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ダンス
magazine
2021.10.13
関かおりPUNCTUMUN『むくめく む』の上演に向けて、ダンス批評家の竹田真理氏によるプレビュー記事です。関かおりの過去の活動・作品について掘り下げつつ、『むくめく む』がどんな作品なのかご紹介いただきました。
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2010年代、京都における国際フェスティバルの10年はポストドラマ演劇との出会いと受容の期間であっただろう。作品は現実との交点に立ち上がる何かであり、舞台芸術の新しい手法が社会と創作を直截につないでいく。創造行為とはリファレンスと文脈の編集を意味し、個人の才能に依拠したオリジナリティの神話が遠ざかる一方、集団創作の共同性が作品の同一性を担保する。とはいえ、草間彌生や勅使川原三郎の名を出すまでもなく、アーティスト個人の強烈なヴィジョンに依拠した創造性というものは存在する。ビッグネームと並べてしまうと本人は当惑するに違いないが、関かおりはそうしたアーティストの一人であると私は考える。薄い被膜のような衣装を着けたダンサーたちが舞台の上で秘めやかに息づいている様子、あるいは触覚のように手足を訝しげに動かす様子は、奇妙ではあるが、ある摂理に従って生息している生き物を思わせる。関の作品に一貫して現れる独特の身体像である。古語や外国語を参照した造語による作品タイトルも、既存の言語では表しきれない独創的な世界の手触りを伝える。
関かおりの名が広く知られるようになったのは2012年、横浜ダンスコレクションの「若手振付家のための在日フランス大使館賞」と、トヨタ コレオグラフィーアワードの「次代を担う振付家賞」を重ねて受賞した時である。活況を過ぎた日本のコンテンポラリーダンスが長い再考と模索の時期にある中、関かおりの静謐な作品世界と内的な探求が時代の思潮と共振したのだろう。音楽を用いず、リズムとステップで時間を分節するのではない作舞の方法は、ダンスをグルーヴ的な価値とは別の地平に連れ出し、身体感覚の探求へと導いていく。横浜での受賞作『Hetero』(岩渕貞太との共作/2011年初演)に見る向かい合った二人のダンサーのシンメトリーな動き、あるいはトヨタの受賞作『マアモント』(2010年初演)におけるアクロバティックともいえる合体には、ダンスでしばしば用いられる「音楽的か、演劇的か」の分類に当てはまらない造形的な指向を見て取ることが出来るかもしれない。しかしさらに丁寧に見ていけば、それらは視覚的な効果を狙ったものというより、自らと他の身体との間に無二の関係を築き、叶うことのない同一化を図ろうとする切ない試みであることが分かる。部位と部位の間に発見される名もない空間に互いの身体を組み入れて成す一つの不思議な造形物。あるいは顎の裏の薄い皮膚で相手の同じ個所に触れながら、自他の溶け合う感覚を味わい、消え去ることのない境界と自らの存在を確かめる。観客は息をひそめながら、その繊細を極めた一部始終を見つめることになる。
『うとぅ り』Photo by Kazuyuki Matsumoto
2013年初演『アミグレクタ』や2014年『ミロエデトゥト』になると、身体の構造と動きへの探求はさらにラディカルに推し進められる。白い床に四肢を突き立て這うように進み、背や腹を床に密着させてごろごろ、ゆるゆるとうごめく様子は、地上に初めて姿を現した生き物が空気や重力や地面の肌理を確かめ、自身の身体をどのように関わらせ、定位するかを探っているかのようである。二本の足で立っていても、その直立は自明ではなく、身体と環境、身体と世界との関わりを原初に戻って探り直している。そこに現れる見たことのない、しかし何かの摂理や論理に従っている動きや存在の仕方は、今のようではなかったかもしれないヒトの生態や様態、このようであっても何ら矛盾のないはずの身体の運営のされ方を、しかし進化のどこかの分かれ目で選ばれなかった、実現されなかった可能態として示しているのだと言えないだろうか。ダンサーの研ぎ澄まされた身体が、それを見せてくれる。「空間には無数の点がある」とはある舞踏家の言葉だが、身体の中の「無数の点」を意味する「PUNCTUMUN」(プンクトゥムン)を団体名にもつダンサーたちは、骨格の隅々まで耕された身体の知によって、われわれとは異なる論理に則った身体の運び、構え、営みの様態を無数の点の可能性の中に見出している。関かおり個人の強烈なヴィジョンと先に述べたが、創作の実際はダンサーたちとの共同性に基づいた息の長いリサーチの賜物なのである。
2016年『を こ』から近年の『うとぅ り』、そして今回の演目『むくめく む』では、より人数を増したダンサーらの営みが一つのコロニー/生態系を形成するが、時に番(つがい)を作り交感しあうダンサーたちが、男女の二項にとどまらない多様な結ばれ方をしているのにも、私たちは驚いたり戸惑ったりするより、その矛盾のなさに心を解(ほど)かれることだろう。そしてこちらの道を来てしまったわれわれ自身の振舞いが、最も私的で親密な場面においてさえ、かくも規範化されていることに今更ながら気付かされるだろう。性とジェンダーのあり方がかつてなく議論される今日、関かおりPUNCTUMUNの示す身体のヴィジョンが、ようやく実現する関西での初公演で、新たな共振を引き起こすかもしれない。漂ってくる香り、床に敷かれる素材の感触など、五感を呼び覚ます演出も楽しみだ。心から期待している。
竹田真理(たけだ・まり)
ダンス批評。関西を拠点に活動。KYOTO EXPERIMENTを継続的に取材。毎日新聞大阪本社版、「シアターアーツ」、国際演劇評論家協会関西支部発行の劇評誌「ACT」、その他にダンス評を寄稿している。