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【批評家・イン・レジデンス】文:タマシュ・ヤーサイ

2025.6.13

Jaha Koo / CAMPO, Haribo Kimchi, 2024. Photo by Takuya Matsumi.

2024年のフェスティバル会期(10月5日~27日)に合わせ、EU代表部が主催、ゲーテ・インスティトゥート東京が運営する「批評家・イン・レジデンス@KYOTO EXPERIMENT 2024」が開催されました。参加したEU出身の批評家によるレポートを掲載します。

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タマシュ・ヤーサイ:東は東? KYOTO EXPERIMENT 2024私的ハイライト


2010年に始まったKYOTO EXPERIMENT(以下、KEX)は、関西地方を代表する舞台芸術祭である。EU諸国から選ばれた7人の批評家たちとともに2024年10月初旬に京都に到着した時点での私の認識は、そのようなものだった。ここでの1ヶ月でこの認識は深みを増し、新たなニュアンスを帯びていった。たとえば、フェスティバルのキーワード「えーっと えーっと」。この言葉は英語で「well, um」「so」「how shall I say」といった意味を持つ。ヨーロッパの芸術祭でも何かしらのスローガンを掲げてプログラミングの手がかりにする方法はよく見られるが、多くの場合、芸術祭のディレクターたちは自由、戦争、平和といった崇高で普遍的なテーマでプログラムを構成する。しかし今日の不安定な世界においては、むしろKEXのように迷いや不確かさを認める方が適切なのではないだろうか。

駐日欧州連合(EU)代表部が初の取り組みとして主催する「批評家・イン・レジデンス」に参加した8人のヨーロッパ人批評家たちは、長時間の移動の後、つかの間の休息時間を得たものの、その後3作品を立て続けに観劇することになった。まさにヨーロッパ式の開幕だったといえよう。ヨーロッパでは1日に複数の上演を観るのが一般的だ。しかし、京都ではこの日がむしろ例外だった。1ヶ月に及ぶフェスティバルのShowsプログラムで上演された作品は14作品に留まり、私たちには各作品について十分に考え、分析し、熟考する時間が与えられた。それは望ましいことだった。

KEXは3つの柱から構成されている。演劇とダンスの公演はそのうちの1つに過ぎない。紙幅の都合上、以下では私にとって最も重要な作品についてのみ報告することとし、その他すべての上演作品に関する私の所感については、ハンガリー語版の2つの記事にまとめた。https://revizoronline.com/kyoto-experiment-2024/https://revizoronline.com/kyoto-experiment-2024-2/

第2の柱は「Kansai Studies」と呼ばれ、主催者が関西地域のアーティストたちを招いて、フェスティバル期間中に独自のリサーチ・プロジェクトを行い、その途中成果を発表していくというプログラムである。2024年に招かれた3名のアーティストの中から、最も興味深い活動を行っているダンサー・振付家の内田結花を紹介したい。内田はロームシアター京都周辺に生息するハトの観察を通して、京都や関西に特有の鳥の存在について研究を行っている。確かに奇妙に聞こえる取り組みかもしれないが、うまく機能している。内田も、自身が長期にわたって観察してきたハトの動きのパターンを舞台上の動きに取り入れることで、自身のアーティストとしての活動に新たな展開をもたらすだろうと語っている。このプロジェクトは、動物と人間との関わり合い、そして自然環境と都市文明の共生について深い考察を加えるものなのだ。

第3の柱となる「Super Knowledge for the Future[SKF]」もまた、トークや生での会話、録音による対話を通じて、招聘作品を理解するための文脈づくりを目指している。その一環として行われた観客参加型の展示「Future Dictionary」では、上海を拠点とするキュレーター、オフェリア・ジアダイ・ホァンが拡張し続けている言葉のコレクションを1日限りの展示で見せていた。バーチャルな辞書の制作を通じて言語と文化の結びつきを探究する展示だ。この展示では、各概念に詳細な脚注や歴史的・理論的解説を付すことで言葉の真の意味を探り、英語表現の素っ気ない簡潔さの陰に、完全には理解しがたい複雑な経験が潜んでいることを明らかにしている。

KEXのフリンジ・プログラム「More Experiments」は、さまざまな分野が交差する出会いの場を創出していた。私が最も印象に残ったのは、筒|tsu-tsuによるパフォーマティブ・ビデオ・インスタレーション『01.25.1997』だ。1997年1月25日生まれの彼の調べによると、同じ日に世界中で約20万人あまりが生まれたという。彼はそうした同じ日に生まれた人々とつながり、それぞれの人生の軌跡における共通点や違い、そして交差する部分を見出し記録することを試みている。近年、彼は世界各地の人で賑わう広場に立ち、その日付を書いた段ボールを掲げている。もし自分の生年月日が書かれていたら、私は彼に声をかけるだろうか? きっとそうするだろう。そうすれば、そこから冒険が始まるはずだ。後に知ったことだが、その日に生まれた人々との出会いはすでに三十数件を超えているとのことで、これは驚くべき数字だ。京都にて、私たちは筒とブラジル人の若者との間で交わされた、ぎこちなくも心温まる数分間の会話を目にする。同じ日に生まれた二人の男性が初歩的な英語を使って慎重に自己紹介を交わし、お互いの言葉と現実を寄り添わせようとする様子だ。この対話は、録画再生と筒によるライブパフォーマンスを経て、最終的に文字に起こされ、訂正され、注釈が付けられる。そこで、互いが抱いていた先入観や期待が突如として透けて見えてくるのだ。

