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批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024 オープニング・シンポジウム 「ジャーナリズムと批評の現在地」レポート

2025.1.28

Photo by Toshiaki Nakatani

2024年10月8日、京都芸術センターで、「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」のオープニング・シンポジウムが開催された。このプログラムは、批評家の国際交流を促進するために駐日欧州連合(EU)代表部が主催者となって設けたものだ。8人の批評家がEU加盟国の中から選出され、日本での滞在を通して批評活動を行う。さらに、セゾン文化財団から派遣された日本の批評家2人との対話や交流も併せて行なった。今回のオープニング・シンポジウムのテーマは、「ジャーナリズムと批評の現在地」。とりわけ、インターネットと批評活動との関係が中心的に取り上げられた。
オープニング・イベントに登壇したのは、ジャーナリスト/メディアアクティビストの津田大介氏とEUからの8人の批評家たち、ルカ・ドメニコ・アルトゥーゾ(イタリア/ベルギー)、ローラ・カペル(フランス)、アイステ・シヴィテ(リトアニア)、イリンカ=タマラ・トドルツ(ルーマニア)、フレダ・フィアラ(オーストリア)、タマシュ・ヤーサイ(ハンガリー)、マイケル・ラニガン(アイルランド)、サンタ・レメール(ラトビア)、計9人だ。シンポジウムは、①津田氏による基調講演、②津田氏とレジデンス参加者によるディスカッションの2部構成で進行した。

<基調講演>
基調講演の内容は、戦後日本における批評やジャーナリズムの流通媒体の移り変わりを整理した上で、これからの批評やジャーナリズムが採るべき姿勢を描き出すものだった。津田氏は、日本での批評やジャーナリズムを支えている4種類の媒体を挙げる。新聞、論壇誌、テレビ、インターネットだ。これらのうち、最初の3つがインターネット登場以前には中心的だった。しかし、インターネットが現れて以来、それらは急速に衰退している。
現在、批評やジャーナリズムの主戦場は、インターネットに移りつつある。たとえば、ブログ、YouTube、X(旧Twitter)を挙げることができる。さらに、スマートフォンの登場によって、そうしたコンテンツをいつでもどこでも手元で閲覧できるようになった。SNSやスマートフォンは、いつごろから批評やジャーナリズムに大きな影響を及ぼすようになったのだろうか。津田氏によれば、日本にはその明確なターニングポイントがある。それは、2011年の東日本大震災だ。テレビを視聴できない被災者たちに災害情報を届けるために、NHKの番組を無断でネット配信したり、SNSで災害情報を共有・拡散したりする個人が現れた。津田氏の見立てでは、Twitterは同時性という点で画期的だった。Twitterはインターネットをリアルタイムで更新する場にした。TwitterをはじめとするSNSのおかげで、資本をもたない個人でも一度に数百万人に無料で情報を届けることができるようになった。
しかし津田氏は、現在のインターネットには、批評やジャーナリズムの価値を守るインセンティブがほとんど存在しないのではないか、と指摘する。津田氏は、「ポストトゥルース」という言葉を挙げながら、ポストトゥルースの社会では、客観的事実や理屈よりも感情的な扇動の方が世論の形成に大きな影響を及ぼすことを指摘する。そこでは、4つの問題が立ち上がってくる。①アテンション・エコノミーの加速。そこでは、感情を煽るような情報ばかりに関心や金銭が集まり、読者に深く考えさせるようなコンテンツは駆逐される。しかも、扇情的なコンテンツを作り出すために、他者の表現を文脈から切り離すような〈切り取り〉が行われる。②論壇の消失。人々が自分の好むメディアだけを視聴することで、皆が同時に視聴する公共的なコンテンツが失われる。③若手育成の欠如。従来の出版社、新聞社、テレビ局は、若手の言論人を育成していた。しかし、そうした営みは、インターネットにはあまり見られない。④アイデンティティ・ポリティクスの勃興。これにより、当事者でない人物が、対象から距離をとりながら言説を形成するような批評のあり方が困難になる。

