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【レビュー】『Lavagem(洗浄)』文:田中淳士

2023.12.25

撮影:吉見崚

支え合わなければ立っていることもままならない

『Lavagem(洗浄)』は、ブラジル人振付家アリス・リポルとリオデジャネイロの貧民街出身のダンサーで結成されたカンパニーCia.RECによる最新作だ。舞台は、赤いバケツ、青い防水シート、白い布、石鹸、そして泡を使った詩的なイメージの提示と、コンテンポラリーダンスとアーバンダンスの要素が巧みに組み合わされた即興的な動きによって、観客に様々な連想を促すような構成となっている。ここで表現されているのは「人間の生」の奪還を目指す身体だ。本作では、意識・意志がコントロールする身体から、あるいは社会的合理性を持つかのように温存されている現実から、そこから脱するための舞台装置として石鹸が効果的にもちいられている。
本公演では舞台を囲うように客席が配置され、舞台上に置かれているバケツのみが客席との境界を規定し、身体から発せられる臭いや温もりまで感じられるような身体的な距離の近さが特徴となっている。開演とともに暗転し、暗闇の中で響く何かが蠢く音は否応なしにその距離感を観客に認識させ、開演前に配布されたひざ掛け代わりの頼りないごみ袋も相まって、いつ客席が侵されるかわからない不安を私たちに感じさせる。照明が戻ると、舞台の中央に青く大きなビニールの物体が一つ現れる。それはまるで花の蕾のようで、しかし穏やかに前後に揺れるそれは、脈動し呼吸する生物のようでもある。その物体の内部からダンサーが一人また一人と現れ、花が散るようにその物体は崩壊し、代わりに地面がその青い防水シートで覆われる。
私たちの眼前に現れたダンサーは、歌うようにあるいは叫ぶように、怒りとも喜びともつかない声を上げ、舞台上を縦横無尽に跳ね回り、抱擁し、ぶつかり合う。この身体の内側からからだを衝き動かす生の煌めきは、バケツや身体を叩くことによるリズムの登場により、数人のダンサーの動きがブラジルの伝統舞踊であるパッソ(*1) を想起させる型をもちはじめる。この伝統的な舞踊のモチーフの登場は、作品に通底するテーマであろう過去と未来をつなぐものとしての身体を提示するとともに、無秩序で破壊的な祝祭形態としてのカルナヴァルを想起させる。

祭のあとのような静けさの中、舞台に石鹸水が撒かれ、余韻を楽しむかのようにダンサーたちは気怠げにその上を転がり、あるいは他者を引きずりまわり、からだを清めるかのように全身に石鹸水を塗っていく。舞台を這い滑りつつ、二人あるいはそれ以上のダンサーが滑らないように、組体操のように互いにからだを支え合うことで土台を形成する。そしてその土台の隙間を別のダンサーがくぐり抜け自由落下する「出産のモチーフ」が即興的に、連鎖的に演じ続けられる。聞こえるのは荒い息遣いと身体が地面にぶつかる鈍い音。その息遣いからは、石鹸が彼らの動きを阻害している、身体への負荷の大きさが感じられる。石鹸は、汗にまみれた彼らの身体を、あるいは出産の「けがれ」を洗浄するが、同時に彼らが直立したままでいることをも妨げる。彼らが立ち続けるためには互いに支え合わなくてはならず、生まれるために、あるいは生まれ直すためにも互いに助け合うのだ。いつまでも続くかのように思えた生の連鎖もやがて終りを迎え、ダンサーたちは再びビニールの物体へと回帰し次の場面へと転換していく。
祝祭・非日常のイメージから一転し、次のシーンでは姦(かしま)しく会話をしながら白い布を洗濯している日常風景がモチーフとして提示される。ダンサーたちは石鹸水の入ったバケツでひたすら泡をつくりつづけるが、時折挟まれる風船の破裂音が発砲音を想起させ不穏な雰囲気を与える。あの布は新生児を包むためのものだったのか、あるいは死者にかける布だったのか。そのうちダンサーの一人が横たわり、他の演者たちは彼を白い泡の海に沈めていく。子守唄が歌われ、再び舞台に破裂音が響く。彼が泡に沈んだ後、残されたダンサーたちは荒々しく抱擁を始める。抱き合いながらも、白い液体を吹きかけ拒絶の意思を示す者、接吻をしながら白い液体を吐血するかのように吐き出し息絶える者など、その姿は様々だ。思えば白色をもつ母乳も、赤い血液からなる。これらの生とも死ともとれるイメージの何重もの重なりの後、照明がブラックライトに変わり、これまでの踊りの痕跡が、血痕のように、これまで積み上げられてきた歴史のように、蛍光色で浮かび上がる。
ラストシーンでは、時が止まったような冷たい印象の照明に変わり、先の白い布がマスクとして使用され、ダンサーたちはガスマスクをしたような姿に変貌する。舞台にガスマスク特有の息が漏れるような換気音が響く。洗濯のシーンではバケツに両手を浸し泡をつくりつづけてきた彼らの苦労とは対照的に、ここではダンサーが手に持ったおもちゃのシャボン発生装置によって自動的に、次々と泡が生成され、不穏ながらも幻想的な白く漂白されたイメージが提示される。そして悲鳴のような、何かをチューニングするかのような、声にならない声を響かせながら幕が下りる。

