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ディレクターズ・メッセージ 2024
2024.7.18
KYOTO EXPERIMENTは2024年に15周年を迎える。この規模の舞台芸術フェスティバルがこれだけ続いているということは、あらゆるセクターでその存続を願って動いてくださっている人々が多数存在しているということだと思う。そのことにとても感謝しています、というのは自然な気持ちだが、もはやそうして動いてくださっている方々全てのフェスティバルだとすら思う。いまや、このフェスティバルはみなさんとの共有財産なのだと認識し、より良く存続させるために日々動いていきたい。
「えーっと えーっと」
この数年、フェスティバルへの新たな視点を発見する手がかりとして、キーワードを提案してきた。今年はプログラムを探索するレンズのような言葉として、「えーっと えーっと」を提案する。もし良ければ着用できる、プログラムを見るためのメガネ! もちろん、装着するかどうかはあなた次第。
「えーっと えーっと」と聞くと、少しネガティブな意味合いに感じるかもしれない。不安や自信のなさ、あるいは不快感を抱いている誰かが発しているように感じるかもしれないから。しかし、「えーっと えーっと」は「フィラー」や「ディスコースマーカー」と呼ばれるものの一例で、話し手と聞き手の双方にとって、会話の中では役に立つものである。
フィラーには固有の意味はないが、コミュニケーションの相手に何かを伝える。「えーっと えーっと」は、人が情報を処理しているとき、記憶を呼び起こそうとしているとき、何かについて熟考しているとき、そして、誰かと会話を共有しているときに発する音である。意味がない空白のスペースであり、わからないことや何かに折り合いをつけるための空間でもあるかもしれない。
今年のフェスティバルでは、個人と集団・自己と他者の間の折衝について、あるいはさまざまな歴史や個人的・文化的・政治的な記憶を私たちがどのように形づくるか、過去との対話の中でそれらの記憶を再構築する(あるいはしないことを選択する)行為について、考えることができる作品がラインナップされている。これらの作品へのアクセスが、「えーっと えーっと」によってさまざまな道のりを開かれることを願っている。
プログラムについて
上演プログラムであるShowsでは、14演目を紹介する。
このうち、5アーティスト・6演目は、京都と埼玉で開催される、ダンスリフレクションズ by ヴァン クリーフ & アーペル フェスティバルとのパートナーシップにより上演する。2022年から始まったダンスリフレクションズとの協働は、ポストモダンからコンテンポラリーに至るまでのダンスにおける継承に注目して展開してきた。今回は、民間伝承としてのフォークダンスやモダンダンスの揺籃期など、より大きな射程に視野をおいたダンスの歴史的な継承を検証しながら、いま私たちが生きる2024年、そしてこれからの未来にまで思考をめぐらせることができるプログラムになっている。6演目を通して、歴史をたどる「えーっと」、そしてこれからを考える「えーっと」を体験してみてほしい。
「継承」という機軸は、世代を越えて引き継がれてきた物語や文化を参照しながら、観客を共同の体験に誘う、2組のコラボレーション作品にも見ることができる。松本奈々子&アンチー・リン(リンがルーツを持つ台湾の原住民族・タイヤル族の呼び名はチワス・タホス)による新作では、日本の民話とタイヤル族の言い伝えを参照しながら、それらの物語の時空を超えた邂逅が描かれるかもしれない。チェン・ティエンジュオ&シコ・スティヤントは、インドネシア・レンバタ島のラマレラ村で伝統的に行われてきた捕鯨を集合的な儀式に昇華し、それに参加する観客は海に生かされてきた人間と環境の関係性を考えることができる。
テキストと身体の境界線を歩きながら、生と死の道なき道を描き出すのは、穴迫信一と捩子ぴじんによる新作である。「えーっと」が何かと何かの間を埋める言葉であるとするならば、この作品はテキストと身体の行き来を「えーっと」で埋めながら考えてみたい。電子音楽家のテンテンコが加わることで、その行き来はより増幅されることだろう。戯曲と身体の関係性に挑むのは、羽鳥ヨダ嘉郎による戯曲にダンスでアプローチする余越保子の演出も同様である。上演不可能といわれたテキストへの余越の応答は、戯曲の演出とは何か、という問いとともに、日本という国家が歩んできた近代以降の歴史への眼差しをもあぶり出す。
社会が定める規範や制約に対して、立ち止まるような抵抗の身振りを静かに、しかしラディカルに描き出すのは、ムラティ・スルヨダルモである。今回は、ふたつのプロジェクトを紹介する。パフォーマンスでは、制服のような白い服に身を包んだ女性たちが、押し付けられた原罪に自ら身を浸すかのように、青い水に身体を浸していく。展示では、アジア人女性である自身の身体が、「バター」という西洋的かつ不安定な物質の上で舞う作品の映像を年代別にインスタレーションとして構成し、身体がその器となる記憶をたどるとともに、より近年発表された集合的な暴力と恐怖を描いた映像作品を紹介する。
これまでの創作で、大文字の歴史ではなく人々の生活に見出すことができる歴史を見つめてきたジャハ・クーの新作でも、国家事業として輸出される「韓国料理」へのささやかな抵抗を見ることができるかもしれない。味の記憶が、過去、現在、未来をつなぐ先には何があるのか、ぜひ劇場に出現するポジャンマチャ(屋台)に集って体験していただきたい。
2019年以来の登場となるアミール・レザ・コヘスタニは、走ることと政治にまつわるさまざまな実話をモチーフにした作品を上演する。歩くことや走ることそれ自体が抵抗の身振りとなることは、日本にいる私たちにとっても身近なことである。さまざまな抵抗の身振りとしての「えーっと」を、これらのプログラムを通して考えられればと思う。
5年目を迎えるKansai Studiesでは、新たに3名のリサーチャーを迎えてリサーチを進行している。都市における鳩の観察、クラブカルチャーやパーティの空間性、動物園の場所性と物語と、3つのリサーチはそれぞれ独自の着眼点で京都および関西圏でフィールドワークを行っていく。ここで発見したものは、これからのKYOTO EXPERIMENTを形づくっていくもののひとつになっていくはずだ。
Super Knowledge for the Future [SKF]では、キーワード「えーっと えーっと」を出発点に、さまざまな専門家を迎えたトークイベントやワークショップを構成した。Showsとはまた異なった視点や入り口から、今回のキーワードを考えていただくきっかけとなれば幸いである。
サポーター制度とこれからについて
昨年度創設した「KEXサポーター」制度は、観劇とは別の方法でフェスティバルに参加していただけるプラットフォームといえるかもしれない。これまでKYOTO EXPERIMENT の予算を構成してきた、実行委員会の負担金や公的助成金などとは異なる、個人の寄付がフェスティバルを大いに勇気づけているということをお伝えしたい。支援してくださる方々との直接のコミュニケーションは、フェスティバルを形づくる重要な構成要素である。これからもサポーターのみなさまとどのようなお話ができるのか、楽しみにしている。
国内外の社会状況も、フェスティバルとしての財政状況も大きく変わるなか、いまの時代の国際舞台芸術祭としてどのようなプログラミングをするべきなのか、実験的な遊びを失わず、しなやかに運営するにはどうしたら良いのか、これまでの5年間考え続けてきた。フェスティバルを作ってくれるアーティストのみなさん、見に来ることでフェスティバルのもうひとつのピースを作ってくれる観客のみなさん、そして支えてくださる関係各所やサポーターのみなさんとともに、これからも考えていきたい。まずは、今年のKYOTO EXPERIMENTでお会いしましょう。
KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター
川崎陽子 塚原悠也 ジュリエット・礼子・ナップ