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【批評家・イン・レジデンス】文:ルカ・ドメニコ・アルトゥーゾ

2025.6.13

Nanako Matsumoto & Anchi Lin (Ciwas Tahos), Sticky Hands, Stitched Mountains, 2024. Photo by Haruka Oka.

2024年のフェスティバル会期(10月5日~27日)に合わせ、EU代表部が主催、ゲーテ・インスティトゥート東京が運営する「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」が開催されました。参加したEU出身の批評家によるレポートを掲載します。

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休止が持つ可能性: KYOTO EXPERIMENT 2024における実験に根ざした手法

バッファリングにリズムはあるのか。今年のKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭(以下、KEX)は、その問いにはっきりと「ある!」と答えた。「えーっと えーっと」というキーワードのもとで、このつなぎ言葉が示唆する休止と内省のリズムを受け入れるよう参加者に促したのだ。こうしたバッファリングという行為(再考し、振り返り、前に進むこと)は、フェスティバルの15周年と重なり、重要な意味を持つ出来事となった。私は、「えーっと えーっと」というキュレーターのレンズを通してKEXを初めて観察し、フェスティバルの実験精神を探索する機会を得た。

私は日本の演劇とパフォーミング・アーツの研究者として、「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」プログラムに参加した。そこで全17作品を体験し、シンポジウムに参加し、アーティストやキュレーターと批評的な対話を行いながら、観客がフェスティバルに精力的に関わる様子を観察するという類まれな機会を得ることができた。それは慌ただしくも知的な旅であり、このプログラムでヨーロッパや日本、台湾から集まった素晴らしいジャーナリストや研究者、批評家たちの存在なしには、これほど特別な体験にはならなかっただろう。フェスティバル期間中絶えず交わしていた会話は、知的洞察に満ちているだけでなく心を豊かにしてくれるものであった。私たちは相互に「バッファリング」に取り組み、刺激し促し合ってフェスティバルとその公演でともに体験したことについてじっくり考えた。ある公演やフェスティバルに関して考えがまとまったと思った矢先に、疑問を抱いているのに気づくこともあった。KEXが終了して1ヶ月経った今でも、複数のリズムからなるそのエネルギーは依然として鳴り響き、そこにある多くの層を自分自身のペースで検討するよう私に促している。

多様な実験的作品と万華鏡のようなラインナップのさまざまな公演をKEXで目にして、「化学溶液」との類似が私の頭に浮かんだ*1。それは液体に浸されることでさまざまな関係が溶解し配置を変化させる状態であり、そこから新たな状態が生まれる可能性を秘めている。私にとってこのイメージは、KEXのアーティスティック・ディレクションによる協働の選択と現代のシーンへの貢献を端的に表している。そのキュレーションのビジョンは、進化し続けるさまざまな要素を混ぜ合わせ、ローカルとグローバルな視点を融合させて、さらに慣習に対して異議申し立てを行う姿勢を備えたものであった。

このようによく考えられた手法を通じて、KEXは既存の形式を混ぜ合わせ、新しい要素を統合することで、パフォーミング・アーツの現状に新たな息吹をもたらした。そうした活動は、ディレクターたちの言葉を借りると、「個人と集団・自己と他者の間の折衝、そして——個人的・文化的・政治的な——さまざまな物語を過去との対話の中で再構築する行為」に向けた肯定的な一歩として理解することができる。

革新性が際立つ現代日本のパフォーマンスの例としては、以下の3つの作品がある。穴迫信一×捩子ぴじん with テンテンコ『スタンドバイミー』、松本奈々子&アンチー・リン(チワス・タホス)『ねばねばの手、ぬわれた山々』、余越保子『リンチ(戯曲)』(2021年に愛知県芸術劇場で初演)である。これらの公演はみな、KEXによるキュレーションの方向性を体現していた。それによってKEXは、日本の「伝統」パフォーマンスと「実験」パフォーマンスの間にある従来の区分を疑うよう促し、接触や交流、革新が活発に展開する場を創造したのである。

私の考えでは、これら3作品は京都という都市そのものに直接関わっていて、京都では古典芸能によって文化的生活が独特のかたちで豊かになっているのだ。このような文化的背景のおかげで、これらの伝統から取り入れた所作やアイデアに通じた観客が形成されている。それならば、そうした観客のために、この2つの世界を混ぜ合わせて新たな組み合わせを創造する「冒涜」の危険を冒してみたらどうか。

能や日本舞踊といったいわゆる「古典」芸能は、日本らしさの真髄を表しているとされる場合が多い。こうした認識のおかげでこれらの実践は無形文化遺産の地位にまで上昇したが、同時に、変化が少なく手の届かないとみなされることにもなったと言えるだろう。その結果、現代日本のアーティストの多くが、この遺産に伴う複雑さと取り組むのを避けようとしたり、完全に無視する道を選んだりしている。

