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実行委員長ご挨拶
2022.7.19
現代の舞台芸術における「知性」と「美」
昨年でしたか、たまたま購入した現代アートについての新刊書に、マルセル・デュシャンが、絵画は「知性」に関わるべきで、単に視覚的・網膜的であるだけでは不十分だと発言してから、現代アートに「美」はかならずしも必要ではないと考えられているとあったのに接して、妙に腑におちるものがありました。この傾向は現代の舞台芸術にもあてはまると思えたからです。
以下は能楽の歴史的研究を専門とする筆者の断想ですから、そのつもりで聞いていただければよいと思いますが、デュシャンのいう「知性」が時代や社会という外部に向けられた「主張」をさしていることはたしかでしょう。それまで王座に君臨していた「美」はその座を降りるときがきたというのです。いうまでもなく、これは現代という時代や社会の要請ですが、それはそれとして、その座を「知性」や「主張」に譲った「美」のゆくえはどうなったのか。私見によれば、「主張」が中心となっている現代の舞台芸術の場合、かつての「美」はその「主張」を支える「表現」として、たとえばウイット、風刺のような「遊び」としてすでに再生しているのではないかと思います。
今年で13回を数えるKYOTO EXPERIMENTのキーワードは、「ニュ-てくてく」です。それには今後の舞台芸術の「主張」を支える「表現」をどのように考えてゆくか、それについても「てくてく」考えようという含意もあるのだと思います。
京都国際舞台芸術祭実行委員長 天野文雄