2021.10.1 Fri - 10.24 Sun

magazine

ディレクターズ・メッセージ

2021.7.28

KYOTO EXPERIMENTは今回で12回目を数え、2021年は春に続けて秋の開催となる。1年のうちに春期・秋期と開催することで、秋のフェスティバルが春期からの発展になるのみならず、春期の試みを再発見するような関係性を生み出すことを考えている。共同ディレクター体制となり、初めて迎えた春のフェスティバルで試みたことは、このフェスティバルで問うべき舞台芸術の実験とは何か、を体現する作品群の上演と、これからのフェスティバルの土壌を耕し、より開いていくためのリサーチとエクスチェンジであった。これらのプログラムを、Kansai Studies (リサーチプログラム)、Shows (上演プログラム)、Super Knowledge for the Future [SKF] (エクスチェンジプログラム)と名付け、フェスティバルを構成する3つのプログラムとして組み合わせて実施した。そこで見出したことのひとつは、地域性と国際性、親密さとオープンであること、即興性と再現性などをこのKYOTO EXPERIMENTという実験的表現の実践空間に持ち込むことで、それらが内包するあらゆる境界線がゆるやかになっていくということだった。全てが白とも黒とも決めつけられない、ゆるやかな場所は、同時にこれから先も変化するものであり、過去、現在、未来が混在している。

秋のKYOTO EXPERIMENTを迎えるにあたり、観客のみなさんと共に、過去、現在、未来が混在するこのフェスティバルという場所で、急激に変化する「いま」をどのようにまなざすことができるか、ということを考えたいと思った。パンデミックという危機の時代における「いま」は、どう生き抜くかという切実な問いをはらんでいるものであり、同時に聞かれないもの、見えないものをその切実さの下に覆い隠してしまうものでもある。危機的ないまをどうまなざすかということは、聞き過ごされているもの、見過ごされているものをどう感じ取るかということであり、それによりどう過去を振り返り、未来への視点を得ることができるか、ということではないだろうか。
こうした探究を深めるキーワードとして、「もしもし?!」を置いてみた。この言葉は、日本語では電話の応対で用いるものである。「もしもし?!」という言葉が内包するのは、ある身体から発せられる声の存在そのものであり、同時に向こう側で断ち切られ、聞かれないその声でもある。あるいはこの言葉は、まだ誰にも聞かれていない声を持つ、他者への呼びかけであるかもしれない。声は、肺から口に伝達し発せられるものであるが、言葉となるものであり、あるいは叫ぶこと、泣くこと、ため息、笑いにもなるものである。人間の声は、定義によると特定の人体、つまり個人に属する。声は個人的なものであり、個人のアイデンティティの下に横たわるものである。今回のKYOTO EXPERIMENTでは、聞かれなかった声、内なる声、過去と未来の声、人間のものではない声、声と身体との関係性、あるいは集合的な声と身体の関係性に注目して、私たちがいま置かれているこの時を考える場にしたい。

今回Showsで紹介する作品のいくつかは、個人的かつ親密な性質を持つ声を使って、観客それぞれとの関係性をパフォーマンスにより生み出す。ホー・ツーニェンによる『ヴォイス・オブ・ヴォイドー虚無の声』では、3DアニメーションとVRテクノロジーにより京都学派のテキストにアプローチする。ここでは歴史を再訪し、過去の声を現代に再現することで、現代の我々の視点における、疑いなき過去からの影響があらわになるのである。ベギュム・エルジヤスによる『Voicing Pieces』においては、観客は自分だけのサウンドブースの中でシンプルなスコアに導かれることにより、自らの声の観察者ともなる。それは、私たちの「内なる声」または自らの中に存在する「他者の声」への問いを発することでもある。野外パフォーマンス・プロジェクト「Moshimoshi City」では、京都という街における想像上のパフォーマンスを、アーティストたちが声のみによって立ち上げる。

