2025.9.1 (Mon)
今回、日本初紹介となる、ターニヤ・アル゠フーリー & ズィヤード・アブー・リーシュの『電力と権力を探して』の上演に向けて、アラブ映画研究者の佐野光子氏にレビュー記事を執筆いただきました。
レバノンでは日常化している停電問題について解説していただきつつ、本作の魅力をご紹介いただいています。ぜひご一読ください。
パフォーマンス会場に入ると、複雑に絡みあった電線の束とその中で輝くネオンサインが目に飛び込んでくる。絡みあった電線は、レバノンでは至る所で見られるお馴染みの光景だ。アラビア語で書かれたネオンサインは「カフラバーウ・ルブナーン」と読める。直訳すると「レバノンの電気」という意味になるが、レバノンの電力供給を担う「レバノン電力公社」を指す言葉でもある。そう、このレクチャー・パフォーマンスはまさに、レバノンの電力問題、そしてレバノン電力公社をめぐる探求の旅なのだ。
レバノン人にとって停電は日常生活の一部である。レバノンでは、日本でも時折経験する突発的な停電に加え、日常的に計画停電が行われている。たとえば、2006年から2012年にかけて筆者が首都ベイルートに居住していた時も計画停電は毎日あった。当時暮らしていた建物や職場では決まって午前9時と午後3時に電力が途切れる瞬間があったが、一瞬の暗転と同時に供給電力と自家発電とが切り替わるため、幸いなことにほとんど実害はなかった。しかし、これはレバノンの中でも非常に恵まれた事例である。自家発電機が備え付けられていなかったり、発電機はあってもそれを稼働させる燃料を継続的に購入する資金がなかったりする建物の住民たちは、長時間にわたって無電力状態を受け入れざるを得ない。
とりわけ、ここ5〜6年の状況は深刻だ。2019年10月から始まった経済危機、その翌年3月のレバノン国債のデフォルト(債務不履行)、同年8月4日に200名以上の死者と被害総額約46億ドルもの壊滅的損害を出したベイルート港爆発事故、新型コロナウイルスのパンデミック、さらには2023年10月から始まったイスラエルとシーア派組織ヒズブッラー(ヒズボラ)との紛争激化による大規模破壊など様々な悪条件が重なり、レバノン経済は史上最悪とも言える状態が今も続いている。通貨安による急激なインフレによって燃料価格が高騰し自家発電もままならない一方、レバノン電力公社による電力供給は1日わずか3〜4時間程度である。これでは日々の生活は不自由極まりない。レバノン南部の街に暮らす友人によれば、停電が解除されると真っ先に洗濯機のスイッチを入れるのだという。しかし、洗濯が完了する前に再び電気が途切れてしまい、次の通電時刻まで洗濯物は水浸しのまま放置せざるを得ないこともしばしばあるそうだ。
長らくレバノンを苦しめてきたこの停電問題の原因については、レバノン内戦やその後の戦争によって電力供給システムを含む国家規模のインフラが大規模に破壊されてしまったことや、常習化した不法接続(盗電)や未回収の電気料金の累積などによって電力使用量と収益との間に著しい不均衡があることなどがかねてから指摘されてきた。しかしながら、レバノンにとって国家的問題とも言える慢性的な電力不足を生み出してきたそもそもの根源について、歴史的に遡って徹底的に検証した考察はこれまで目にする機会はなかった。これはおそらく、多くのレバノン人が、電力不足の始まりが1975年から15年間続いた内戦時代にあると考えているからではないか。それは筆者も同様であった。
しかし、アーティストのターニヤ・アル゠フーリーと彼女の夫で歴史学者であるズィヤード・アブー・リーシュは、レバノンの電力問題をめぐる調査を進めるにつれ、この考えを完全に否定することとなる。そして1950年代、さらにはフランス委任統治時代を越え、20世紀初頭にまで遡って丹念に歴史資料を検証しながら、レバノンにおける電力問題の起源を探求していく。とは言え、レバノンで歴史資料を見つけ出すことがいかに困難を極める作業であるかということは想像に難くない。資料がきちんと整理・保管されていなかったり、検索手段が著しく不合理であったり、あるいは閲覧禁止であったり、そもそも内戦時代の戦闘によって焼失してしまっていたりすることもある。そのような一筋縄ではいかない調査を、アブー・リーシュは、資料収集への凄まじい執念と粘り強さという歴史学者ならではの資質を遺憾なく発揮して、手がかりのか細い糸を慎重に手繰り寄せながら少しずつ前へ進んでいく。さらに、この探求の旅はレバノンにとどまらず、彼らはアメリカ、イギリス、フランス、そしてベルギーへと調査の手を広げていく。こういった徹底的な調査がこのレクチャー・パフォーマンスを支える屋台骨となっていることは間違いない。
