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【コラム】ポケットのなかにはロックがひとつ 文・磯部 涼

2026.9.19 (Sat)

Photo by Ichiko Uemoto

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 ECDの「ROCK IN MY POCKET」という曲を知っているだろうか。知らなくても無理はない。作者は決して著名なアーティストではないし、同曲もヒット・ソングではない。しかしそれが少なくない人々の心を射抜き、人生を変えたこともまた確かなのだ。
 4半世紀以上前にあたる2000年6月、大手レコード会社〈エイベックス〉から発売されたラッパー=ECDのアルバム『Thrill Of It All』に「ROCK IN MY POCKET」は収 録されている。1991年にいわゆるバブル景気が弾け、日本経済はそこから長い低迷期に突入していったわけだが、音楽市場に関しては10年程のずれがあって、むしろ1990年代が最盛期だった。そして、当時、ミリオン・セラーを連発していたのが〈エイベックス〉だ。一方で同レコード会社は、まだマイナーだった日本語ラップ・シーンをサポートしていた。あるいは日本においてこのジャンルはバブル景気のトリクルダウンによって発展してきた側面があることを否定できない。
 ECDは〈エイベックス〉傘下のレーベル〈カッティング ・ エッジ〉にアーティストして所属するだけでなく、プロデューサーとしても契約を交わしていた。大会社の莫大な売り上げの余剰として配分される予算をもって、若いアーティストの作品を制作したり、イベントを主催、安定した収入を得ていたものの、彼は次第に心を病んでいった。要因には、パンク・ロック、もしくはそのムーヴメントに影響を受けた日本のインディペンデント・カルチャーが文化的根源であるECDにとって、それが矛盾した活動だったことがあるのではないか。

Photo by Ichiko Uemoto

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 1999年の夏、ECDはアルコール依存 症に伴う発作で緊急搬送。その後、精神科病院に入院することになる。『Thrill Of It All』は依存症の末期に制作が始まり、退院後に完成させたアルバムだった。後年、アルコールを絶った本人は「(同作には)依存症の影響がはっきりと表れているね」と苦笑いしながら振り返ったが、当時のポップスやラップ・ミュージックとは一線を画したドラッギーな音とシュールな歌は、確かに社会から外れたアウトローを思わせる。
 つまり『Thrill Of It All』は1990 年代末という、とっくに衰退期に入っていたのにも関わらず目先の儲けに浮かれていた日本社会に、矛盾を抱えながら何とか抗おうとする作品でもあったわけだが、そのテーマを象徴する楽曲こそが「ROCK IN MY POCKET」だろう。
 ECDは至ってシンプルなビートの上でラップする。「ポッケに ROCK/ROCK 石コロ/これだけありゃ何でもできる」。まるで目の前に本人がいるかのような生々しさで、ただその姿は、アルコールで酩酊している中年男性にも、ロック・ミュージックにのめり込んだばかりのティーンエイジャーにも見える。アーティストの原点には、幼い子どもが公園で何気なく石ころを拾って遊ぶように、ふと聞いた、ふと目にした他者の表現がある。もちろんいわゆるアーティストだけではない。そしてどんなひとでもつまずく。その時、ポケットの中に残っていた、かつて拾った石ころに気付く。それは彼を助ける道具にも、敵を倒す武器にもなる。“Stone”(石ころ)は “Rock”(岩)の力を持つ。
 『Thrill Of It All』の後、ECDはレコード会社を離れ、インディペンデント・アーティストとして活動するようになった。日本語ラップ・シーンに留まらない幅広い場所で支持を集めていった彼の力強いライヴ・パフォーマンスにお いて、「ROCK IN MY POCKET」は重要なレパートリーだった。
 そして 2018年、ECDは逝去した。晩年、社会運動に積極的に関わった彼は、例えば「デモなんかやって意味があるのか?」「結局、何も変わらないよ」というような冷めたクリシェに反論するように、SNS上で 呟いた。「どうして無力だと思いたがるのか。あるよ。ひとりにはひとり分。力が」。そこに込められた想いは「ROCK IN MY POCKET」の延長線上にあるだろう。
 ECDはマイナーなアーティストかもしれない。いや、彼はむしろマイナーな存在であることにこだわった。そしてそんな日の当たらない場所から投げられたからこそ、「ROCK IN MY POCKET」という小さな石ころは、大きな岩となって、アートの本質を射抜いたのだ。


執筆者プロフィール

磯部 涼(いそべ りょう)

ライター。文化と社会の関わりを主題とする。最新刊は『脱法』(大洋図書、2026)。その他、著書に『ルポ 川崎』(サイゾー、2017)、『令和元年のテロリズム』(新潮社、2021)、共著に『ラップは何を映しているのか—「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』(毎日新聞出版、2017)などがある。

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