Photo by Toshiaki Nakatani

津田氏は、自身が芸術監督を務めた「あいちトリエンナーレ2019」での経験を例としながら、インターネットがもつ問題点をさらに鮮明化していく。津田氏は、ハンブルク州政府文化・メディア担当大臣であるカーステン・ブロスダの枠組みを紹介する。ブロスダ大臣は、芸術的自由が直面する3つの要素を挙げた。①資本・金銭的な困難。すなわち、文化予算がコストカットされやすいということ。②保守、極右勢力による攻撃。③マイノリティや、それを支持する左派によるアイデンティティ・ポリティクス。津田氏の考えでは、芸術的自由のみならず批評やジャーナリズムにも類似の状況が見出せる。批評やジャーナリズムもまた金銭的な脅威に晒されているし、右派からの攻撃を受けている。それだけでなく、対象から距離をとって報じることは、社会運動の文脈で非難を受けることがある。
最後に、津田氏は法学者リチャード・ポズナーを引用しながら、これからの批評やジャーナリズムがとるべき態度を提案する。ポズナーは、インターネットには次の4つの問題があると指摘した。①匿名性。②質的なコントロールの欠如。③潜在的なオーディエンスの多さ。④反社会的な人々による心の友の発見。インターネットが孕むこれら4つの問題と正反対の態度をとることが批評やジャーナリズムには求められているのではないか、と津田氏は問いかける。すなわち、批評やジャーナリズムは次のように振る舞うべきだ、と。①実名での発表。②質的なコントロールの実行。③潜在的な聴衆が影響力を持っていることの重視。④憎悪扇動の徹底的な拒絶。こうした態度は、あくまで抜本的な解決策でもないし、手間とコストもかかる。しかし、インターネットの逆を指向することでしか、インターネットが棄損してきた価値は取り戻せないのではないか。このように津田氏は締めくくった。

<ディスカッション>
Photo by Toshiaki Nakatani

第二部のディスカッションでは、EUから参加している8人の批評家たちが三つのテーブルに分かれて座り、それぞれのテーブルごとに議論を進めた。向かって左のテーブルには、ヤーサイ氏、トドルツ氏、アルトゥーゾ氏が、中央のテーブルには、カペル氏とレメール氏が、向かって右のテーブルには、シヴィテ氏、ラニガン氏、フィアラ氏が座った。
左側のテーブルからディスカッションが始まる。まずは、批評家たちの出身国での右派政権による言論統制が議題に上がる。ヤーサイ氏によると、ハンガリーでは、右派のオルバーン政権が批評的活動を疎んじている。政権からの圧力を受けていない情報を得るために、人々はYouTubeの独立系メディアを視聴している。さらにヤーサイ氏は、政権が常に敵を必要としているのだと指摘する。現在その標的となっているのは、LGBTQ+のコミュニティーである。アルトゥーゾ氏は、イタリアのマスメディアが置かれた状況を説明した。アルトゥーゾ氏によれば、イタリアでは、右派のメローニ政権への移行に伴って、中道から左派の立場をとる多くのディレクターが公共放送から離れることになった。それによって文化的な番組の方向性が変わり、多様性を排斥する論調が強まっている。
ルーマニア出身のトドルツ氏は、アテンション・エコノミーとポピュリズム独裁との親和性を問題視する。ミャンマーのロヒンギャ虐殺でFacebookが活用されたように、民衆を扇動的な文言でコントロールしたり、繊細な議論を行おうとする批評家や芸術家を黙らせたりすることにSNSは手を貸している。SNS上でのマネタイズの仕組みにまで立ち入らなければ、こうした問題は解決できないとトドルツ氏は主張する。
トドルツ氏の発言を受け津田氏は、SNSの運営会社が自らをプラットフォームと呼ぶことでキュレーション行為を放棄しながら、金銭的利益につながる扇情的な投稿の流通を促進するアルゴリズムを組んでいる点に言及。さらに、そうしたビッグテックの経済的原理から逃れているのは、皮肉にも中国のような国なのだと津田氏は指摘する。インターネット上での鎖国という戦略は、たしかに有効なのかもしれない。

