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【批評家・イン・レジデンス】文:サンタ・レメール
2025.6.13

2024年のフェスティバル会期(10月5日~27日)に合わせ、EU代表部が主催、ゲーテ・インスティトゥート東京が運営する「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」が開催されました。参加したEU出身の批評家によるレポートを掲載します。
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大陸の反対側からのラブレター
クリスチャン・クラハトのゴシック小説『死者たち』の中に、第二次世界大戦前夜、架空の映画監督エミル・ネーゲリがモダニズム映画の制作のため日本を訪れる章がある。ヨーロッパからの長旅を経たネーゲリは日本で電車に乗り込む。日本人の同乗者が不安げに会話の糸口を探し求めているのに気づくのだが、ネーゲリの頭の中では、言葉を繋ぐときに出す「tō」という音ばかりが響いている。本来、会話の序奏曲となるチューニングフォークの響きである。しかし、続く言葉が出てこない。自分の中に言葉を探すネーゲリだが、口の中には先ほど食べた魚、醤油、わさびの後味が残っているだけだ。「tō」の空虚な響きは、物語の背景で起こっている歴史的な大事件との対比で解釈されるべきものだろう。だが同時に、東西の文化において空白がそれぞれ果たす役割の違いへの言及でもある。往々にして東洋において、空白はより能動的な役割を果たす。
国際的な舞台芸術のフェスティバルであるKYOTO EXPERIMENT 2024 のキーワードは「えーっと えーっと」だ。英語であれば「um」や「er」、スウェーデン語では「öh」、ラトビア語では「ēēē」など、遭遇したものをまだ理解できないけれども、処理しようとしている身体が出す音である。「えーっと」は正しい答えにすぐさま飛びつこうという音ではなく「来たるべき言葉」の音であり、頭の中で何かがゆっくりと居場所を見つけていく音だ。違和感や逡巡、問いかけの音であり、時には疑念の音でもある。「私たちには何か共通するものがあると思う。まだそれが何だか分からないけれど」というシグナルを送ることのできる音。他者や未知のものに開かれた音である。それは、身体が感覚のマトリクスを通して、脳が言語化するより先に物事を理解しているのだということを証明している。新しい状況にまず曝され、その影響を受け、応答するのは必ず身体なのだから。国際的な舞台芸術のフェスティバルにとって、これ以上にふさわしいキーワードは無いだろう。
京都に到着すると、すぐに街中のフェスティバルのポスターやバナーが目にとまる。ほどけた毛糸玉のにも見える、独特なぐるぐるの落書き模様が人通りの多い場所、地下鉄の駅、京都芸術センターの荘厳な門にまで掲げられている。同時期に京都で開催され話題を集めていたハンドバッグの展覧会「GUCCI COSMOS」展の広告にも負けず劣らず、強い存在感を放っていた。「ぐるぐる」の形は、場所ごと、プログラムごとに異なっている。劇場では、あらゆる経験が一度きりのものなのだと巧みに示唆しているようだ。KYOTO EXPERIMENTが素晴らしいのは、観客は自分自身の解釈を見出すはずだと信じていることだ。チケットの売上や、作品から学べる教訓があるかなど、測定可能な価値が支配する世界で、意図的に説明を省くというのは、アートに関わる者として、勇気ある決断だと思う。
「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」が用意してくれた枠組みの元、ひと月近くフェスティバルのキュレーションチームの思考のプロセスを間近で追うことができたのは、非常に恵まれたことであった。今、滞在からひと月が経ち、大陸の反対側にある自分のアパートにゆったり腰を落ち着けて振り返るなかで、ようやく様々な気づきが浮かび上がってきた。芸術祭の数々のイベントに対してそれぞれ抱いた印象を、一つの記事にまとめることは到底不可能だ。代わりに、私自身が「えーっと」となった瞬間、思考に先んじて訪れ、私の中に言葉が生まれ得る余白を生み出した瞬間について記述したい。
