2022
10.8
-
10.9
ビジュアルコンサート
magazine
2022.10.3
メルツバウ、バラージ・パンディ、リシャール・ピナス with 志賀理江子『Bipolar』の上演に向けて、思考家・作家の佐々木敦氏によるプレビュー記事です。メルツバウのこれまでの活動について執筆いただきました。ぜひ観劇前にご一読ください!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
メルツバウこと秋田昌美は、ごく控えめに言って、音楽史上、唯一無二の存在である。
われわれが「音楽」と呼んでいる営み/試みには、その根本問題、つまり「音楽とは何か?」という問いをその前提以前からあらためて問い直そうとする者たちが、歴史上、何人か存在していた。問いの方向や解法のあり方はそれぞれであるが、たとえばエリック・サティ、たとえばジョン・ケージ、たとえばブライアン・イーノ、けっして大袈裟に言うのではなく、むしろごく控えめに言って、メルツバウは、これら先行者に連なる、音楽という概念を揺るがし、拡張し、再定義を促し、音楽を内側から変質させてしまうほどの、決定的に重要な存在である。
そしてメルツバウの場合、その革新性は、ノイズ・ミュージックという矛盾に満ちたジャンル(名)と深くかかわっている。
どういうことか。メルツバウ=Merzbowというアーティスト・ネームは、クルト・シュヴィッタースの「Merzbaw」に由来する。シュヴィッタースは20世紀初頭に活躍したドイツの前衛芸術家で、ダダイズムやシュールレアリズムなどの運動の近傍でさまざまな作品を残した。「メルツ」とはシュヴィッタースが自身の作品や活動に好んで用いたワードで、そもそもはドイツの銀行名から特に意味を持たない語として選ばれたものだという。秋田はそれを更に転用し、音楽家としての自分の名前に冠した。シュヴィッタースの作風を一言で述べるのは難しいが、第二次世界大戦以前の20世紀の先端的な芸術家の例に漏れず、それはジャンルや様式にとらわれず、常識や規範に挑戦しようとするものだった。絵画、彫刻、建築、デザイン、展示など、スタイルも幅広い。彼は不用のモノや廃品など=ファウンド・オブジェを組み合わせたコラージュ的な自作を「メルツ」と呼んだ。
時代的にやや先行するが、同時期にイタリアでは未来派が勃興しており、その中心的アーティストのひとり、ルイージ・ルッソロは「騒音芸術」という論文を著して、のちの「ノイズ・ミュージック」の始祖(のひとり)となった。シュヴィッタースもまたサウンド・アート的な作品を発表している。
ごくおおまかに言って、ダダや未来派の影響を強く受けつつ、自らの音楽活動を始めた秋田昌美=メルツバウの最初期の作品も、現在とはかなり異なったサウンド・コラージュ的な作風だった。80年代半ばの『抜刀隊』は代表的なアルバムである。だがその後、メルツバウはコラージュという方法論から、より即物的で直截的な音表現へと急激に傾斜していった。
「ノイズ」ないし「ノイズ・ミュージック」は、70年代末のポストパンク、ニューウェーブ期にイギリスの音楽シーンを中心に次々と出現したカテゴライズ困難な音楽家たちの総称で、スロッビング・グリッスルやキャバレー・ボルテール、ホワイトハウスやラムレーなど、数多くの有名バンドやアーティストが挙げられる。彼らと同時代を生きてきた秋田は、そのようなヨーロッパの連中よりも、更にソリッドでハードコアな「ノイズ」を志向した。
そもそも「ノイズ」とは雑音すなわち「非音楽」ということなのだから、「ノイズ・ミュージック」はあからさまに語義矛盾であり、矛盾それ自体が存在意義であり魅力であり可能性でもあった。のちに「ジャパノイズ」などと呼ばれもする日本のノイズ・ミュージシャンのトップランナーとして、メルツバウはインキャパシタンツや非常階段などとともに、いわゆるハーシュ・ノイズ、途方もない大音量=轟音のノイズを追究してゆくことになる。
それはエレクトリックな、エレクトロニックなノイズであり、耳をつんざく、鼓膜を破るほどの純度の高い爆音でありつつ、聴覚が慣れてくるにつれてそこには複雑にして豊かな音流のレイヤーが幾層にも織り重なっていることがわかる。それは「こんなの音楽じゃない」から「これこそ一度も聴いたことのない美しい音楽だ」の両極の反応をもたらす。そう、メルツバウの楽曲は「これは音楽なのか?」いや「あなたはこれを音楽として聴けるか?」という絶えざる問いかけとしてリスナー/オーディエンスに迫ってくるのだ。
もっとも騒音いヘヴィメタル、もっとも極悪なハードロックのピークが延々と続くような、工事現場の音を十乗、百乗したような、得体の知れないマシンが発狂したかのような。私は以前、メルツバウの音楽を「テクノ100曲分」と喩えたことがある。要するにそういう音/楽なのだ。言葉で説明するのは難しい。だが体験すれば一聴瞭然である。
これまでにメルツバウがリリースした作品数はおそらく数千枚に及ぶことだろう。だが、その唯一無二性を知るにはなんと言ってもライヴで聴くのが第一である。それは未曾有の聴覚体験としてあなたを襲う。写真界の唯一無二の存在である鬼才・志賀理江子とのコラボレーションが、いかなるものになるのか、是非とも自分の耳と目、いや全身で確かめていただきたい。
佐々木敦(ささき・あつし)
思考家。作家。HEADZ主宰。文学ムック「ことばと」編集長。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化の複数の分野で執筆その他を行なっている。舞台芸術にかんする著作として、『小さな演劇の大きさについて』(P-VINE)、『即興の解体/懐胎』(青土社)などがある。