2025.9.10 (Wed)
KYOTO EXPERIMENT 2025のキーワードは“松茸や知らぬ木の葉のへばりつく”。
寓意あふれる芭蕉の俳句からぐーんと発想を広げた今年は、未知や違和感との出会いや共存について考えたり、そこから広がる可能性を思考するフェスティバルを目指しています。
ここでは、3名の執筆者にこのキーワードから自由に想像を広げて、世の中のことがらを論じてもらいました。
フェスティバルの世界にふれたり、みなさんの関心や感性を刺激するスイッチになれば幸いです。
へばりつかれて、ほとほと困った顔をしているわりに、おかしみもある。どうせ、この身体ひとつやから。明日はわからんし。あんたもやろ。ここは釜ヶ崎。
釜ヶ崎? あいりん? 西成? ともかくこの街の名前を聞くと眉をひそめ、足を運ばないように、行ってもいいけど、どっぷり関わらないように、とそんな言葉が交わされつづけていることも知っている。
わたしが釜ヶ崎と出会ったのは1990年5月のある朝。何気なく誘われて行ったところがメーデーの釜ヶ崎だった。三角公園でデモに参加して機動隊に囲まれた。もみくちゃになった。道路脇に無表情でぼんやり佇む男性たち。赤い旗は印象に残っている。
それから足を運ぶことはなく、2003年に公設民営の大阪市の現代芸術拠点形成事業に誘われ、浪速区の新世界でアートNPO ココルームを立ち上げたら、釜ヶ崎が20メートル先にあった。「ホームレスは石ころと思いなさい」と大阪の人たちに言われた。浪速区と西成区の間を走るJR環状線あたりに透明な塀があるようだった。
さて、アートよ。
アートと貧乏の関係を考えたことはある? アーティストが貧乏、という話ではなく、貧乏な状況にある人とアートの関係。こどもたちにアートがあるといい、とよく聞くけれど、貧乏な人にはどうだろう。ちなみに釜ヶ崎の日雇い労働者は雇用の調整弁だった。社会にとって都合よい労働力。話がそれるけれど、劇場も美術館も労働者が建てる。建物が仕上がったら彼らはいなくなる。1990年代バブルがはじけ仕事が減って、90年代後半は大阪で野宿状態の人が増えた。その後数年で生活保護受給者が増えてゆく。
さまざまな事情を持つこの街の人たちは酒場で親しく酒を奢り合うが本名は名乗らない、過去を聞き出さない「不関与規範」というマナーでひとりで生きてきた。ひとりであること。ひとりを引き受けた人の表現にわたしは興味を持った。どうしたらその表現に出会えるのか。ココルームは喫茶店のふりをして、毎日扉を開けていると、少しずつ関わりが生まれた。
安藤さんとの出会いは2008年。市の事業は終了し、西成区の動物園前商店街に拠点を移し小さな元スナックを借りた。毎日何度もやってきて注文もせずに座り、隣の人の腕をつかんでつねるのが安藤さんだった。お客さんたちはそそくさと帰ってゆく。みかねたスタッフは彼を出入り禁止にしたい、と言う。でも、そうしたくなくて、かといって理由も説明もできず、結論を出さずのらりくらりした。トラブルになると安藤さんといっしょにわたしは外に出た。そして「また明日」と手をふった。小さな店内ではカルタや書、俳句会などささやかな時間をつくっていた。安藤さんを誘っても参加することはない。そんなつきあいが一年半ほどつづき、手紙を書く会をはじめた時、安藤さんがやってきたので声をかけた。断るだろうと思っていたのに、「書く」と言って隣に座った。そして、しばらくして手が止まりわたしに字の書き方を尋ねてきた。それまで、安藤さんが字を書けないと想像もしていなかったことに気づいた。是々非々をこころがけてつきあってきたつもりだ。積み重ねたこの場で、字の書き方を尋ねてもバカにしないし、もしバカにする人がいたら間に立つことを信じてくれたのだと思う。そして安藤さん自身も表現したい、と思うようになったのかもしれない。
これまでわたしは「自分の意見を言いなさい、表現しなさい」と言われて教育されてきた。けれど、表現することが大事なのではなく、表現できる場をつくることがよっぽど大事だと、アートNPOとしての核を捉えた。
ひとりひとりがその場で尊重されること、じぶんの弱さも開き、あらわしてみると、そこからまたお互いに影響を与え合う。共創していく表現の場は芸術としてのあり様だとわたしは考える。
けれど、そんな場はけして、喉越しがよいだけの時間にはならない。つっかえるし、ざらざらして、不確かだ。そして、なかなか言葉にならない。でも、へばりついてくる。コロナの時、「芸術は不要不急か」と問われていた。釜ヶ崎にいてココルームは行政の制度や補助金によらない運営をしていたから、芸術は働くことで、暮らしで、生きることだから、ささやかな自治として話し合い、場を開きつづけた。資本主義のこの社会にまみれながら、多様な人たちと生きのびることに、クリエイティビティがあるとわたしは考える。誰かがあるいはAI が考えた社会で生きていくのか、という未来に対して、誰にも頼まれてもないのに切実な実験的な舞台芸術をつくろうとする営みは、一筋縄でいかないからおもしろい。へばりついて、へばりつかれて、なんぎな顔してるうちに、幕が開く。
執筆者プロフィール
上田 假奈代(うえだ かなよ)
詩人・詩業家。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめ、18歳から京大西部講堂に出入り。「下心プロジェクト」を立ち上げ、ワークショップの企画、場作りを実践。2001年「詩業家宣言・ことばを人生の味方に」して2003年、大阪で喫茶店のふりをしたアートNPO「ココルーム」をつくり、釜ヶ崎芸術大学、ゲストハウスを運営。刑務所アート展などに関わる。