Essay

[庭劇団ペニノ 寄稿文]清水裕之「見る・見られることの多様性」

Photo by Shinsuke Sugino Photo by Shinsuke Sugino

 古い話で恐縮であるが、劇場に通うようになった時の印象を振り返る。
 当時、70年代初めはアンダーグラウンド演劇が全盛期で、本来劇場ではない地下室や仮設テントが劇場として使われていた。身じろぎもできないほど押し込められた客席で見る演劇は身体的には苦痛であったが、五感を揺さぶる刺激に満ちていた。また、ヨーロッパの馬蹄形形式の劇場(イタリア式劇場)では、幾層もの人の壁が見るエネルギーを増幅して濃密な鑑賞空間をつくっていることに興奮を覚えた。他方、建築の学生であった私には、建築法規などの制限を受けてつくられる近年の劇場では、人のエネルギーに満ちた濃密な鑑賞空間をつくることはできないのではという限界も感じるようになった。特に、すべての客席から同じようによく見え、同じようによく聞こえることが命題となり、みんな舞台を同じ方向から眺め、左右の観客の顔も見えず、自由度がなくなった空間に寂しさを覚えた。
 そこで振り返って、かつての芸能が、どのような場所で演じられ、見られているのかを探るべく、古い絵巻物などをしらみつぶしに集めた。そして、そこには多様な見る、見られる関係が存在していることに改めて気づいたのである。とくに神社の神事では、神と人間という相対する視線が舞人正反対の方向から向かい合い、さらに、その神事を傍観しようとする観客(招待者など)には、神と人の軸線に直行する横の位置が、神事を阻害せず、かつ、舞人に近づくことができるもっとも合理的な位置となっていた。江戸時代、街角のお茶屋さんで行われた漫才では、観客はコの字型に配された縁台に腰かけていたが、それらの縁台は必ずコの字型に配置され、観客同士の顔が見られるような関係にあった。今でも見ることができる文楽(人形浄瑠璃)では、出語り、出遣いなどが客席の多様な見方を異化作用として増幅しているように思われた。古い歌舞伎劇場では、舞台の後ろに客席の方向を向いて置かれた羅漢台と呼ばれる席や、その上に設置される吉野と呼ばれる席は舞台を後ろから見ることになり、舞台を見る点では不都合なのだが、通の観客にとっては自分の存在を際立たせる素晴らしいポジションだったのではないだろうか。
 セノグラフィーという言葉がある。一般には舞台美術という概念に近いのだが、舞台の説明のために舞台美術があるということを超えて、こととものが(劇場の)空間の中で関係性をもって展開してゆくこと、そのもの自体がセノグラフィーであるとの主張が、その言葉に込められている。演者や観客が多様なまなざしで、そこで起こる出来事(演劇)にかかわってゆくこと、そして、かれらの想像力を掻き立てる空間を、見る、見られることの多様性から、もう一度、見つめなおしてみてはどうだろうか。


清水裕之(しみず・ひろゆき)
建築家、劇場コンサルタント。岡崎市民会館芸術監督。1952年愛知県生まれ。東京大学建築学科大学院修了。名古屋大学名誉教授。主な作品に『ゆだ文化創造館』(1993年)、『彩の国さいたま芸術劇場』(基本構想・劇場計画、1994年)など。主な著作に『劇場の構図』(鹿島出版会、1985年)など。

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  • 庭劇団ペニノ『蛸入道 忘却ノ儀』(2019) ロームシアター京都 撮影:井上嘉和

    庭劇団ペニノ

    『蛸入道 忘却ノ儀』