京舞の流というのが女性の芸能であると思っています。子供さんで男の子なんかをちょっと教えたこともありますけれども、男の人がこの世界に入ってきたとすれば、その人に何を移していいかなというのはすごくためらうと思う。長らく女性が多かった芸能ですから、女性特有の形や、仕草なんかが、私どもの中にはあると思うんです。やはり私どもは、女形の芸風とは違う「女性であること」を生かしたいなと思います。

その中で特に思うことは、簡単な言い方をしてしまえば、理想とすれば、芯が固くて外が柔らかいというのかな。そういうものが女性の芸能の特質ではないかなと思うんです。

これは洋の東西問わず、例えば日本のバレリーナでいえば森下(洋子)さんなんかも、とても日本的やなと感じます。女性の持つ芸能のよさと、日本的なものを併せ持っておられる。

例えば草木を愛でるとか、お月さんを見るとか、自然に心を動かされるとする。そういう時の表現も女性は男性とは全然違うと思うんですね。女性ならば心や感情の動きを、そのままかわいいなとか、美しいなとか、愛しい気持ちなどを形にしやすいけど、男性の場合は一歩引いて見るというのでしょうか。
ですから、感じたことをそのままの感情で表すのは、ある意味女性的であるということになるのかな。

それと、私たちには男性の舞というのもあります。これは、女性の舞う男の面白さみたいなものでしょうね。男の方が女性を作るというのとまた違って、身体的な面では構えが違ったり、自分の中の芯になるものをもっと固くすることが表現の方法としてあります。女性の捉えた男性像というんでしょうか。

 
Q 現代の女性について感じることは
正直なところ、私も、現代というのは実際は男性社会であるかな、という風に思ってます。
だけど今のセクハラの問題にしろ、女性があれだけ大きな渦のように、大きな問題にできるようになったというのは、女性が時代の流れとともに実際に変化し、強くなったということでしょうね。身長もすごく大きくなってスタイルも変わってきてますよね。日本人の男性も女性も変わってきている。
そういった中でもっと女性の強さというのが出て来てもいいのかなと思います。
ただ、どこかで私たち女性の方がどちらかというと色んな意味で感情的になりやすいというんでしょうか。普通の会議の場でありますとか、色んなことを考えるときに自分に寄せて考えてしまう。客観性が足りない。それと平常心を保たないと。男の人は一歩身を引いて物を見られるところはあるんじゃないでしょうか。女の人で仕切りきれない場面もありますから。両方いていいんでしょ。どっちかばっかりならやはり具合の悪いとこがあるんやないでしょうか。

 
Q 女性が芸能の世界で仕事をしていく上の挑戦は
自分にないものを求めるという意味で、男性の踊りというものに興味があります。同じ題材であっても、表現であっても、やはり男の人にしかできないやり方や、線、身体的なバランスが違いますので。
そして、私たちも年がいきますから。それが年齢で淘汰されるのか、あるいはある意味で切り開いていかなければならない部分もあると思っています。
ある年齢に達したときに、男性でも女性でもなく、とても抽象的な在り方の表現ができると面白いなと思うようになりました。それまではどちらかというと、可愛らしいおばあさんになって芸能を続けたいと思っていたんですけど。女性が中性的な存在になるということもありなのかなと。

女性の方がそれぞれ老いていくときの節目みたいなのは、男性より(はっきりと)あるような気がするんですけどね。
10代の終わりから、もしくは今まで子供だった人がお嬢さんになって、いきなり大学生になったときに綺麗になって…という、普通の素人のお弟子さんを見ていてもびっくりするようなことがある。そういう節目節目の変わり方の段階が男性よりも女性の方が多いのかなと。そういうことを乗り越えていって続けるというのが、女性にとっての一つの課題かもしれない。

私たちが老いというものに差し掛かったときの在り方みたいなものも、女性と男性ではちょっと違うような気がしますね。不思議なもので、先ほどの中性化も、抜けたときはいいんですけども、そこへ至るまでの若いときの美しさと、その間の時期というのが辛いものがある。私ももうちょっと年いきたいなと。自分の中で中途半端やなと、そういう時があるように感じております。

それと、私たちは女性ばっかりですので、女性の後見でしております。ですけれども不思議なことにね、自分をなくすという意味ではなんか男の方の後見の方がごく普通に見られる場合もある。
女性の後見は、生な感じがするときもありますね。

