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ディレクターズ・メッセージ 2023

2023.7.20

KYOTO EXPERIMENT 2023は、「まぜまぜ」をキーワードとして開催する。キーワードは、この言葉を鍵としてさまざまな問いへの扉を開いていけたら、というイメージで設定している。したがって、フェスティバルで紹介する全ての作品がこの言葉のもとにおさまるようなテーマではなく、プログラムへの多様な視点を得るための言葉と考えている。
「まぜまぜ」に行き着くまでの大きなヒントは、今年のShowsプログラムのうちいくつかに見出せる、「言語(身体言語を含む)」や「継承」、「アイデンティティ」といったアイディアである。これらの概念は、単一的な真正性が問えるものではなく、さまざまなものが混ざり合いながら存在しているのではないか、ということをディレクターチームで話し合った。翻って、いまの国内外の状況では、さまざまな分断が進み、白か黒か、という二項対立的な思考が顕著になっているようにも感じる。「まぜまぜ」は、そうした状況において、可変性や流動性、複数性を思考の軸のひとつとすることはできないかと考え、設定したキーワードである。
アイデンティティや帰属について考えるとき、国籍・民族・言語がその出発点になることが多いのではないだろうか。「まぜまぜ」というキーワードを通してこれらの出発点を思考することで、現代社会をオルタナティブなやり方で捉える余地が生まれるかもしれない。
プログラムにおいては、第二言語としての言語、ダンスや身振りなどの身体言語、そしてそれらがどのように受け継がれていくのか、また、文化の純粋性という概念や、文化が伝達され、循環していく中でどのように変化していくのか、といった問いやトピックを扱う作品群を紹介する。より広い視点においては、文化的・社会的アイデンティティがどのように構築され・あるいは解体されるか、そこでどのような権力構造やヒエラルキーが作用しているかを考察できるかもしれない。
今回は、プログラムの構成や各作品について解説することよりも、私たち3人が「まぜまぜ」から考えたことをディレクターズ・メッセージとしたい。これをきっかけに、このフェスティバルに参加するみなさんも考えをまぜまぜしながら、Kansai Studies、Shows、Super Knowledge for the Future [SKF]からなるプログラムを楽しんでいただければ幸いである。
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本物とスタンダードのゆくえ(川崎陽子)

自分にとって一番身近なまぜまぜとして、関西弁のことを書いてみたい。
札幌で過ごした子どものころ、私は家の外では標準語に近い話し方(北海道弁もあるのだが、女子の間では標準語っぽい話し方が多かった)、家の中では関西弁、という生活を送っていた。うちの家族はもともと京都ベースだったので、関西弁が家族間の共通言語だったのである。ちなみに何度か引っ越しをしていて、私は札幌で幼少期から中学までを過ごしたが、生まれたのは三重である。だから、いまでも出身を聞かれるとちょっと説明が必要になる。だいたい「出身」って、どんな地域的・文化的アイデンティティを持っているのか確認するみたいなことに感じてしまって、では自分がそういう点ではどこ出身と言えば良いのかと思うと、よく分からない。それはさておき、自分では家の外と中の話し方を完璧に使い分けていると思っていたのだが、外と中が同じで良くなった京都で通った高校で、同級生から「あなたの関西弁はちょっと変わっている」と言われたのである。そこで初めて、どうやら自分の関西弁は自負していたより本物ではなくなっているらしい、と気づいた。三重でも地元特有のアクセントや言葉があるし、北海道では家の外の社会的な生活は標準語だったのだから、当然といえば当然。それからは、努めて同級生のしゃべり方を真似したものの、おそらく私の関西弁はずっと混ざったままなのだと思う。もっと後になって、そもそも「標準」語って何だろうとか、それが日本の近代化の過程で生み出された概念であったことなどを知ったけれど、キープできる「本物らしさ」なんてあるはずもなく、あらかじめ設定されている「スタンダード」だってないのだと考えることは初めは少し怖くもあり、今では何か自由さを与えてくれるような気もする。
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それはウイルスのごとく(塚原悠也)

