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Echoes Now—3プログラム詳細

2024.9.5

「Echoes Now」は、KYOTO EXPERIMENTが期待する次代のキュレーターとアーティストをショーケース形式で紹介するパフォーマンス・プログラム。活動分野において異なる背景を持つ3名のキュレーターによるプログラムでは、注目すべき実験的な表現を展開する国内のアーティストとその作品を紹介する。プログラム名は、これらのアーティストの表現やキュレーターの思考が国内外のアートシーンにコダマすることを期待して「Echoes」、そして「これから期待の」表現であると同時に、「今(Now)」紹介されるべきであろうという、次代の熱量を代弁している。

黒田大スケ『学校のゆうれい』[パフォーマンス]

ある日、田舎道を歩いている時に1つの土器片を拾いました。どうやらそれは弥生時代の土器片のようで珍しいものを拾ったと喜んだのでした。
その日からでした。何か得体の知れない気配がするのです。その気配はつまり幽霊の様なもので、私に何かを訴えてきます。「昔の言葉はわからないから」と相手にしなかったのですが、しかしそれでも時々は土器片を握りしめて二千年程前のことを想像したのでした。
また別の時には、ある海辺の街で1つの小さな古びたコンクリートの破片を拾いました。その破片は戦争の深い悲しみを宿していて、持っているだけで涙があふれてくるのでした。私はたまらずにその破片を放り投げたのですが、それは地面に落ちた時の衝撃で2つに割れてしまいました。
この作品は、そういうストーリーを宿した「物体」についての私なりのプラクティスのようなもので、建物、窓、扉、廊下、装飾品や記念品、彫像や絵画、あるいはそれらの破片の物語と言えます。

[川口万喜 キュレーターステートメント]
現代美術作家として活動する黒田大スケは、作品の中でしばしば劇的な演出や演じるという手法を用いる。それは、幼い頃に誰もが経験した想像し真似ることと、時間や空間を異化し混乱と惑乱の状況をつくり出すことで、観る者を一時的に原始的な混沌の社会に引き戻そうとする行為でもある。
ところで黒田は、熊が怖いと言う。それはもう、都会のカフェで山から降りてくる熊を想像するだけで身の毛がよだつほどに怖いのだと言う。ある意味で、原始的な混沌の社会に生きている黒田の制作行為をKYOTO EXPERIMENTに入れ込むことで何が生じるのか。これは、演じることの根源的な意味を問いつつ、得体の知れない恐怖や気配を察知する人間の本能を信じて、いく通りの物語を示唆できるかという試みである。

作・演出・美術:黒田大スケ
出演:三ツ谷麻野、森田碧、横澤タクロウ
翻訳:チャールズ・ウォーゼン

髙橋凜『CHASHITSU』[パフォーマンス]

ペインティング、テキスト、ビデオ、サウンドなど、あらゆるメディアとマテリアルを同一に扱い、現代的な問題の不確かさや、人間の曖昧さを表現してきた髙橋凜。近年では、名古屋での大規模な個展や、恵比寿映像祭2024への参加など、活動の幅を広げている。本作『CHASHITSU』は、アーティストが長年に渡って日常的な行為のようなものを記録したドローイングシリーズ「Emaki」から複数枚を選び取り、その軽快な平面イメージを空間に置き換えるのみならず、社会で不可視のものとして扱われるが確実に存在している登場人物たちの時間を構築したパフォーマンス作品である。グラフィティアーティストや、フリースタイルのラッパー、四つん這いで動き回るコイ、描かれた落書きを消すペインター、朝の支度をするソックス、場外で踊り続けるトンボなど、簡易的な舞台に偶然居合わせただけに過ぎない各存在の行為と、それらが舞台から離脱しようとする行為が交差する。一見、そこにはストーリーがあるような錯覚が生まれつつも、演劇的なナラティブとはまったく異なる性質の時間となる。

[堤拓也 キュレーターステートメント]
永遠性を宿す芸術作品を展示芸術の原理に従って配置したとしても、それは結局のところ一時的かつ来場する鑑賞者の身体性や心理状況に左右される相対的な経験でしかないのではないか。畢竟、展示という形式すらも一般的な上演とさほど変わりがない一回的かつエフェメラルな体験なのかもしれない。そのような認識と連動してか、展覧会という会期終了時まで変化しないと了解された空間に、生を持ち込むアーティストがいることも事実である。髙橋凜もそのうちの一人であり、展示空間が静的に完結することを念頭に置いていない。テキストではなく自ら描いたドローイングを起点にインスタレーションやパフォーマンスをつくりだす彼女の作品は、KYOTO EXPERIMENTのような枠組の中でどのような質感と強度を持って鑑賞され得るのか。あるいはされないのか。そのようなことを検証したく、髙橋がこれまで実施してきた数あるパフォーマンスの中から、もっとも複雑な戯曲(ドローイング)を扱っている本作を再演したい。

演出・構成:髙橋凜
出演:Andre、石原菜々子、鈴木大晴、チョン・チェリン、中川麻央、髙橋凜
協力:山中suplex / Yamanaka Suplex

©bozzo

福井裕孝『インテリア』[演劇]

わたしたちは生きるために必要なものや生活を豊かにするものを身の回りに集め、それらを按配よく配置することで、プライベートな環境を形成している。椅子、机、ベッド、冷蔵庫、洗濯機、皿、テレビ、服、ティッシュ、ぬいぐるみ、人から借りた本、無印の爪切り、醤油、趣味じゃないラグマット、植物…など。そこでは住み手である人とものが互いに存在を規定し合いながら親密な関係を保ち続けている。この私的な聖域を舞台に日々繰り返し上演されている「生活」という出来事を、演劇の形式を借りてわざわざ立ち上げてみます。その手がかりとして、会場に集まる観客および演者が所有している「もの」を舞台上に集め、ある「家」の状況を仮構することからはじめたいと思います。当日はご自宅からそれぞれ「もの」を一つお持ちの上ご来場ください。ものと来て、ものと観て、ものと帰る演劇。

[和田ながら キュレーターステートメント]
福井裕孝は、物理的な「もの」と演劇が上演される空間との関係に強い関心を寄せてきた。人間が要請するはたらきから解放し、ただその「もの」が占拠している空間を明瞭な事実として量ろうとする態度は、きわめてドライでストイックなようで、奇妙なおかしみをはらんでいる。福井の作品に立ち会うとき、わたしもまた、無数の「もの」(たとえば着ているTシャツ、かばんの中の折りたたみ傘、くしゃくしゃのレシート)を伴いながら、今はただごろりとこの椅子の上に身体を置いているのだということを意識させられる。わたしたちは、「もの」としてのこのいかんともしがたい行き止まりを広場として、演劇という制度を軽やかに遊びなおせないだろうか。

演出:福井裕孝
出演:金子仁司、井上和也

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