そして、彼らが苦労して収集し厳選した資料は、華やかに設えられたテーブル上で文字通り「正餐(せいさん)」として参加者に供される。劇中、彼らが参加者に対して幾度となく書類を「味わう」よう求めるが、まさしくこの資料そのものがこの作品における最大の肝と言えるだろう。これらの資料は、内容の重要性や希少性のみならず、モノとしてのフェティッシュな魅力に溢れている。アラビア語やフランス語、英語、スペイン語で書かれた文章の書体や手書き文字の美しさ、紙の色味や手触り、匂い、書類をめくる際に紙が擦れる音など、視覚と触覚、嗅覚、聴覚を総動員して満喫したいところだ。
夫のアブー・リーシュが細心の注意を払いながら公文書や記録文書を読み解き、わずかばかりの手がかりを糸で繋いでいく一方で、アル゠フーリーはその糸を絡め取って「愛と復讐の物語」を紡ぎ出す。彼女が生まれた1982年という年はレバノン内戦のただなかであり、サブラー・シャティーラ難民キャンプにおけるパレスチナ難民の大虐殺が起きた年でもある。しかし、彼女はレバノンを語るうえでのクリシェとも言える内戦に必要以上に拘泥することなく、真っ直ぐにレバノンの電力問題の根源を目指していく。そしてついに、電力(パワー)と権力(パワー)が交差する結節点にこの問題の答えが立ち現れる。つまるところ、レバノンの電力供給は市井の人々のために開始されたのではなかったのだ。レバノンの電力問題の周囲には、元宗主国であるフランスやアメリカ、イギリスがレバノン国内の利権に向ける欲望や監視のまなざしと、私腹を肥やすことに余念がないレバノンのエリートや特権階級の打算が常に渦巻いていた。ここに至って、アル゠フーリーとアブー・リーシュは、「停電」という形で彼らの人生の隅々まで干渉し阻害する真の敵、復讐心を向けるべき相手を知るのである。
しかしながら、彼らの「愛と復讐の物語」は、遊び心に溢れた舞台美術や軽妙なトークのおかげで重苦しさとは無縁である。深刻な問題を軽やかに扱う手つきは、幾多の国難の中でも常に人生を楽しむことを忘れないレバノン人らしさに溢れている。国家的な危機をテーマにしながら、最終的には極めてプライヴェートな着地点へと参加者を誘う手腕も見事である。そもそも、この作品の原動力となっているのは、アル゠フーリーの個人的な怒りなのだ。何が彼女を激昂させたのかは、そしてなぜこの作品が「愛と復讐の物語」であるのかは、レクチャーの最後に明かされるだろう。もしあなたがこの宴の完璧なゲストであろうとするならば、あるいは彼らの物語を完遂する最高の共犯者であろうとするならば、是非ともドレスアップしてテーブルについてほしい。彼らは満面の笑顔であなたを迎えてくれるはずだ。
参考文献
「レバノン国電力セクターに係る情報収集・確認調査 ファイナル・レポート」独立行政法人 国際協力機構(JICA) / 株式会社ニュージェック 関西電力送配電株式会社(2023 年11月)
https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/1000051513_01.pdf
執筆者プロフィール
佐野光子
アラブ映画研究者、京都芸術大学非常勤講師。2006年から2012年までレバノンのベイルート・サンジョゼフ大学勤務。国際交流基金主催アラブ映画祭(2005〜2008)で企画アドヴァイザーを務め、2019年から2025年までイスラーム映画祭にて字幕翻訳・監修、コラム執筆、トーク出演。レバノン映画『判決、ふたつの希望』(ジアド・ドゥエイリ監督、2017)の字幕監修・パンフレット執筆など、アラブ映画の解説執筆や講演、字幕翻訳・監修を行なっている。主な著作に「シリア・レバノンの映画」(『シリア・レバノンを知るための69章』黒木英充編、明石書店、2013年)、「幻影としての外からの脅威」「革命と表現の自由・不自由」(『地域研究』第13巻第2号、昭和堂、2013年)など。