20年以上の経験から言わせてもらうと、上演作品の10パーセントが「記憶に残る作品」あるいは「特筆すべき作品」のカテゴリーに入るのであれば、その舞台芸術フェスティバルには行く価値があるだろう。最後に、KEXのShowsプログラム14作品の締めくくりとなった3作品を紹介したい。それぞれ美学も異なるものだし、印象に残った理由も異なる。だが、いずれも私の中でこのカテゴリーに数えられる作品である。

『オーシャン・ケージ』は、北京生まれでベルリンを拠点とし、ビジュアルアートや舞台芸術など、さまざまな芸術分野に精通するチェン・ティエンジュオと、ジャカルタを拠点とするダンサー・振付家のシコ・スティヤントによる、息をのむようなスケールのプロジェクトだ。冒頭から舞台と客席の境界のない2時間弱の一人芝居で、私たちはその目撃者であり参加者となる。インドネシアの漁村から深海へ、そして再び地上へとクジラを追いかけて往復する旅。アーカイブの写真や映像、見事なビデオモンタージュ、生演奏と録音を織り交ぜた催眠的な音楽、そして極めてリアルな小道具の数々が、スティヤントの奇妙でセクシーな、魔術的で息も絶え絶えになるほどの激しいダンスパフォーマンスを彩る。彼はまさしく「境界的」な存在だ。人間か神か、男性か女性か、陸の生き物か水の生き物か、その正体は定かではない。驚くほど細部まで作り込まれた海の世界に棲まう彼は観客たちをもてあそぶ。観客は暗闇の中をさまよい歩くうちに、やがて「導師」たる彼にますます強く惹きつけられていくのだ。

『オーシャン・ケージ』の溢れんばかりのイメージの複雑さを評価するとなれば、イランのアミール・レザ・コヘスタニ/メヘル・シアター・グループが見せるミニマルな抑制にも目を向けなければなるまい。『ブラインド・ランナー』は、コヘスタニの歯に衣着せぬ政治演劇の例に漏れず、実話を題材としている。イランの反政府デモで逮捕された女性とその夫の、神経質で疲弊した、意味のわからない対話が延々と続く。女性は刑務所に収監されており、男性は面会に訪れるが、体制側は極めて意識的に二人の抵抗の意思を打ち砕き、正気を蝕んでいく。二人は同じ空間にいながら、ステージ各所に設置されたカメラが捉える映像によって、限りなく遠く引き離されていく。彼は妻の説得で、パリ・パラリンピックの視覚障がい者ランナーのガイドランナーになることを決意する。走ること。そこにはアドレナリン、生命、幸福がある。そして力強い最後の場面で、私たちは走ることこそが生き延びるための唯一の鍵なのだと悟るのだ。

2024年のKYOTO EXPERIMENTで最も印象に残るパフォーマンスは、間違いなく、韓国生まれで現在ベルギーのヘントに住むジャハ・クーによる『ハリボー・キムチ』だ。民族のアイデンティティは、その土地の食べ物や味わいの中に息づいている。韓国から西ヨーロッパへ移り住む若者が、周囲の反対を振り切って、祖母からの別れの贈り物のキムチ10キロをスーツケースに詰め込んでいく。お前が食べるものこそがお前そのものなのだと、亡霊的な声が告げる。韓国、ドイツ、ベルギーを巡るジャハ・クーの冒険は、前菜からスープ、メインディッシュ、デザートにいたるまで、キムチを中心に展開していく。舞台上には典型的な屋台が再現され、その横と後ろにプロジェクターが設置されている。パフォーマンスが始まると、2人の観客が彼の「テーブル」に着席し、クーがライブで調理する全メニューの香りと味を間近で体験する。彼は優れた演劇的感覚で、その料理に楽しく、心に染み入る要素を加えていく。彼の個人的な物語は、歌うカタツムリ、しゃべるウナギ、そしてもちろん歌うハリボーのグミベアたちによって締めくくられる。グミベアが歌う歌詞は、この作品だけでなく、私の1ヶ月に及ぶ日本での濃密な体験を象徴する言葉にも思えた。「東も西も/故郷が一番と/人は言うけれど/私の家には在処がない」。

 
<執筆者プロフィール>
タマシュ・ヤーサイ
2003年から演劇批評を執筆。「長年一つのスタイルや美学を選ばず、演劇に関連するもの全てを理解し、感じようとしていたが、年月が経つにつれ批評家としての立ち位置は単純かつ複雑なものになった」としている。2000年代のハンガリーのインディペンデント系演劇ブームを受け、インディペンデント系演劇集団に興味を持つ。一方で、「演劇史の専門家として、1970年代と1980年代の様式を試みるクリエーターとの対話は最後の機会になった」との認識も示している。また、キュレーターおよびフェスティバルのセレクターとして、革新的で実験的な試みの表現にも密接に関わってきた。レジデンスプログラムへの参加は、欧州とは全く異なる演劇文化に触れられる機会となると考えているという。

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