Photo by Toshiaki Nakatani

中央のテーブルへと議論の場が移る。フランス出身のカペル氏は、自由と表現の関係について言及する。批評やジャーナリズムに作用する力には、二種類ある。右派からの圧力と、多様性の促進だ。フランスは、言論の自由に恵まれており、前者はローカルな水準でのみ働いているという。他方で、カペル氏は、必ずしも多様性の促進を検閲とは結びつけない。というのも、多様性の促進は、平等性の拡大を目的とするものだからだ。そうした試みは、いっそう多様な人々に表現の場を与えることにつながる。さらにカペル氏は続ける。フランスでも、公的資金が舞台芸術には欠かせない。フランスのモットーが自由であるなら、そうした公的資金を用いて支援する芸術家の選択にも、その精神が反映されるべきだ。そうであるなら、多様性を重んじることや、作家の倫理的な人間性を考慮することも必要だろう、と。
ラトビア出身のレメール氏は、自身の極めて個人的な体験を紹介する。それは、自身がネット上で〈キャンセル〉された体験だ。レメール氏は、ラトビア建国100周年の機会に、フェミニストを紹介する児童書を執筆した。その著書のなかに、共産主義時代のフェミニストも紹介されていたことがSNS上で問題視されたのだ。「作者のレメールは反ラトビア的な共産主義者だ」とレッテルを貼られ、攻撃された。ネット上の「真実」が実際の書籍の内容を超えたものとなったのである。自由な言論というネットの恩恵とSNSがもたらす被害の両面に向き合う必要がある。実体験をもとに、レメール氏はそう語った。
右側のテーブルでディスカッションが始まる。シヴィテ氏は、リトアニアに見られる人々の無関心性を取り上げる。シヴィテ氏によれば、リトアニアでは、批評的言説に対する抑圧は特に見られない。しかし、人々は、どういった媒体から情報を得るのかということにあまり関心を払っていない。身の周りで起こっていることに無関心なのだ。シヴィテ氏によれば、演劇批評にも同様の状況がある。リトアニアでは、昨今になってようやく、文化雑誌だけでなく、新聞も批評の場になりはじめた。この点では、希望がある。ただ、批評的な思考に関心のある人があまりおらず、批評家が不足している状況があるのだと。
続いて、アイルランド出身のラニガン氏が、マネタイズの方法と執筆の自由度の関連性を指摘する。ラニガン氏の携わるDublin Inquirer紙は、広告を掲載せず、購読者からの支援だけで運営している。そのため、執筆する内容に関する制限が極めて少ない。こうしたマネタイズの方法は、大手メディアを避けようとする批評家にとって有効である。加えて、ラニガン氏は、SNSで批評活動を行うことの難しさについても意見を述べる。SNSでは、各々の意見がどのような動機とトーンで発せられたものかを読み取ることが難しい。批評的な言説は、まさにそういった微細なニュアンスを必要とするものである、と。
最後に、オーストリア出身のフィアラ氏が、SNS上では似たような意見が増殖しているという点に目を向ける。SNS上の人々は、互いに共鳴できる誰かを探している。たしかに、そうした傾向は、マイノリティが安全に意見を発信できる場所もつくっている。しかし、そうしたコミュニティの生成がプラットフォームのアルゴリズムの影響を被っていることも気にかけなければならない。そうした場では、アートが持つ重要な性質、つまり皮肉や滑稽さといった要素が機能しづらい。再び物理的な空間に集まり、繊細な体験を共有できる場としてアートを機能させること。ならびに、こうしたSNSで働くアルゴリズムに介入すること。これら2つのバランスをわたしたちは考えなければならない。このようにフィアラ氏は述べた。

Photo by Toshiaki Nakatani

以上のディスカッションを受けて、津田氏はこう総括する。「あいちトリエンナーレ2019」では、社会問題を扱った作品のなかにも炎上したものと、しなかったものがあった。その違いは、インターネット上で〈切り取り〉できる構造になっていたかどうかというところにある。撮影禁止の作品は、炎上しなかったのだ。これからのキュレーターやディレクターは、現実の場で文脈を共有する回路を作る方法について思いを巡らせなければならないだろう。また、日本で感じている問題は世界共通のものであり、それはインターネットの持つ構造的な問題だ。そうであるならば、批評やジャーナリズムを営む人々で連帯して、それに対抗していかなければならない、と。

ここまで、オープニング・シンポジウムの模様を要約して紹介してきた。基調講演とディスカッションを通して見えてきたのは、次のような構図だ。アテンション・エコノミーの進展→扇情的な文言の促進→微細なニュアンスを含む批評的言説の減退。それだから、表現を全体の文脈から切り離すことなく、表現者の意図を感じながら体験する場を設けることが、批評にとって重要になる。わたしたちは、このオープニング・シンポジウムで、2時間半にわたって批評家たちの言葉に耳を傾けてきた。その点では、このオープニング・シンポジウム自体が、まさにそうした場の一つになっていたと言えるだろう。

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批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024
オープニング・シンポジウム「ジャーナリズムと批評の現在地」
日時:2024年10月8日(火)19:00-21:30
会場:京都芸術センター フリースペース
主催:駐日欧州連合代表部
協力:KYOTO EXPERIMENT、公益財団法人セゾン文化財団
レジデンス協力:京都芸術センター
運営:ゲーテ・インスティトゥート東京


和田太洋(わだ・たいよう)
ホノルル生まれ。関西を中心に展覧会レビューを書く。論集『5,17,32,93,203,204』2023年号に「私たちの身体的な語彙」を寄稿。浄土複合ライティング・スクール4期生。

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