2026.9.19 (Sat)
Qui sine peccato est vestrum, primus in illam lapidem mittat.(あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい)という言葉がある。
ヨハネによる福音書 8 章 7節にあるとても有名なフレーズで、それが聖書の中のものだと知らない人によっても多く使われている。柄の無いテントウムシが教室の窓にある桟をよたよた歩いていた。子どものころに受験をして入った、週の頭に牧師の先生が聖書の一部を読み、賛美歌を歌う習慣のある学校に通わされていたときの記憶だった。
人が最初に使った道具は石だという。もともと200万年前にホモ・ハビリス(器用な人)と呼ばれる原人が使っていたとされる石器が発見されていた。それが最近になって 300万年を超える昔のアウストラロピテクス・アフリカヌスという初期人類がごく原始的な石器を使用していたとわかったのは、加工されたその時代の石器が発見されたからというわけではなく、当時の初期人類の骨格の研究からだった。日常的に手先に力をいれて何かを掴み細かい作業をしていると、生きものの骨というのは変質するのだという。たとえば、採集をして木の実の殻を取る、狩りをして獲物を切る。それ以前の、道具を使っていなかった状態からの比較で骨の変質の状況を調べれば、だいたいのその動物が日常動作としてどういうことをしていたかがわかるらしい。ほかに人のいない展示室に並べられている、骨から遡って作られたらしき「旧(ふる)い人たち」の復元像や、暮らしているようすのジオラマが当時のままの正解かどうかなんて、もはや誰にもわからない。
展示室を進むと、宇宙から運ばれてきた石というものがある。ガラスの張られた展示空間に、さらに樹脂かなにかのカプセルが置かれていて、指先ぐらいの大きさの石が封じ込められている。この厳重さが、防犯、つまり見る人の手からその石を守るためのものなのか、逆に見る人をその石が持つ毒性から守るためのものなのかはわからない。この石は、人が生きることのできない環境に漂っていた鉱物なわけで、中の成分が人を傷つける可能性は充分にある。世界に漂うあらゆる物質は人間が生きるために存在してるわけじゃないんだし、人間が最初に作った道具だって、何かを傷つけるための武器だったんだろうし。実際、アポロ計画中に月の石の粉末によって研究者が汚染されたと判断される事象も起こったことがある。そういった注意書きや何かの計測器が展示されている石の横に置かれていれば、盗みを企てる人はいないんじゃないだろうか。とは言え、月の石の盗難事件は世界中で起こってはいるが。
博物館を出て、中庭の遊歩道を門まで歩く。噴水の周囲に敷かれている砂利石と、展示されていた宇宙の石とのちがいはどういうところにあるんだろうか。しゃがんで、ひとつ拾い上げる。これにだって微細な粒子が無数に付着している。ほとんどは人間にとって無害だろうけど、中にはほんのわずか、有害なものだってあるだろう。これが気づかないまま靴の中に入ってしまった程度なら許されるだろうが、こっそり自分のポケットに入れてしまえば、それはきっと明確なひとつの罪だ。さらに、その石をどこかの国の自然保護区や別の惑星に持っていったなら、重大な汚染事故にもつながるだろう。
もし、生まれてからまったく罪を犯してないという自覚のある人がいるとしても、そういう人はまず誰かに向かって石なんて投げないんじゃないか。あの時のわたしはそう考えていた。いまのわたしは、石を手に持つ、という行為自体の罪について考えている。
執筆者プロフィール
高山羽根子(たかやま はねこ)
小説家・SF作家。 1975年富山県生まれ。多摩美術大学美術学部絵画学科卒業。
「うどん キツネつきの」で第1回創元 SF 短 編賞佳作。「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞受賞。「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞受賞。著書に『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』『オブジェクタム / 如何様 』『暗闇にレンズ』『パンダ・パシフィカ』などがある。