また、声は、話すことと同義ではなく、音を発するものでもある。いくつかの作品では、音について探求し、あるいは音と声の境界線を探っている。ここでは、集まって「聞く」体験が重要になるだろう。荒木優光による新作では、カスタムオーディオシステムを施された車たちが「出演者」となり、比叡山の頂上に集まる。ルリー・シャバラは、自身が生み出した即興コーラスシステム「ラウン・ジャガッ」により、人間の声を楽器とすること、その声が民主的かつ集合的な力を持つことを探求する。チェン・ティエンジュオによる新作展示とライブパフォーマンスでは、クラブやレイブカルチャーと儀式や宗教の間を探求する。ここで探求される集合的な身体は、ひとつの空間に同時に存在する身体がある、ということであり、それは人が集まって「聞く」体験につながるのである。

Showsのほかの作品群では、他者の声とパフォーマーの身体の関係性を探る。和田ながらとやんツーのコラボレーションによる『擬娩』では、父親が妊娠中のパートナーの身体の徴候や妊娠にまつわる行為を模倣する「擬娩」という慣習を、パフォーマーの身体と声を通してシミュレートする。パフォーマンスユニット、チーム・チープロは「ワルツ」をテーマに関西地域で幅広いリサーチを行いながら、メンバーである松本奈々子の個人的歴史を重ね合わせて新作を発表する。ここで扱われるのは、身体の記憶を通して生み出され、発話されるテキストだ。鉄割アルバトロスケットの作品は、社会の周縁に生きるさまざまな人々を、矢継ぎ早に繰り出すショートコントのような形式を用いて描き出す。パフォーマーたちの強い身体性を通して発されるユニークな発声の声、その方言や言葉遊びは、声にひそむ雄弁な力を感じさせる。

そうした作品群と対照的かつ異なる軸として、関かおりの作品においては知覚機能の深さと非言語のコミュニケーションが重要である。そこでは、非常に微かな動きと音が繊細に積み重ねられ、観客は自らの身体の知覚をも研ぎ澄ませながら引き伸ばされた時間を体験するとともに、人間、動物、植物の境界線の間を行き来するような感覚を味わう。フィリップ・ケーヌによるパフォーマンスでは、人間も言語も存在しない巨大なもぐらの世界での非言語コミュニケーションが描かれる。

これらの作品をフェスティバルの参加者たる観客のみなさんと共有するためには、作品の提示のみならず、その作品が生まれてくる背景や、その素地をこのフェスティバルで体験する機会を創ることが重要だと考えている。アーティストは社会に「異なる視点」を投げ込む存在でもあるが、必ずその作品を育む社会背景や文脈と接続しているはずだ。どんな作品でも、その背景には必ず何かしらの社会や思考が存在している。それは、いまこの日常を生きているわたしたちと、そう相違がないはずなのだ。では、なぜそのような作品が生まれてくるか? それを紐解き、あるいは見るものの目線で新たな思考を生み出していくために、京都・関西というこの地域でどのような文化が育まれてきたのかをアーティストの目線でリサーチ・共有する「Kansai Studies」、そして異分野の専門家を招いて多様な思考を体験する「Super Knowledge for the Future [SKF]」を今回も実施する。これらのプログラムが、フェスティバルの思考を育む手がかりとなることを目指している。

この1年半の間、パンデミックにより身体が容易に移動できず、また集まれない中、身体から離れた声は移動を重ね、集まりを重ねた。今回のフェスティバルのキーワード「もしもし?!」が観客のみなさんにとって多様な声を発見し、それにより私たちのいまを見出すきっかけになることを願っている。

KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター
川崎陽子 塚原悠也 ジュリエット・礼子・ナップ

一覧に戻る

あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをがぎぐげござじずぜぞだぢづでどばびぶべぼぱぴぷぺぁぃぅぇぉっゃゅアイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニヌネノハヒフヘホマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲガギグゲゴザジズゼゾダヂズデドバビブベボパピプペポァィゥェォッャュヴ亜哀挨愛曖悪握圧扱宛嵐安案暗以衣位囲医依委威為畏胃尉異移萎偉椅彙意違維慰遺緯域育一壱逸茨芋引印因咽姻員院淫陰飲隠韻右宇羽雨唄鬱畝浦運雲永泳英映栄営詠影鋭衛易疫益液駅悦越謁閲円延沿炎怨宴媛援園煙猿遠鉛塩演縁艶汚王凹央応往押旺欧殴桜翁奥横岡屋億憶臆虞乙俺卸音恩温穏下化火加可仮何花佳価果河苛科架夏家荷華菓貨渦過嫁暇禍靴寡歌箇稼課蚊牙瓦我画芽賀雅餓介回灰会快戒改怪拐悔海界皆械絵開階塊楷解潰壊懐諧貝外劾害崖涯街慨蓋該概骸垣柿各角拡革格核殻郭覚較隔閣確獲嚇穫学岳楽額顎掛潟括活喝渇割葛滑褐轄且株釜鎌刈干刊甘汗缶完肝官冠巻看陥乾勘患貫寒喚堪換敢棺款間閑勧寛幹感漢慣管関歓監緩憾還館環簡観韓艦鑑丸含岸岩玩眼頑顔願企伎危机気岐希忌汽奇祈季紀軌既記起飢鬼帰基寄規亀喜幾揮期棋貴棄毀旗器畿輝機騎技宜偽欺義疑儀戯擬犠議菊吉喫詰却客脚逆虐九久及弓丘旧休吸朽臼求究泣急級糾宮救球給嗅窮牛去巨居拒拠挙虚許距魚御漁凶共叫狂京享供協況峡挟狭恐恭胸脅強教郷境橋矯鏡競響驚仰暁業凝曲局極玉巾斤均近金菌勤琴筋僅禁緊錦謹襟吟銀区句苦駆具惧愚空偶遇隅串屈掘窟熊繰君訓勲薫軍郡群兄刑形系径茎係型契計恵啓掲渓経蛍敬景軽傾携継詣慶憬稽憩警鶏芸迎鯨隙劇撃激桁欠穴血決結傑潔月犬件見券肩建研県倹兼剣拳軒健険圏堅検嫌献絹遣権憲賢謙鍵繭顕験懸元幻玄言弦限原現舷減源厳己戸古呼固股虎孤弧故枯個庫湖雇誇鼓錮顧五互午呉後娯悟碁語誤護口工公勾孔功巧広甲交光向后好江考行坑孝抗攻更効幸拘肯侯厚恒洪皇紅荒郊香候校耕航貢降高康控梗黄喉慌港硬絞項溝鉱構綱酵稿興衡鋼講購乞号合拷剛傲豪克告谷刻国黒穀酷獄骨駒込頃今困昆恨根婚混痕紺魂墾懇左佐沙査砂唆差詐鎖座挫才再災妻采砕宰栽彩採済祭斎細菜最裁債催塞歳載際埼在材剤財罪崎作削昨柵索策酢搾錯咲冊札刷刹拶殺察撮擦雑皿三山参桟蚕惨産傘散算酸賛残斬暫士子支止氏仕史司四市矢旨死糸至伺志私使刺始姉枝祉肢姿思指施師恣紙脂視紫詞歯嗣試詩資飼誌雌摯賜諮示字寺次耳自似児事侍治持時滋慈辞磁餌璽鹿式識軸七叱失室疾執湿嫉漆質実芝写社車舎者射捨赦斜煮遮謝邪蛇尺借酌釈爵若弱寂手主守朱取狩首殊珠酒腫種趣寿受呪授需儒樹収囚州舟秀周宗拾秋臭修袖終羞習週就衆集愁酬醜蹴襲