 
Q 京舞井上流にとって、変わらない軸とは
私の知ってる京舞の流というのは、現実には私の師匠の時代からなんですよね。私の師匠はとても生真面目な人やったんで、ひょっとしたら色んな感情を表していたのは舞台だけやったのかもしれない。普段も喜怒哀楽激しいときもありましたけども、一番自由にものが言えたのが舞台やったんかもしれない。それでもうちの流儀は堅苦しいって言われてます。つまり嬉しいとか楽しいということ、割と内輪にしか表さないので素っ気ないというんでしょうか。井上流らしさというのは、やはりあんまり露骨に感情を出さないということかもしれない。その方がうちらしいのかもしれないけど、とっつき悪いと思います。もう間違いなくそういう風に思っております。サービス精神が足りないっていうんでしょうかね。

— それは京都の街と何か関係があるんですか?

今まではね。そういう風に思ってました。でも京都が変わりつつあるから。もっと声を出してものを言う人が増えてますよね。お客さんもそうやと思うんです。良かったときも悪かったときもあんまり仰らない方が多かったのが、今は違いますから。早い答えが求められるパフォーマンスの方が受け入れやすいんじゃないかなと。それはちょっと私たちにとっては辛いことでもあります。分かりにくさというのとどう立ち向かうか。である一方では、花街の人のためにも、やはりお客様に受け入れていただきやすいものをするべきなのかなと思いながら。
今までの私たちにとってもお客様は意外に男性が多かったと思う。だけれども、同じ女性に共感してもらえるということ、それは何なのかなということを考えれば、男性の好む良さと、女性の好む良さ、やはりちょっと違うかもしれない。ひょっとしたら強い女性といのは、女性にとっての女性かもしれないなと思ったりしております。
ですから井上流の京舞っていうのはちょっと強すぎる面があるかもしれんなと。素っ気なさっていうのもそれだと思うんですよね。
女性か女性像として変わらない軸があるとしたら、そういうことでしょうね。

ある意味での芸妓さんというのもそうだと思いますよ。昔の言葉で言えば、張りと意気地のということを言わはりますけども。ある矜持(きょうじ)を持っているかどうかということが、彼女たちの美しさを増すということになる。ただへなへなするというのとちょっと違う。

 
Q 変化する街を見つめて感じる事は
祖母から家元を継ぎなさいと言われて、代替わりした後、ええ加減経ちましたけども、そのときに預かったお弟子さんは私よりもずっと先輩でしたし。その人たちに教えることはとても辛かったですけど、逆に教えてもらったなということはたくさんありまして。その人たちにはそれぞれ風は違っても、一本筋の通ったところがある。その世界の中で生きてきた誇りみたいなものをすごく持ってはりましたね。そういうことを誇らしく思ってはる人たちを、作っていった人たちがいはったということ。これがやはり大したもんです。これからも花街というものを存続させるならば、それぞれの人に誇りを持ってその仕事をしてもらわないといけないなと思います。若いときには、正直私にも理解できない部分があった。十五や十六から二十歳ぐらいの人たちがサービス業をしながらする舞踊は、ただ舞踊をするのとはどう違っているか分からなかったですけどね。その世界の厳しさみたいなものの中で、頑張っている人たちを見てたら、これはすごいことやなと思いましたし。

理解がしてもらえるかどうかはちょっと分からないけども、京都にたくさん花街はあるけど、それぞれの花街の伝統みたいなものがつながっていくようにするべきやと思うし、それぞれ違った良さがあると思っております。時代の流れと共に変化するし、実際の舞にも影響が出る。女性の身体性、体そのものも変わってきはりましたね。舞妓さんなんかでもびっくりするような大きい人もいはるし、男の人で歌舞伎の役者さんなんかでも、お顔が小さくて。だからその形っていうものが、今までにはなかったものやから戸惑いがあるけれども、そういう風な変化っていうのも一つの時代の変化かもしれんし。

2018年夏インタビュー
______________

井上八千代
京舞井上流五世家元。観世流能楽師片山幽雪(九世片山九郎右衛門)の長女として京都に生まれる。祖母井上愛子(四世井上八千代)に師事。昭和34年井上流入門。昭和45年井上流名取となる。昭和50年学校法人「八坂女紅場学園」(祇園女子技芸学校)の舞踊科教師になる。平成11年芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞。平成12年五世井上八千代を襲名。平成25年紫綬褒章を受章。同年日本芸術院会員となる。平成27年重要無形文化財各個指定(人間国宝)に認定。