Essay

[久門剛史 寄稿文]藤高晃右「加速・増大する時代のアート」

©︎Tsuyoshi Hisakado ©︎Tsuyoshi Hisakado

 この数十年、世界中で貧富の差は拡大しており、さらにグローバル化やテクノロジーによって、そのスピードは増している。しかし、そのことで投資に回るお金の総量は増え、アートマーケットに流れ込むお金もどんどん膨らみ、その規模は増大し続けている。20世紀、いわゆるアートマーケットは欧米圏にとどまっていたのだが、ここ20年の間に、アジア、中東、東欧と全世界に一気に拡大した。欧米の巨大都市にしかなかったオークションハウス、アートフェア、巨大ギャラリーが世界中に支店網を広げ、世界中で年中アートが購入されている。
 拡大しているのはアートマーケットだけにとどまらない。世界中で新たな美術館のオープンが相次ぎ、ビエンナーレ、トリエンナーレといった国際展も増加している。直接的にマーケットと関わりのないパフォーマンスやトークイベントなども頻繁に行われ、多様な形態のアート活動で生計を立てるプロのアーティストも大幅に増えている。控えめに言って、アートは現代を謳歌している。
 いっぽうで、美術館や国際展の番人たるキュレーターさえもが巨大コレクターに歩み寄り、批評家の言葉よりも、マーケットでの評価額によって作品の価値が決められているかのような雰囲気も漂う。過去と違って、今やアートはお金にコントロールされているという悲観的なムードが広がっている。
 しかし、本当にそのムードは的確だろうか? 歴史を振り返ってみても、批評家の巨人グリーンバーグは専門家の間では著名でも、はるかに多くの人が知っているのはジャクソン・ポロックだ。全米有数の印象派コレクターのバーンズは知らなくとも、ルノワール、セザンヌ、ゴッホの名前は誰でも知っている。つまり、素晴らしいアーティストとアートあっての批評家であり、キュレーターであり、そしてコレクターであってきたのだ。これからもお金が「いい」アートを決めるのではなく、「いい」アートにお金が集まり続けるはず。ただその速度、サイクルはどんどん速くなっている。
 アートは消耗品ではなく資産として、株、債券、不動産、金(money ではなくgold)などにあわせて投資のためのポートフォリオに入りはじめている。カネ余りの状態で、伝統的な金融資産の利回りが相対的に下落し、単純に買うものがなくなったためにアートにもお金がまわってくるようになったという見方もできるだろう。いっぽうで、利回りを生む株や債券とちがって、価値を保存する=資産を守るものである金の代替物として、アートが見られ始めているという見方もある。
 価値の保存手段としての金は、その希少性、物質としての安定性、そして何よりキラキラ光る特質によって、その価値が広く人類に定着されてきた。ひるがえってアートは、希少性は高いものの、物質としては極めて不安定で、様々な評価が複雑に作用し合って生じる価値も極めて人工的、抽象的だ。そう考えると、光る金に比べてアートはずっと知的なものと言えまいか。
 デイヴィッド・ホックニーの絵画が、昨年のオークションで現存作家として過去最高額の約100億円で落札された。ホックニーの絵と、100億円分の金、100億円分のアップル社の株のうち、100年後に一番その価値を保存しているものはどれかと想像してもらいたい。当然、答えは誰にもわからない。しかし、自分は直感的に、アップル社でも金でもなく、それはホックニーの絵ではないかと思っている。そんな自分は人類に対して肯定的すぎるであろうか。


藤高晃右(ふじたか・こうすけ)
1978年大阪生まれ。東京大学経済学部卒業。2004年、Tokyo Art Beatを共同設立。08年、拠点をニューヨークに移し、NY Art Beatを設立。14年よりスマートニュースの米国メディア事業開発を担当。

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    久門剛史

    『らせんの練習』