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閉幕および退任のご挨拶
2019.10.27
KYOTO EXPERIMENT 2019が本日閉幕を迎えます。
10月5日から始まった今年のフェスティバルも、あっという間に23日間の会期を終えようとしています。大きな事故もなく終えられることに、まずは胸を撫で下ろしているところです。
岡田利規率いるチェルフィッチュと金氏徹平のコラボレーション、チョイ・カファイから始まり、翌週はタニノクロウ率いる庭劇団ペニノとブシュラ・ウィーズゲン、そしてその翌週はウィリアム・ケントリッジにネリシウェ・ザバと久門剛史。そしてこの週末は、アミール・レザ・コヘスタニ、神里雄大/岡崎藝術座、サイレン・チョン・ウニョンとG_Voiceの皆さん。また会期を通じて行なった展覧会「ケソン工業団地」では、イム・フンスン、イ・ブロク、そしてユ・スという3名のアーティストが参加してくれました。
いずれも現代を射抜く優れた作品で、多くの観客に感銘を与えたことと思います。そして同じ週末に紹介した作品が、図らずも互いを照射しあい、様々なものの見方を提示してくれたことは、得難い体験でした。
そのほか、フリンジに参加いただいたアーティスト、ご来場いただいた観客の皆さん、そして運営をサポートしてくださったボランティアスタッフの皆さん、支援いただいた多くの団体・個人の皆さんに感謝申し上げます。
さて、この10回目をもって、私はプログラムディレクターとしての務めを終えるため、運営を支えてくれた主催団体への感謝も伝えたいと思います。
KYOTO EXPERIMENTは京都芸術センターがなければ始まりませんでした。センターができた当初、私は所属していた劇団が制作室というスタジオを使うために訪れていたのですが、2002年ごろから主催事業に携わらせてもらえるようになり、2004年から2009年までは「演劇計画」というプロジェクトをやってきました。これは制作から発表まで一連の流れを京都芸術センターがサポート・プロデュースするものです。KYOTO EXPERIMENTは言わばその発展形です。今回も数組の参加アーティストが制作室でクリエーションを行い、KYOTO EXPERIMENT 2019でその初演を迎えました。
元小学校という、子供たちを育てる場所が、現在はこうして若手アーティストを応援する場所になっているのは、とてもいい雰囲気です。またこのいい雰囲気に一役買っているのは建物そのものの素敵さです。1931年に現在の校舎ができましたが、学区の町衆の寄付があったからこそ、この趣のある建物が実現したのです。そして閉校になったあと、芸術センターとしてリニューアルするにあたっては、設置者である京都市だけでなく、地元市民と芸術関係者(とりわけ京都舞台芸術協会)の積極的な意見と関与があって、極めてフレキシブルな運営体制が構築されました。
こうした「必要な場所は自分たちで作る」というスピリットが、京都の文化の基本的スタンスなのだなと思い、KYOTO EXPERIMENTという国際プラットフォームを作ろうという意欲も自然と湧いてきました。
京都芸術センターの皆さん、フェスティバルの立ち上げ以来、会場として、また創作の場として、そしてアートコーディネーターの皆さんの貢献によってKYOTO EXPERIMENTを支えていただき、ありがとうございました。
2000年、京都造形芸術大学は4年制大学となり、それに合わせて映像・舞台芸術学科が誕生しました。続く2001年に京都芸術劇場 春秋座・studio21が設立されました。
身も蓋もない言い方をすると、当時京都にいた私や舞台関係者からしたら、「黒船が来た!」みたいな感じでした。東京や世界で活躍する演劇人や舞踊家が専任講師として京都にやって来たのですから。警戒し、一定の距離を取る人もいました。そういうものだと思います。(劇場の薄暗い客席ではなく、日の光の下、造形大の大階段の下で“生”太田省吾さんを見たときの衝撃たるや忘れられません。)
そんな我々の警戒に反して、造形に来た先生たちは積極的に京都の舞台状況と関わってくれました。当時まだ京都にいたアーティストを講師に招き、どうすれば京都の舞台芸術環境とつながり、振興できるか、そこにも真剣に取り組んでいました。
そして演劇が単なる娯楽ではなく、「芸術」の一つだと教えてくれたのは、この場所でした。私は当時既に舞台の仕事を始めていましたが、この講師陣と触れ合う中で、学生に戻ったかのように(苦しみながら)学んでいきました。「舞台芸術」という雑誌を大学は発行していますが、最初私はチンプンカンプンでした。でも、講師陣との仕事をする上で、彼らと議論するため、必死で読み込んだことが懐かしいです。
しかし私以上に学んだのは、そこにいた学生たちです。造形の映像・舞台芸術学科が輩出した素晴らしい才能は数知れません。杉原邦生、きたまり、村川拓也、木ノ下裕一、相模友士郎、倉田翠、和田ながら…
私は、KYOTO EXPERIMENTで春秋座にどの演目を配置するかを考えるとき、空間的な条件だけでなく、大学の劇場として何を紹介すべきか、そして学生にとって意味のある上演とは何かを常に考えてきました。果たして今年のプログラムがそれに応えられたか、何も断言できませんが、でも何が将来の役に立つかなんて誰にも約束できないことなので、とにかく素晴らしい作品を紹介するのみです。