十汁充住柔重従渋銃獣縦叔祝宿淑粛縮塾熟出述術俊春瞬旬巡盾准殉純循順準潤遵処初所書庶暑署緒諸女如助序叙徐除小升少召匠床抄肖尚招承昇松沼昭宵将消症祥称笑唱商渉章紹訟勝掌晶焼焦硝粧詔証象傷奨照詳彰障憧衝賞償礁鐘上丈冗条状乗城浄剰常情場畳蒸縄壌嬢錠譲醸色拭食植殖飾触嘱織職辱尻心申伸臣芯身辛侵信津神唇娠振浸真針深紳進森診寝慎新審震薪親人刃仁尽迅甚陣尋腎須図水吹垂炊帥粋衰推酔遂睡穂随髄枢崇数据杉裾寸瀬是井世正生成西声制姓征性青斉政星牲省凄逝清盛婿晴勢聖誠精製誓静請整醒税夕斥石赤昔析席脊隻惜戚責跡積績籍切折拙窃接設雪摂節説舌絶千川仙占先宣専泉浅洗染扇栓旋船戦煎羨腺詮践箋銭潜線遷選薦繊鮮全前善然禅漸膳繕狙阻祖租素措粗組疎訴塑遡礎双壮早争走奏相荘草送倉捜挿桑巣掃曹曽爽窓創喪痩葬装僧想層総遭槽踪操燥霜騒藻造像増憎蔵贈臓即束足促則息捉速側測俗族属賊続卒率存村孫尊損遜他多汰打妥唾堕惰駄太対体耐待怠胎退帯泰堆袋逮替貸隊滞態戴大代台第題滝宅択沢卓拓託濯諾濁但達脱奪棚誰丹旦担単炭胆探淡短嘆端綻誕鍛団男段断弾暖談壇地池知値恥致遅痴稚置緻竹畜逐蓄築秩窒茶着嫡中仲虫沖宙忠抽注昼柱衷酎鋳駐著貯丁弔庁兆町長挑帳張彫眺釣頂鳥朝貼超腸跳徴嘲潮澄調聴懲直勅捗沈珍朕陳賃鎮追椎墜通痛塚漬坪爪鶴低呈廷弟定底抵邸亭貞帝訂庭逓停偵堤提程艇締諦泥的笛摘滴適敵溺迭哲鉄徹撤天典店点展添転填田伝殿電斗吐妬徒途都渡塗賭土奴努度怒刀冬灯当投豆東到逃倒凍唐島桃討透党悼盗陶塔搭棟湯痘登答等筒統稲踏糖頭謄藤闘騰同洞胴動堂童道働銅導瞳峠匿特得督徳篤毒独読栃凸突届屯豚頓貪鈍曇丼那奈内梨謎鍋南軟難二尼弐匂肉虹日入乳尿任妊忍認寧熱年念捻粘燃悩納能脳農濃把波派破覇馬婆罵拝杯背肺俳配排敗廃輩売倍梅培陪媒買賠白伯拍泊迫剥舶博薄麦漠縛爆箱箸畑肌八鉢発髪伐抜罰閥反半氾犯帆汎伴判坂阪板版班畔般販斑飯搬煩頒範繁藩晩番蛮盤比皮妃否批彼披肥非卑飛疲秘被悲扉費碑罷避尾眉美備微鼻膝肘匹必泌筆姫百氷表俵票評漂標苗秒病描猫品浜貧賓頻敏瓶不夫父付布扶府怖阜附訃負赴浮婦符富普腐敷膚賦譜侮武部舞封風伏服副幅復福腹複覆払沸仏物粉紛雰噴墳憤奮分文聞丙平兵併並柄陛閉塀幣弊蔽餅米壁璧癖別蔑片辺返変偏遍編弁便勉歩保哺捕補舗母募墓慕暮簿方包芳邦奉宝抱放法泡胞俸倣峰砲崩訪報蜂豊飽褒縫亡乏忙坊妨忘防房肪某冒剖紡望傍帽棒貿貌暴膨謀頬北木朴牧睦僕墨撲没勃堀本奔翻凡盆麻摩磨魔毎妹枚昧埋幕膜枕又末抹万満慢漫未味魅岬密蜜脈妙民眠矛務無夢霧娘名命明迷冥盟銘鳴滅免面綿麺茂模毛妄盲耗猛網目黙門紋問冶夜野弥厄役約訳薬躍闇由油喩愉諭輸癒唯友有勇幽悠郵湧猶裕遊雄誘憂融優与予余誉預幼用羊妖洋要容庸揚揺葉陽溶腰様瘍踊窯養擁謡曜抑沃浴欲翌翼拉裸羅来雷頼絡落酪辣乱卵覧濫藍欄吏利里理痢裏履璃離陸立律慄略柳流留竜粒隆硫侶旅虜慮了両良料涼猟陵量僚領寮療瞭糧力緑林厘倫輪隣臨瑠涙累塁類令礼冷励戻例鈴零霊隷齢麗暦歴列劣烈裂恋連廉練錬呂炉賂路露老労弄郎朗浪廊楼漏籠六録麓論和話賄脇惑枠湾腕𠮷×ん々吾