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【コラム】ポリティカル・アーティファクト 荏開津 広
2021.3.3
フェスティバルプログラムをより楽しむためのコラムです。このコラムとあわせて、ぜひ楽しんで欲しいおすすめプログラムも紹介しています。(KYOTO EXPERIMENT magazineより転載)
しかし「光」と「光のアート」は違う。
「光」は物理的な現象だ。一方、「光のアート」はヒトが作るものである。ヒトの力で光をコントロールして、はじめて光のアートが生まれる。
では光のアートの起源はいったい何か?――布施英利、『ポスト・ヒューマン』、法蔵館、1995年。
巨大ロックフェスティヴァルのほんの数人の出演者を巡り#音楽に政治を持ち込むなよといったハッシュタグがソーシャル・メディアで氾濫する。TWITTERで82万人のフォロワーを誇る美容整形外科医が「あいちトリエンナーレ」の展示についての対応で県知事の解職請求運動を始める。コメディアンがニュース番組にコメンテーターとして出演し、政権支持/批判の旨の発言をする。人気ロックバンドが愛国を高らかに宣言する曲をリリースし、その批判が集まる。トランプ支持を公表した日本人ラッパーに“クズ”といった罵倒と賛美が寄せられる。ハイ・カルチャーからサブ・カルチャーまで、日本においてのアートの作品と実践と政治的スローガンの“蜜月”はいつから始まったのか?
2011年3月11日、東日本大震災は、マグニチュード9.0、最大震度7の地震と津波、そして日本だけでなく人類が経験したことのない未曾有のレベル7の放射能事故という果てとなった。多くの犠牲者を生んだ福島と被災地全体を高度な政治的判断を要する緊密で政治的な時と空間と化した。こうした政治的な時間と空間へ芸術が介在していく例は、これまでに枚挙にいとまがない。アメリカ合衆国の各都市においてのBlack Lives Matter運動は、デモンストレーションだけではなく、1968年のパリ5月のようにグラフィティやミュラルと共に始まった現象であることや、2014年の台湾における“ひまわり学生運動”の国会議事堂占拠は、ヴィジュアル・コミュニケーションやテクノやロック、ポップ音楽などのサブカルチャー/アートを巻き込みながら開始されたことがすぐに思い浮かぶ。実際に多数の痛ましい犠牲者たちを残していく惨事の時と場においてならば、例えば、1993年のNATO空爆後のサラエヴォでの作家・批評家のスーザン・ソンタグによる物議を醸した演劇上演があるだろう。
2020年7月の竹内公太による展示『Body is not Antibody』では、2011年以降に福島に移り住んだ竹内が生活するなか、帰還困難区域で警備員の仕事をする際に使用していた赤く光る誘導棒の動きの跡を撮影して作られた写真が、壁の一面に格子状に貼られていた。写真の印刷や紙の状態もあり、遠くからでは頼りないような形状の光のアルファベットと記号のフォントのみが、そして、それぞれを覗き込むと様々な――いずれにせよ、福島の帰還困難区域の裡だが――風景で実際に誘導棒が振られて光の文字が作られている様子を見ることができた。もう一面の壁には、このフォントを利用してのコピー紙を大量に貼った『リヴァイアサン』 (トマス・ホッブス) からの扉絵だという、巨大な記号の集成の影のような王の肖像が形成されていた。最後の壁の前に置いてあるベンチの頭上には、やはりこのフォントにより大きく“ALIENS”との単語が読めるように貼られて並べられてあった。わたしが会場の“SNOW Contemporary”を訪れた際、誘導棒は床の端に転がっていたり、立てかけてあったりした。入り口を開けてすぐに置いてあった“作者より”と題された展示についての記述にはこうあった――「・・・元の絵は、海から出て山より高く描かれた王様の絵です。王の体が人民たちの体によって形作られている。手前の町には軍事訓練をする者たち、またペスト医師ではないかという説のある二人の人間以外は誰もいない、といった絵です (中略) 王様の被り物がウィルス名の由来と同じということにも気づいて、制作してみたいと思うようになりました・・・」
放射能への畏れがその頂点へ達していた時と空間に戻る。2011年の8月の終わりの或る晴れた日、多くの視線が、政府と東電と識者の解釈のコメントをパッケージしたテレビの番組ではなく、途切れなくYouTubeに接続されていた福島第一原子力発電所を映しだす“ふくいちライブカメラ”の普通ではない現象を捉えた。原発内に設置していったカメラの前に作業員らしき白い防護服を着たその人物は姿を現すと、中央に狙いを定めるようにしてモニターカメラに向かって実に20分に渡って指を差したので、レベル7の厄災の爆心地においてのこの常軌を逸しているとしか思えない行為は、YouTubeのコメント欄に無限に政治的/非政治的な解釈を並べさせた。当時すぐさま“指差し作業員”と名付けられたこの現象も、その後作業員の代理人として竹内公太が名乗り出ており、コンテンポラリーアートへと為された或る行為/記録だと判明している。2012年には『公然の秘密』の欠かせない要素として、この映像は東京のSNOW Contemporaryにて展示され、“Body is not Antibody”に至るまで、彼の探索は『影を食う光』(2013年)、『写真は人を石碑にする、それでも人は』(2017年)、『盲目の爆弾』(2019年)といった展示として発表されてきた。東日本大震災は被災地のみに高度に政治的な文脈を被せたのではなく、素早く日本のすべてを強力な政治的空間と時間に巻き込んでいった。