そしてここ、ロームシアター京都です。私は普段基本的にここにいるわけですが、劇場という建物で仕事するようになって、舞台の仕事についての意識が変わりました。建物は動かず、かつここは公の施設なので、言ってみれば「来るもの拒まず」で、日々いろんな方々の出入りを受け入れ、それを眺めたり、お問合せに答えたりしています。時にはお叱りも受けながら。
つまり、人々の生活に触れながら仕事をしているということです。劇場は人々の日常の場としてもありうるのだということです。そのおかげで、京都という町のことも以前よりずっと皮膚感覚で知れるようにもなってきました。
KYOTO EXPERIMENTは京都という町を舞台としてお借りして行う催しなので、そうした意味で劇場で仕事をするようになり、内容にも少しづつ変化が出てきた気がします。期間限定で設置したこの舞台「シマシマジマ」は、人々の交流の場として今年大活躍しました。この舞台はdot architectsによって設計・制作されましたが、彼らとの出会いは、2016年春にスタートさせた「researchlight」というプロジェクトがきっかけです。
また、劇場の機構でなければ実現できない演目なども紹介できるようになって、そうした意味でもこのフェスティバルを成長させてくれるきっかけになりました。毎回技術的にも運営的にも無茶をするプロダクションを、私がここで仕事をしているからということで受け入れて、施設管理の職員や劇場テクニカル・スタッフにも苦労をかけてきました。ありがとうございます。
また、いつもお世話になっている京都府立府民ホールALTIの皆さんにも感謝申し上げます。
さらに今年は新しい会場が加わりました。THEATRE E9 KYOTOです。言うまでもないことですが、民間主導でこの規模の劇場が立ち上げられたことは驚くべきことです。この志を貫徹したあごうさとし芸術監督はじめ、関係者の皆さんのご尽力には、ただただ敬服するのみです。
劇場は単に建物としてあるのではなく、人を育て、記憶を留め、新たな創造の源泉となることを、京都で活動する私たちは実感し、その恩恵に与ってきました。そこに加わる新たな場が今年の6月に誕生したわけです。KYOTO EXPERIMENTにとっても、これほど勇気付けられる出来事はありません。これからもよろしくお願いします。
最後にインターンを含む事務局のメンバーに感謝を伝えたいと思います。これまで関わってきた多くの事務局スタッフは、フェスティバルの繁忙期でない時期は別の仕事をしています。それはフェスティバルの運営上、そうした契約形態が経営的に助かるからです。一方で別の仕事とは何かというと、その多くは、別の舞台の仕事、自分の愛すべきグループやアーティストとの仕事です。私はそれをとても良いことだと思っています。あえてフェスティバルをパブリックセクターと呼ぶならば、こうした契約形態をとることで、個別のグループやアーティストと仕事をしている民間セクターの人たちと一緒に仕事ができるからです。フェスティバルの立場からは、現在の京都や日本の舞台芸術の実情を個々のスタッフを通じても知ることができ、今この環境に対して何をすべきかリアルに感じ取ることができるメリットがあります。スタッフの立場では、個々のケースでは解決できない課題を、フェスティバルというより大きなプラットフォームで検証でき、より広い状況や背景を知り、そこにコミットできるチャンスが得られます。ここでの仕事を通じて、事務局のスタッフがパブリックな視点を得て、それをそれぞれの現場に持ち帰ってもらえること、そしてフェスティバル以外でもそれぞれ繋がり、連携がなされてきたことが、フェスティバルの公共性を測る上で、実は一番の成果だと言えるのではないかと思うのです。高い「公」の意識を持って仕事をしている事務局のメンバーをとても誇りに思います。そして、立ち上げ当初からの困難な道のりを共に歩んでくれたことに感謝を申し上げます。今まで本当にありがとうございました。
さて、来年から塚原悠也さん、川崎陽子さん、ジュリエット・礼子・ナップさんのコレクティブにディレクターをお任せするわけですが、挨拶を締めくくるにあたり、3人にメッセージをお伝えします。
表現の場が狭められているこの日本の状況において、EXPERIMENTの名を冠した事業を行なっていくことは容易いことではありません。表現の砦を守るべく、困難な戦いがこれから待っていると思います。しかし希望を失わず、楽しみながらフェスティバルという場を拓き続けていってほしいと思います。
そして一言付け加えるならば、KYOTO EXPERIMENTという場を使って、これからいろんな実験ができることが羨ましい!私も別に全てをやり尽くした訳でも、これで舞台の仕事を辞めるわけではないからです。これからは、よきライバルとして、あるいは協力者として共に高め合っていければ良いなと思います。
みなさんこれまでどうもありがとうございました。またどこかでご一緒しましょう。
2019年10月27日 京都
橋本裕介