2025.9.19 (Fri)
荒木優光の新作『ノー・ボンチ(ファストリサーチスクラッピング)』の上演に先がけて、アートコーディネーターの藤本悠里子氏によるプレビュー記事をお届けします。
音と場を同時に立ち上げ、聴取体験そのものを作品として提示してきた荒木の試みに関して解説していただいています。
ぜひ観劇前にご覧ください。
アーティスト・音楽家・サウンドデザイナーとして活動する荒木優光がもたらす音は、多岐にわたる動きを伴いながら鑑賞者(リスナー)に向けて再生されてきた。
1. スピーカーが自動で回転している場合
2. 公演中、荒木本人やパフォーマーによってスピーカーの位置や向きが動かされる場合
3. 車やボートに拡声器を取り付け街中や湖を走行、あるいは漕ぎ進みながら音を発する場合
4. 奏者・パフォーマーが演奏・発声をしながら会場内を移動する場合
荒木が音を再生するとき、鑑賞者もまた様々な状況下でそれに立ち会い、応えてきた。
A.屋外にて、その場その時の環境音とともに、スピーカーから再生される音を聴取する場合
B.ある敷地内 複数箇所にて再生されるスピーカーを探しながら、場所ごとの音の響きを体験して周る場合
C.(バックヤードやトイレを含む)劇場内を移動しながら演奏・発声する奏者・パフォーマーと一定時間共存し、行為や状況の変化に立ち会う場合
荒木は「音」の提示と同時に、「聴く場」を設定し、鑑賞者へ様々な形での聴取体験を促す。
これまで、録音したデータを再生することによって聴く場を構築してきた荒木だが、2024年に発表された上演作品『空き地のTT』では、スピーカーなどの再生機器が一切使用されなかった。会場内を移動する複数名のパフォーマーは、イヤホンから聞こえる事前録音された指示に基づいて、その場で音や行為を発する。鑑賞者は録音の再生を聴くのではなく、その場で即時的に作られた音や状況に立ち会うことになる。鑑賞者には指定された視聴場所はなく、会場内に散らばるパフォーマーを追いかけ、時に距離をとりながら、その場での過ごし方を探る。
その場は、作家が作為した構造の再演などではなく、作家が設定した構造の中で複数の主体や要因が作用し、新たな音が生成される現場そのものであった。そしてその時、作家は鑑賞者と同じ場所で、その生成の様子を見守るリスナーの一人でもあった。
荒木の近年の作品では「音」と「場」のみならず、「音が生成される状況の運用」を扱う様子が見てとれる。あらかじめ用意されたデータや筋書きを、機器を用いて再生するのではなく、生身の人間や環境要因との重なりによって即時的に発生する音や音風景を立ち上げること。そして、それが鑑賞者に体験される場のオペレーションを設計すること。
荒木が設計する状況の中には、会場や設備、パフォーマーだけでなく、鑑賞者や会場外から響く音・振動・光、往来する人々など、もはやコントロールが不可能なものも含まれている。それらは作家が思い描いた通りに再生されるとは限らず、作品にどのように影響するかはそれぞれの主体に委ねられているとも言える。作家が作為した構造を100%に近い再現率で再生することではなく、乱数を含み、複数の主体が関与することを前提とした状況の運用。
作家が作品の条件を拡張するのなら、これまでも様々な状況下で荒木作品を視聴してきた耳の肥えた鑑賞者(リスナー)たちも、「聴く」の条件を拡張して応えなければならない。作品に関係なく往来する人々の話し声や、遠くを走行する緊急車両のサイレンもまた自身に届いた音であることに。自身がその場の鑑賞者であると同時に、その場における奏者でもある可能性に。
時に荒木は、多岐にわたる発表機会の中で、その機会に応じた新作を作り上げることが多い。美術館の展示室で作品発表をするとあれば、その展示室で響かせるための音を探し、聴くための場を拵える。劇場で発表するとあれば、野外空間で発表するとあれば、その場その時に応じた作品を展開してきた。
2025年10月、荒木が会場とし新たな作品を発表するのは自転車都市・京都であるらしい。これまでの活動の中でも類を見ない規模・アンコントロールな会場設定であるが、どのような「音」が響き、どのような「聴く場」が設けられるのか、その状況に鑑賞者(リスナー)はどのように立ち会うことができるのか。込める期待は大きい。
執筆者プロフィール
藤本悠里子(ふじもとゆりこ)
秋田市文化創造館/NPO法人アーツセンターあきた コーディネーター
1994年京都市生まれ。京都造形芸術大学、秋田公立美術大学院にてキュレーション、アートマネジメントを学ぶ。2019年よりNPO法人アーツセンターあきたに務め、秋田市文化創造館の立ち上げに従事。現在は、秋田市文化創造館の運営及び、事業の企画制作に取り組む。