Essay

[チョイ・カファイ 寄稿文]佐々木宏幹「降霊」とは何か

Photo by Katja Illner Photo by Katja Illner

 「降霊」は「憑霊(ひょうれい)」と同義に用いられることが多く、文字どおり霊が憑(つ)くことを意味する。「霊が憑く」とはどういうことか。
 まず「霊とは肉体に宿り、または肉体を離れても存在すると考えられる精神的実体。たましい。たま。さらにはかり知ることのできない力のあること。目に見えない力のあること。その本体」とされる(『広辞苑』、岩波書店)。
 私は「霊」とは「普通の人の眼には見えない人格」であると考えてきた。もちろんこれは人間の場合であり、動物については獣格とか魚格などと呼ぶ必要があろうか。
 いつ頃から人間は「霊」を知りえたのだろうか。知りうる限り、動物(猿類)が人間(人類)になったときと言えようか。
 より端的に言えば人間が「宗教」という文化をもつに至ったときと霊の発見または創造とは、同時と見てよいのではないか。
 宗教の機能の重要な一つとして、霊への対処があり、仏教、キリスト教、イスラームも例外ではない。
 日本の仏教が「葬式仏教」などと批判されるのは、古くからあった死者霊への供養を利用して、教線拡大を企図した面があったからであろう。
 降霊の代表例としては、かつて東北地方で広く行われていた「口寄せ」がある。巫女に死者の霊を憑けて語らせるもので、参加者は皆涙しつつその語りに耳を傾けた。
 この巫女のことを学会では「シャーマン(Shaman)」と呼び、その様式を「シャーマニズム(Shamanism)」と称した。これらの語は旧満州とその周辺地域に住したツングース族やエベンキ族の宗教者「サマン(Saman)」に由来し、ロシア語を通じてヨーロッパに伝播し、世紀になると英語「Shaman」、独語「Schamane」、仏語「Chaman」として広く使用されることとなった。
 シャーマンには種々のタイプがあるが、大別すると二種類になる。
 一つは当該人物が神や死者を自分に憑けて神・死者に変身して言動するもの。他は神や死者と向い合って言動する場合。
 こうした言動を一般の人びとは「神がかり」と呼ぶ。
 この国の宗教集団には教祖が神がかりし、自分は何の神であると自称した霊が少なくない。天理教や大本教などがよく知られている。
 本年のKYOTO EXPERIMENTは「世界の響き」をテーマにするそうだが、これにちなんでシャーマニズムを名付けるとすれば「霊界の響き」となるであろうか。
 シャーマンの降霊=憑霊は、「霊界=神界の響き」にすこぶる敏感でないと不可能であろうからだ。
 何もシャーマンに限ったことではない。宗教という世界に生きるためには、まず霊界=神界の事どもに強く反応する「力」をみずからに具えておくことが前提となるのではないか。

参考文献:佐々木宏幹『スピリチュアル・チャイナ』大蔵出版、2019年


佐々木宏幹(ささき・こうかん)
1930年宮城県生まれ。東京都立大学現・首都大学東京大学院博士課程修了。現在、駒沢大学名誉教授、文学博士。専攻は宗教人類学・宗教文化論。主著に『シャーマニズムの人類学』弘文堂、『憑霊とシャーマン』東京大学出版会、『宗教人類学』講談社、『仏と霊の人類学』春秋社、『〈ほとけ〉と力』吉川弘文館等がある。

ARCHIVE

  • Photo by Kim Saji (umiak)

    チョイ・カファイ

    『存在の耐えられない暗黒』