– 穴迫信一と捩子ぴじんの『スタンドバイミー』の観客席にいる私たちと舞台の間が銀色のリボンで区切られ、しかし舞台後方の扉は開いたままにされていた瞬間。扉越しにロビーが見える。チラシスタンド、劇場の票券窓口、遅刻してきた観客のための時折開かれる劇場のガラス戸。ガラスの向こうには、車が一定のペースで通り過ぎる表通りを垣間見ることができる。昼下がり、街ゆく人たちは自分の日々のルーティンをこなしている。一方私たちはここで、能楽師が「ルンバのように」動き回るなか、人々の生活をその外側から眺めている。
– 余越保子の『リンチ(戯曲)』で、ダンスという言語を通して、破壊され尽くした世界の感覚が喚起され、凝縮され、無限に増幅されていった瞬間。さながら鋭く尖った壁に何度もぶつかりながら、奈落の底へ果てしなく墜落していくような感覚だ。そこで私たちは、全く無意味であるところに意味を付与しようとしてしまう自らの絶えない欲望に、傷つき続けるのだ。
– 『リンチ(戯曲)』を観終わり、もう二度と演劇を観ることなどできないのではないかと思い、それでもなお、ジャハ・クーの『ハリボー・キムチ』の客席に座っている自分に気が付く瞬間。
– ブリュッセル南駅の販売員がジャハに「そのニンニク臭い口を閉じろ」と命令し、彼が従ってしまう瞬間。東欧出身の女性を「ビッチ」と呼ぶのが普通だった頃に海外に留学した自身の経験を思い出す。
– チェン・ティエンジュオの『オーシャン・ケージ』で、シコ・スティヤントが大声で歌いながらスクーターで客席に乗り込んできた瞬間。観客は彼に追い立てられて、波のようになって方々に散る。もはや舞台がどこで始まり、どこで終わるのか分からない。どこが中央でどこが周縁なのか、そして、この作品がどこへ向かうのかも分からなくなる。
– 松本奈々子とアンチー・リンが『ねばねばの手、ぬわれた山々』で紙の原料の混じった水を撒きちらし、語られなかった物語が書かれた紙の切れ端を固めて、はりぼての山を作る瞬間。私はその声を「私のムーブメント、私の経験、女性である私という存在は、男たちの言葉で紡がれたこの世界の中で、確かに意味を持つのだ」という叫びとして受け取った。
– オフェリア・ジアダイ・ホァンの『Future Dictionary』で舞台芸術にまつわる新しい語彙に出会い、松本奈々子の独自のメソッドである「妖怪ボディ」がフェスティバルの複数作品を解釈するうえでの鍵となった瞬間。私はこの言葉から、踊る身体は日常的身体の限界を超越し、日常においては触れることのできない領域に触れることができる、といった意味を受け取った。
– ムラティ・スルヨダルモの『スウィート・ドリームス・スウィート』で、顔を覆われた28の「妖怪の身体」が青い水の入ったブリキのバケツを持って京都市役所の屋上に現れた瞬間。特定の―というより多くの―文化において、女性の身体が経験した記憶や出来事が構造的に抹消されていることを表す瞬間だった。
– ムラティが『Exergie – butter dance』のなかで、つるつると滑りやすい床の上で立ち上がる度、彼女は(かつてハンナ・ギャズビーが言ったように)「一度壊れて自ら立ち上がった女ほど強いものはない」ことを証明していた。
– アレッサンドロ・シャッローニの『ラストダンスは私に』で、イタリア人ダンサーたちが絶滅寸前の舞踊であるポルカ・キナータを私たちの目の前で踊ったときに押し寄せた優しさの波。彼らが芸術に捧げる努力、情熱、献身に触れて、そして人々を一つにする、触れることはできないが尽きることもないダンスの力への崇敬の念に触れて、私は20世紀というもの自体と和解できたような気持ちになった。20世紀は、人間性を破壊し尽くすことはできなかったのだ。
– 数時間にわたる『スウィート・ドリームス・スウィート』の上演中、暑い屋上庭園に細かなミストが定期的に噴射される瞬間。
– テラスに居た際、大きな黒い蝶が私の肩に止まった瞬間。その飛行を中断して眺めるに値するくらい、この上演を面白そうだと感じたのだろう。
– オラ・マチェイェフスカの『ボンビックス・モリ』(ラテン語で「蚕」の意)が翼を広げる直前、ダンサーがシルクのスカートを丁寧に整え直す瞬間。そのスカートが「サーペンタインダンス」を復活させることになるのだ。
<執筆者プロフィール>
サンタ・レメール
New Theatre Institute of Latvia(NTIL)の新芸術監督であり、国際舞台芸術フェスティバル「Homo Novus」のキュレーターを務めている。早稲田大学、多摩美術大学でビジュアルコミュニケーションを学んだ背景を持つ。2011年から、ラトビアおよびバルト諸国の様々な出版物に、主に若年層の観客の文化、現代演劇、フェミニストのトピック等に焦点を当てた芸術批評を定期的に寄稿している。ラトビアのオンラインカルチャーマガジン『satori.lv』 の編集者の一人でもある。