Essay

[ウィリアム・ケントリッジ 寄稿文]岡本時子「旅人はどこへ?」

Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart. Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart.

 「冬の旅」ということばには、どこか謎めいたロマンが漂う。音楽を聴かずしても、このタイトル自体に心ひかれる人も多いのではないだろうか? 楽しさと明るさがあふれる「夏の旅」ではなく、寒く暗く、寂寥感あふれる旅だ。いったいどんな理由があって、旅人は冬に旅に出るのか? そして彼はどこへ向かうのだろう?
 シューベルトの連作歌曲集『冬の旅』で、この謎めいた旅人は、「おやすみ」ということばを残して恋人の傍らからそっと消える。しかも真夜中に徒歩で。しかし、この人物が誰で、女性との間にどんないきさつがあったのかは、一切わからない。旅の途中で彼は恋人を思い出し、かなわなかった恋を嘆く。これだけを語れば、この旅は恋にやぶれた傷心の旅であり、失恋からの逃避行に思えなくもない。
 しかし凍てつく寒さの中、あてどのない旅が続くうちに、いつのまにか恋人の存在は影を潜めてしまう。描かれる荒涼とした雪景色のなかに漂ってくるのは、壮絶なまでの疎外感であり、孤独感である。ここに映し出されるのは、近代社会から孤立している人間の姿だ。その姿を通して私たちは改めて人間の実存という問題に目をむけることになる。そうすると通奏低音のようにツィクルスのあちこちに「死」が影を落としているのが聞こえてくるはずだ。『菩提樹』の甘いささやきは、まさに死へのいざないであり、『道しるべ』が示すものとは、ハムレットが言う「旅だちしものの、誰一人として戻ってきたためしのない未知の世界」のことだと気づくだろう。
 ならば『冬の旅』とは、愛を失った一人の人間の心象世界を、普遍的な人間の実存的問題に投影させて描いたものであると結論づけて終りにしてよいだろうか? この時代には、恋愛物語や哲学的心象風景とは異なる次元の、重い現実を伴った「冬の旅」があったことを忘れてはなるまい。18世紀のヨーロッパを席捲したナポレオンの勢力は19世紀初頭に頂点に達する。ナポレオンのロシア遠征では、60万の大陸軍の三分の一は被征服地であったドイツ諸邦国から召集された兵士であったと言う。理不尽な戦争に駆り出された兵士たちの極寒の地からの敗走の「旅」は、軍事史上の大悲劇と言われた過酷なものであった。そしてナポレオン失脚の後も、メッテルニヒ主導のもと、人々の求める自由は抑圧され、厳しい思想統制が行われ、政治的な「冬」の時代に突入していく。当時の人々にとっては、日々が「冬」だったのだ。閉鎖的な現実から逃れられないからこそ、人々は「旅」に憧れもした。シューベルトの『冬の旅』とは、そのような時代の雰囲気を色濃く反映させた作品である。「旅」の行先が見通せないように、時代の先も見通せなかった。『冬の旅』を聴くと聞こえてくるのは、実はそのような歴史の影であり、時の政治体制に不満を抱いていたシューベルトやミュラーの抗議のメッセージでもある。簡単に見透かせるよう書くことができなかったメッセージであるからこそ、『冬の旅』はことさらミステリアスなオーラを放つことになる。そしてそのミステリー性ゆえに、私たち一人一人は聴きながら心の中でその答えを模索することになるのだ。そこがまさに『冬の旅』の醍醐味ではないだろうか。


岡本時子(おかもと・ときこ)
筑波大学グローバルコミュニケーション教育センター非常勤講師。上智大学大学院外国語学研究科言語学博士後期課程単位取得退学。ドイツ、ザールラント大学留学。専門はドイツ言語学、音声学。

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  • Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart.

    ウィリアム・ケントリッジ

    『冬の旅』