メルトダウン直後からの一時は数十万人に拡がったといわれる路上での原子力発電所反対デモンストレーションは、明らかに2010年前後からといわれ、毎月のように人種主義をめぐって日本各地の路上で起こっているデモとそのカウンター・アクション、またその後の2015年の日本政府の特定秘密保護法の可決を受けての“自由と民主主義を求める緊急学生運動”などともに連なりのなかにある。こうしたデモンストレーションや各々の行動に、それぞれが当事者としてどう参加したのか/しなかったのかは差し迫ったものとしてある。しかし、同時にこれらの連なりは2010年代だけに限った現象でもないように思える。1980年代は措いておくとしても、あえて触れるのなら阪神大震災とオウム真理教事件の前後、既に1990年代半ばには私たちは政治的な言説とイメージに、戦争/平和に、『朝まで生テレビ』に、ワイド・ショウに、朝日新聞や産経新聞に、従軍慰安婦の議論に、保守とリベラルに当事者として見物人として晒されており、それは尖閣諸島からロシアとの北方領土までを覆っていたのだから。そして、このように氾濫し私たちの周囲を満たす解釈は2020年にも決して交叉しない無数のフェイク・ニュースや陰謀論として未だに、しかしさらに拡がり流布し続けている。
私たちに被さるようにして政治的な言説が自明のものとしてあるなら、政治的な物的対象/オブジェクト (ポリティカル・アーティファクト) はあるか?「技術と社会に関わる論争で、技術的なものが政治性をもっているという考えほど挑発的なものはない」とレンセラー工科大学教授/政治理論家のラングドン・ウィナーは、その著書『鯨と原子炉』に記す。「技術による人工物が政治的特性をもつという概念をもてあそぶ者に対しては、問題となるのは技術それ自身ではなく、それが埋め込まれている社会的・経済的システムなのだと、きっぱりした勧告が下されるのがふつう」なのだが、ウィナーは続ける。「原爆は本来的に政治的な人工物である。それは死をもたらすという性質を備えているために、その機能を予測不可能なものとするすべての影響を遮断した、集権的で厳格に階層的な命令系統によって管理することが必要となる」――ウィナーの議論は、原爆からいわゆる原子力の核エネルギーの使用が“戒厳令下の非常手段”を日常的なものにしていく、人工物の持つ政治性についてである。
“指差し作業員”の行為が、ヴィト・アコンチの古典的なヴィデオ・アートのための“Centers”を連想させることは、レベル7の厄災の地点で露わになった人工物の政治性と美術/光を支配する世界が二重に曝されつつ、中央集権的な構造を持つことを喚び起こす。その集成のなりたちが男性原理的な所作によることも“Centers”に倣うのだが、YouTubeという回路を経由循環し展示され、それは“公然の秘密”になる。そのこと自体が強くはあるかも知れないが不安定な専制論理を内面化した美学の空間へ侵入する。一方『Body is not Antibody』は弱々しく見えるかも知れないが、創造性が中心にある自己完結しないエコシステムのようで、その端と端は何か他の始まりになりうる。フォントのデザインのようでもあるが、光の文字を使ったアートのようである。また、そうでなくてもいいとも思えてくる。しかし、どこかに大きな物語があるとしたら、飼いならし図式的に整えるのではなく、むしろ開いて介在を呼び込んでも維持できる形式を探っているのかも知れない。
国家の統一性について、契約としての絶対王権についてのホッブスの四部構成からなる『リヴァイアサン』には、例えば、“文字”についてこう記している。
「印刷術」の発明はたしかに独創的ではあるが、「文字」のそれに比すればものの数ではない。しかし文字の最初の使用者がだれであったかは知られていない。文字は過去の記憶を継承し、地球上かくも多く、しかも遠い地域に散らばって住んでいる人類を結合する有益な方法である (中略) 人間はおびただしい言語を持っているためにそれだけ通常よりも賢くなり、あるいは狂いもする。また文字がなければ、いかなる人もとりわけ賢明になることも、とりわけ愚かになることもありえない (永井道雄、宗片邦義訳、中央公論社、1971年)。
未だ私たちが1945年以来の光に纏わりつかれていることは、ここに記すのさえ躊躇うほどである。
荏開津 広
執筆 / DJ / 同志社大学非常勤講師。東京の黎明期のクラブでDJを開始、以後主にストリートカルチャーの領域で活動。Port B『ワーグナープロジェクト』音楽監督、翻訳に『サウンドアート』(2010)。
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#ポリティクス #音楽 #エコシステム