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彼らが走り続ける理由:『ブラインド・ランナー』にみるイランの女性たちの選択をめぐる問題 文:村山木乃実

2024.8.21

©Benjamin Krieg

アミール・レザ・コヘスタニ/メヘル・シアター・グループ『ブラインド・ランナー』の上演に先駆けて、日本学術振興会特別研究員PDの村山木乃実氏によるプレビュー記事を公開します。
イランの社会状況や、2022年に起こったヒジャーブ着用をめぐる事件を解説いただきながら『ブラインド・ランナー』の見どころについて執筆いただきました。観劇前の予習にぜひご一読ください!

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1979年、イランではイラン・イスラーム革命が起きた。この革命によって、これまでの西欧化政策を推し進めてきたパフラヴィー朝が倒れ、新たにイラン・イスラーム共和国政権が誕生した。以降、共和国政権は、イスラームを基盤とした国づくりを進めている。
革命後のイラン政権は、満9歳以上の女性が公共の場でヒジャーブ(イスラーム教徒の女性が頭や髪を覆うスカーフ)を着用し髪を隠すことを、法律で義務化した。このヒジャーブ着用の義務化については、当初より女性たちから反対の声があがっていた。抗議の声をあげた人たちは、解雇されたり、教育を中断させられたりした。政権が強制する装いは、雇用や教育といった経済にも関わる基本的な権利とも結びついていくことになる。
なおイスラームの聖典であるコーランには、美しいところは人にみせないようにとは書かれているが、ヒジャーブを着用しなければならないとは書かれていない。イラン以外の中東諸国の多くが、ヒジャーブの着用を法律で義務付けていないことからわかるように、ヒジャーブを着用するかどうかは解釈に委ねられるものである。
イランの人々はこうしたヒジャーブの強制に反対し、選択する自由を求めつづけてきた。2022年9月16日、 22歳の女性ジーナ・マフサ・アミニ氏が警察による暴行で死亡したとされる事件は、このヒジャーブ着用の義務化にたいする抗議が世界的規模に広がった発端となるものだった。クルド人女性であるアミニ氏は、テヘラン市内を家族と移動中、道徳警察からヒジャーブの着用が正しく行われていないと呼び止められ、その後厳しい取り調べを受けた。アミニ氏は拘束中に頭部への強い衝撃を受け、病院に搬送されたものの容体は回復せず、死亡したと報道された。
アミニ氏の容体に関して、イラン当局は当初情報を公開したがらなかった。その状況下、イランの改革派新聞『シャルグ』の記者、ニールーファル・ハーメディー氏がある1枚の写真をSNSに投稿した。彼女の写真は、アミニ氏の死を悼み、アミニ氏の父と祖母が病院の廊下で抱き合う瞬間をとらえていた。ハーメディー氏の写真は、イランの人々にアミニ氏の訃報を決定づけた。
アミニ氏の死を受けて始まったのが、彼女をシンボルとした、ヒジャーブ着用義務にたいする抗議デモだった。なお彼女がシンボルとなった理由には、彼女が革命前から今に至るまで、イラン国内で差別をされてきたクルド人だったこともある。今回の抗議活動は「女性・人生(命)・自由(解放)」というスローガンのもと、世界各地に広がった。
イラン政府はこのような国民による抗議を強引に弾圧していった。ハーメディー氏を含む、この抗議運動に関わったジャーナリストたちは次々と逮捕された。抗議運動が始まってからわずか2週間で、抗議運動に参加したおよそ150人が治安部隊に殺害されたといわれている。さらに抗議運動に参加している若者たちが、治安部隊のゴム弾や金属弾に顔を撃たれ失明する事件が相次いだ。
イラン国内の締め付けが強まるなか、国外移住を望む人々は少なくない。しかし、イランは革命以降国際的に経済制裁の対象となっているため、国民が国外に出ることが極めて難しい。そのため、映画『別離』(アスガル・ファルハーディー監督、2011年)の主人公のように留学という形で移住を試みようとする人たちもいれば、『君は行く先を知らない』(パナー・パナヒー監督、2021年)で描かれているように、高額な料金を支払い、違法な形で国外に亡命する例があとをたたない。
イランの人々は、自国から出国する難しさだけではなく、亡命先へ入国する方法も考えなくてはならない。先進国では不法移民への対応が厳格化しつつあるからである。イギリスでは今年の4月に、難民申請のために不法に入国した移民をルワンダに強制送還する法案が可決されている。
舞台『ブラインド・ランナー』は、強制ヒジャーブ反対運動で広く知られることになった、1979年の革命以降続く、イラン国内の一連の抗議運動から着想を得た内容だといえる。観客は、舞台で描かれる夫婦のモチーフは、ハーメディー氏と彼女の夫であり、舞台での盲目のランナーは、ゴム弾によって失明したのだろうと予想がつく。また、トンネルをくぐってまでしてイギリスへの入国を急いだ理由も想像がつく。
ハーメディー氏は長年スポーツと女性の権利についての報道を続けてきた、テヘラン大学体育学部出身のジャーナリストある。逮捕後、彼女は夫に、「刑務所に耐えることはマラソンのトレーニングのようである。毎日苦しみ、長時間練習しなければならない。どれほど懸命に練習したかどうかに関係なく、時間が足りない。だがゴールしたときのあの喜びを想像すれば、この痛みも苦しみも無駄ではなくなる」と語ったという。(*2)
2022年のデモで人々が求めたのがヒジャーブ着用の選択だったように、舞台でも選択がキーワードとなっている。この選択をめぐる、夫婦の緊張の走る会話は見どころの一つだ。夫婦の会話からは、女性の権利の問題を、どことなく他人事としてとらえているかのような夫の態度が見え隠れし、そのような夫の発言にたいして妻は表情を曇らせていく。男性の無意識的な無関心さにも切り込む、作・演出をつとめたアミール・レザ・コヘスタニの視点の鋭さが光るシーンである。同時に、スクリーンに映し出されるライブカメラの役割が際立つ場面でもある。カメラが妻の微妙な表情の変化をとらえることで、このシーンの緊迫感が増す。
加えて、舞台でのリズミカルなペルシア語と詩も注目すべき点である。一般的に詩は暗唱し体得するものであるが、イランでは自らの世界観を詩に委ねるほど、その傾向が著しい。またイランではどれほどの詩を暗唱し引用できるか否かで、その人物の教養を測ることが可能だといっても過言ではない。そのため、イランでは演説、インタビュー、会話、SNS上で詩が頻繁に引用されている。
このような文化的背景を踏まえれば、舞台上で繰り広げられるペルシア語でのモノローグが自然と韻を踏み心地よいリズムを生み出し、盲目のランナーがSNS上に写真とともに詩を投稿したことに納得がいくだろう。舞台で繰り返されるこの詩には、コヘスタニが作品に込めた思いが凝縮されているかのようである。

自由を求めるならロープをつかめ
独立を求めるなら連帯せよ

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(*1) 2023年、ユネスコはハーメディー氏に世界報道自由賞を授与した。

(*2) https://rsf.org/fa/نیلوفر-حامدی-روزنامه-نگاری-زندانی-که-صدای-زنان-ایرانی-بود

<執筆者プロフィール>
村山 木乃実
1991年栃木県足利市生まれ。2022年東京外国語大学博士課程修了。現在、独立行政法人日本学術振興会 特別研究員PD(東京大学)。専門は、宗教学、ペルシア文学。 主著に『孤独と神秘:アリー・シャリーアティーの「沙漠論」にみる現代イランのイスラム思想』(作品社、2024年)があるほか、イラン関連の映画の解説も行なっている。

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