Essay

[チェルフィッチュ×金氏徹平 寄稿文]藤原徹平「われわれは住む場所をどう信頼し、耕し、愛したいのか?」

©︎Shota Yamauchi ©︎Shota Yamauchi

 東日本大震災では余震を含め15,894人の方が亡くなった。死因の92.5%は「溺死」であり、東日本大震災は未曽有の津波災害であったことがわかる。津波の高さは、岩手県の大船渡16.7メートル、宮城県の女川14.8メートル、福島県の富岡町21.1メートルというすごい高さで、波は最大高さ43.3メートルまで遡上(そじょう)した。こうした調査結果を受けて、2011年6月には中央防災会議の専門調査会が防潮堤強化の提言を出す。
 東北の三陸側は津波が頻発するエリアなので、当然ながら震災前にも防潮堤は設置されていた。ただしその高さは3~4メートル程度であり、高いところでも6.4メートルだった。今回改めて防潮堤の高さが再設定されたが、高いところでは14.5メートル(ビルにすると階建て相当の高さ)という目を疑うような数値が提言された。また防潮堤だけでなく、高台への移住地計画が難しいところでは、低地部の大地をまるごと10メートル以上も盛り土する計画も発案された。こうした我々の身体スケールを大きく超える防災計画に対して、多くの反対意見や疑義があがった。
 反対意見としては、主に①景観の破壊(防潮堤の圧迫感、地形の魅力の欠損。観光産業への打撃)、②まちのアイデンティティの喪失(海との暮らしが生む文化や伝統への打撃)、③安全性への疑義(海が見えなくなるのでかえって危険。小さい津波に対処しない習慣がついてしまう)、④生態系への影響(地下水系への影響が未調査、近海の資源への影響の危惧)の4点からであり、どれも首肯(しゅこう)するものばかりだ。

 防災計画では、地区ごとの意見をヒアリングしながら計画することが試みられたが、人命に関わることであり、また互いに譲れない議論の応酬は、地域の人間関係を傷つける大変苦しいものであった。そして、結局のところ多様な意見が交わされるなかで、防災計画はトップダウンで決まっていき、ほとんどの国道・県道は10メートルを超える防潮堤に囲われ、多くの地域で10メートルを超すかさ上げ工事が進行している。徒労感を感じている関係者も多いはずだ。
 そんな中で住民の総意で反対し、どうにか防潮堤の高さを低くした地区もあった。なぜ彼らはリスクを選択し、防潮堤を低くすることを選択できたのか。その理由を探ってみると、「漁業者が漁にいくときに、きまって漁の無事を祈る神社のある島が見えなくなるのは困るから」とか、「浜の風景が自分たちの日常に溶け込んでいてそれを変えるべきではないと皆感じていたから」、というようなじつにまっとうで率直な意見が調査書に見つかり、私は動揺してしまった。どうしてほかの地区でこのようにまっとうな議論が通らないのだろうかと不思議に思った。
 しかし一方で、人命に関わるような選択がつきつけられたとき、風景への信頼ということを全員で共有できるほどに、われわれは自分自身が生まれ育った地域の風土や風景と、自分の人生を接続させて考えているだろうかとも思った。風土とは、そこに住む人が皆で慈しみ、耕し、愛することでしか形成されない。われわれは素晴らしい風景を求めて旅をするが、自分たちの暮らしの目の前の風景に参加し、そこを耕すことに対してはどこか無関心であるように見える。
 あなたが住んでいる街角の風景をどう信頼し、耕し、愛したいのか? 東北に生まれつつある風景の問題は、間違いなく自分たちの足元にまで根っこがつながっているのだと思う。


藤原徹平(ふじわら・てっぺい)
1975年神奈川県生まれ。横浜国立大学大学院修了。隈研吾建築都市設計事務所設計室長を経て、フジワラテッペイアーキテクツラボ代表。横浜国立大学大学院Y-GSA准教授。施主や施工者、大工、職人、構造設計者、設備設計者、デザイナー、工場のエンジニアなど多様な人たちとの〈開かれた対話〉のなかから〈新しい建築の可能性〉を探っている。

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  • チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』(2019) ロームシアター京都 撮影:守屋友樹

    チェルフィッチュ×金氏徹平

    『消しゴム山』