改めて、パンデミックが広く地球上を覆いつくして人々の生活様式に瞬時に影響を与えたことは、いろいろな意味で示唆的だった。ウイルスは物理的に媒介することが前提なのにあっという間に地球上に広がり、アマゾンの奥地にまで届いたというニュースすら見かけ、誰かが咳をするとそこまで届くのかと驚いた。逆に言うと、いろいろな価値観や情報も今やウイルスより早くこの惑星を覆いつくすはずなんだけど。株式情報を隣町へ伝書鳩で拡散していたという時代すらあったのに。「本当に必要か?この情報」って思うものも含めて、日々そういった情報を目や耳に入れ続ける。こういった情報のすべてが個々人のあり方、アイデンティティを形成し、何をどう感じ、考え、発信するのかなどの方法を規定?ガイド?する。自分が中学生のころに「キャラ」という言葉が出始めた。周りの子どもたちが、集団の中での自分の立ち位置を決定するためアイデンティティを固定化しようとする試みだったと思うけど、基本的には限られた、アニメなどを参考に知った素材を取捨選択するようなものだったと思う。それが服装やしゃべり方に影響を与えて。でも本来はもっと選択権のないような身体的な影響のほうがより深く自身に食い込んでいくのではないか。生まれた土地のことや、毎日会う友人のしゃべり方(小学生のころ「森君語」という特殊な話し方が教室中に広がって誰もやめられなくなったことがある)、親が作る料理など、思いもよらず目撃してしまった物とか、それらの影響がどんどん混じっていく日々。そもそも自分で規定出来るようなものじゃないのかも?と思ったり。もしくはそれが「文化」、「まぜまぜ」られて行く日々、か。
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なんかシュールだよね?(ジュリエット・礼子・ナップ)

日本語のカタカナは外来語に使われる。例えば英語の「Banana」とカタカナの「バナナ」は同じ黄色い果物を表すのに使われるように、名詞は多くの場合、そのままの意味を保つ。しかし、より概念的なものを表現する言葉がカタカナになると、その言葉に含まれる意味が変化すると感じることが多い。これらの外来語は、カタカナを通して日本語の一部となり、それによって異なる身体や文化を通り抜ける。その過程で、言葉は変容し、あるものは言葉から消え去り、別のものが言葉にくっつくようになる。
私の日本人の友人は、「シュール」という言葉をカジュアルな感じでよく使っていた。私はこの言葉を便利な新しい日本語だと思い、半年ほどかけて文脈からその意味を学び、自分でも使い始めた。ある日、友人に「しゅうるってどう書くの」と尋ねると、驚いたことに「カタカナでシュール」と返ってきた。英語以外の言語からの借用語かもしれないと思い、すぐにググってみた。それが英語の「surreal」から来ていると知ってショックを受けた。「シュール」が「surreal」であることをずっと理解していなかったことを恥ずかしく思うと同時に、それが「surreal」であることを知らずに、「surreal」という概念を学び、理解し、体験してきたことに、ある種の喜びを感じた。
しかし、この経験をよく考えてみると、日本語の「シュール」には英語とは違うニュアンスがあると感じた。「シュール」は、(良い意味で)変とか奇妙という意味で使われることがあり、英語の「シュール」よりも広義の意味を持っているのかもしれない。カタカナではこのようなことがよく起こり、英語圏出身の日本語話者は混乱することが多い。カタカナの借用語は他の単語に変化し、いつの間にか独自の生命を持ち英語の正確な意味を保つことができない。私は最近、言語、特に英語が異文化によって侵食されたり変容したりする柔軟性を見出し、そしてなぜそのようなことが起こるのかを考えることを楽しむようになった。
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最後に、KYOTO EXPERIMENTは2023年度より、寄付支援制度として「KEXサポーター」を始動していることをお伝えしたい。このフェスティバルにおける経済的な状況は大きな変化を迎えており、2022年はクラウドファンディングを実施した。今年からは、より継続的に支えていただける方法として、サポーター制度を新設した。この制度を通して、KYOTO EXPERIMENTという実験的な表現のプラットフォームを今後お支えいただければ幸いである。

KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター
川崎陽子 塚原悠也 ジュリエット・礼子・ナップ

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