ためらいがちに「えーっと えーっと」と言うことで中心的な物語を遮り、思いがけない方向へと向かわせるのと同様に、KEXは現代において「古典的」パフォーマンスと「実験的」パフォーマンスの関係を再構築するのに適した環境を提供した。ためらいとバッファリング、そして探究と交流のための空間を創造し、最終的に日本の文化遺産と現代の実践との間に新たなかたちの相互作用を生み出したのである。

『リンチ(戯曲)』で余越保子は、さりげなく巧みに能の要素を振付に取り入れた。空っぽの舞台を用い、転換の間に小道具を付け加えたり取り去ったりするのは、能の伝統的な手法を踏襲したものであった。余越はまた、京都で捨てられていた家財道具から能面を救い出して使用した。彼女の振付には日本舞踊から取り入れた熟練の所作があり、その一部は地元の観客であれば認識したことだろう。ドラマツルギーについて言えば、幕間の転換の際には、夢幻能における間狂言に似た即興的なせりふ付けが用いられた。簡素な移動式洋服掛けさえも「作り物」に変貌し、『船弁慶』の船を思わせた。

『スタンドバイミー』のドラマツルギーでは、散文劇をギャラリーの空間へと滑らかに融合させ、電子音楽によって4人の主要登場人物のリズムを刻んだ。これらの人物は手管を用いずにリアリスティックな演技を行った。そこに加わった能楽師の田中春奈による謡、そして能に培われた存在感がごく自然に舞台に溶け込み、熱心な観客たちから温かい反応が寄せられた。能と現代的要素がこのように相互作用を起こすことで、日本において「古典的」パフォーマンスと現代パフォーマンスとの関係性を新たに活性化する待望の対話が開かれたのである。

最後になるが、松本奈々子&アンチー・リン(チワス・タホス)の『ねばねばの手、ぬわれた山々』を見てみよう。本作は、「テマハホイ」の女性に関する台湾の原住民族タイヤル族の口承物語と、能で描かれる日本の「妖怪」山姥を通じて生まれた。山の境界空間から立ち現れたこの作品は、周縁化されてきた女性たちの歴史を創造的に蘇らせ、それに新たな力を与えたのである。このパフォーマンスは、共通の言語を持たないアーティストたちにとってローカルな探究が修復の手段となりうることを示した。家父長制の歴史がもたらした傷に取り組むことで、包摂的・多元的・クィア的な未来を新たに描きだしたのである。こうした未来は作品自体の中ですでに形づくられつつある。能での山姥の描かれ方をよく知る京都という文脈において、山姥は新たな姿に作りかえられているのだ。

結論として、「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」プログラムに参加したことで、日本の現代パフォーマンス・シーンの状況に関して根本的な「バッファリング」が生じた。本論は手短な介入であり、KEXが与えた甚大なインパクトについて考えたことを簡潔に要約したものである。このフェスティバルは驚くべきキュレーションを通じてさまざま要素を星座のように組みあわせて新たな状況を育んだ。そのことについて考えをめぐらせてみると、この10月、日本の現代パフォーミング・アーツのシーンが確かに豊かさを増していったことが見えてくる。それはまるで、初秋に桜が咲いたかのようであり、予期せぬ活気があふれ出し、儚くははあるが季節外れの可能性に満ちていた活気に満ち、思いもよらないことで、可能性に満ちたものであった。

*1
この類似は、レイモンド・ウィリアムズ(1921-1988年)による「感情の構造」という概念と共鳴し、それから着想を得ている。「感情の構造」は、時代特有の思考の傾向が姿を現し、文化的感性がさまざまな社会的・政治的・文化的力同士の相互作用を通じて現れていく様子を示している。詳しくは以下を参照。McCormack, Derek P. (2022). “The Elements of Affect Theories” in Gregory J. Seigworth et al. (Eds.), The Affect Theory Reader: Wordings, Tensions, Futures. Duke University Press, pp. 63–85.

 
<執筆者プロフィール>
ルカ・ドメニコ・アルトゥーゾ
ベルギーのアントワープ大学で演劇とインターメディアを専門とする、イタリアの博士号研究者。研究対象は、フェミニストやクィアの視点による能の解釈を中心に、日本の現代パフォーマンスにまで及んでいる。2024年以降、舞台芸術批評が、ベルギーの演劇と現代パフォーマンスの専門誌『Etcetera』に掲載されている。また、2019年から2023年まで国際交流基金のローマ日本文化会館図書館で専門司書を務めた。2018年には、イタリアと日本の異文化交流の新拠点として、ヴェネチア大学で日本学を研究する学生団体「Gesshin」を設立。国際パフォーマンス研究学会(Psi: Performance Studies International)所属。

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