2024
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ダンス
magazine
2024.9.26
この秋、京都と埼玉でフランスの振付家クリスチャン・リゾーの公演が行われる。作品は『D’après une histoire vraie―本当にあった話から』。本作は2014年に来日した『抉られるのは守っている方の目だ』(2012)と同様、トルコに縁を持つ。これは、リゾーの振付の中で最も踊りに徹しており、「傑作」と誉れ高い。2013年のアヴィニヨン・フェスティバル初演以来、上演回数は150回を超え、巡演先もヨーロッパのみならず、北アフリカ、中東、アジア、北米、南米とワールドワイドだ。アジアにおいてはコロナの災禍前に、韓国、台湾、中国などで公演がなされている。疫禍で中断していたツアーが今年から再始動し、待望の日本公演が実現する。
驚かされるのは、出演者たちのつながりで、彼らは初演から(リステージングに際して一人かわった以外)ずっと一緒に本番をしている。10年以上、各国を巡るステージをだ。
リゾーは欧州の舞台人が、マージナルな民俗舞踊(の作品化)に取り組むことの危うさを認識している。いささか素朴なタイトルはそれに因るのか——この作品はリゾーの体験(=記憶)をもとにしているそうだ。創作から遡ること10年ほど前、彼はトルコのイスタンブールでフォークダンスを目にする。そのわずか10分くらいのヴァナキュラーな踊りが、彼の記憶にこびりつく。リゾーがクリエイションの過程で頼りにしたのはその思い出、否、そこで生じた感情である。だからこのステージで表されるのは、ある特定の民俗舞踊ではない。
アヴィニヨンでのトークにおいて、リゾーは、自分は結婚式とかで男たちが踊る、みんなが真似できて伝えやすいダンスに惹かれると言っていた。「フォーク(民俗の)」は「ポピュラー(民衆の)」でもあり得ると。私の見るところ、出来た作品はシンプル。滋味で情感的。迫力があって私たちを奮い立たせる。出演者は10人、ロックバンド風のドラマー2人と民俗舞踊風のダンサー8人。男らがそれぞれ自分の芸を愉しみながら、結ばれる。その表現しない表現性が、内に脆さと愛おしさを含む。
リゾーの経歴は一風変わっている。彼ははじめロックグループや服のブランドを作り、そして造形芸術を学んでからダンスの世界へ入っていった。リゾーのマルチタレントぶりは今でも健在だが、とりわけ初期の作品では、ダンスの訓練を受けただけの人には興し得ない独特な印象を私たちに刻み込む。日本で2003~4年にかけて公演・展示した『いいんじゃない?「ボディ・ビル」「ハデハデ」「ゴチャマゼ」いろいろあって…』(2001)や『ポリエステル100% 踊る物体』(1999)、あるいはこれは映像で見た人もいるかしらん『Skull*Cult』(2002)——この作品はリゾー同様に今回京都と埼玉で公演するラシッド・ウランダンとのコラボレーション。ウランダンが『夢のカリフォルニア』で踊るシーンは白昼夢のように奇しい。
リゾーは2015年から、国立振付センター・モンペリエのディレクターを務めている。ここはフランスダンス界のレジェンド、ドミニク・バグエや、今日なお一線で活躍するマチルド・モニエがその職に就いていた国内屈指の振付センターだ。今では国際的な振付機関(ICI)の役目をも担う。タフでなければやっていられないだろう、とはいえ忘れてならないのはリゾーのアーティストとしての信条である(彼のカンパニー名は“l’association fragile”)。リゾーは、男の性分が猛々しさよりも脆さへ傾くことに賭けている。脆いのは、その人たちが自由だからだ。
2024年の今、その自由を支えているのは何か、が問われるだろう。この作品を再演することの意味は決して小さくない。
<執筆者プロフィール>
富田大介
明治学院大学文学部芸術学科准教授。Ph.D(神戸大学)。研究領域は美学、芸術社会論、ダンス史、アートプラクティス。編著に『身体感覚の旅』(大阪大学出版会)、共著に『残らなかったものを想起する——「あの日」の災害アーカイブ論』(堀之内出版)、監修に雑誌『Pen』2024年4月号「第2特集:ダンスを観よう」、企画・出演に「『RADIO AM神戸69時間震災報道の記録』リーディング上演」(神戸大学百年記念館)、『PACIFIKMELTINGPOT』(鳥の劇場、ランス国立舞台他)、ジェローム・ベル『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(彩の国さいたま芸術劇場)などがある。https://researchmap.jp/dtomita