このように、本作は全体を通してアンビバレントなイメージが共存した抽象的な光景の連続であり、そこに一貫した物語はないかのように感じられるが、一方で歴史的背景を考慮することで幻想的なイメージの綻びから現実の世界が垣間見える。ブラジルは、ブラジル先住民、ポルトガル人、そしてアフリカから奴隷として強制連行された人々を主たる構成要素として1822年にポルトガルから独立した多民族国家だ。しかし16世紀にポルトガル人が入植して以後、支配層として固定化されている現状がある。Cia. RECのメンバーの親の多くが(そしてそのまた親も)清掃員として生活してきたという事実からも、問題が過去のものではなく現在まで続くものであることが物語られている。また、本作のタイトルからは、カーウォッシュ作戦のコードネームで始まった国営石油会社ペトロブラスを舞台としたブラジルにおける一大疑獄事件も想起される(*2)。現在のブラジルの新興国としての地位を成り立たせている労働力の蓄積は、この歴史的な搾取のシステム、見えないことにされている差別の構造の温存によって成り立っているともいえる。
そのようなブラジルにおける歴史的背景や社会状況、そしてクライマックスにおける大規模な生の破壊、人類の「洗浄」を示唆するかのようなガスマスクの表象は、生が利益の生産の下位に置かれる社会システムを想起させる。利益を生みだし続けるために世界は変革されなければならず、しかしそれを支える不都合な構造だけは変化してはならないといっているかのような、矛盾した考えに支えられるこの近代的システムの下では、変わろうとしたものは世界を変えないでおくためにその声を奪われるのだ。一方で、本作において「出産」を男性演者にも経験させるという演出がなされていることは、変えようとすることによってたとえ奪われようとも「生みだす力」を私は分け与える、という近代的システムへのアンチテーゼとして受け取ることができる。

このような視点でみたとき、近代的主体の外へ出ること、エクソダスの表象として本作の身体表現は受け取ることができる。本作で最も印象的な出産のモチーフにおける、自由落下によって意識・意志がコントロールする身体を脱すること、意識の領域を超えて動き出す身体を表現することが、近代的システムによる調教・馴致から脱した新たな主体として「生まれ直す」という意味を持ち始める。表現が「ツルツルと滑る」身体感覚に根ざしていることにより、幻想がよりリアルなものとして現前しているのだ。支え合わなければ立っていることもままならない私たちは、他者という存在に触れ、つながり、ともにいることで、社会的な「位置」からも脱して、人間同士の直接的な関係をとりむすんでいく。本作ではそのことの重要性、そして難しさが、希望を持って描かれている。
踊りは身体の上で生み出され、そして生み出された瞬間に消えていく。しかし人のいとなみが続く限り過去と未来をつなぐものでもある。踊ることは、自ら語る手段をもたないサバルタン(*3) ともいえる「かれら」にも声を与えた。身体の内側から身体を衝き動かすものこそがシャボン玉を割るのだ。今一度、本作における声にならない声を思い返す。あの「声」には、一体何が込められていたのだろうか。

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(*1) カルナヴァル(カーニバルのポルトガル語読み)で音楽に合わせて自由奔放に踊られる即興的な独舞。カルナヴァルの起源とされるポルトガルの謝肉祭エントゥルードは、街頭と経済的富裕層の邸宅という互いに異なる2つの社会空間で行われ、両者は相互に干渉し絡み合うことを通して、カルナヴァルとして秩序化が進められてきた。(神戸周著『ブラジルの民衆舞踊 パッソの文化研究』溪水社, 2019年)

(*2) これまでの有力者は罪に問われても収監されないという一般国民の疑念を破り、政治浄化の大きな一歩と目された。(堀坂浩太郎「新興国ブラジルの新たな危機と挑戦 」国際問題,2015年10月No.645)

(*3) 自ら語る手段をもたない従属的な社会集団の意。マルクス主義思想家のグラムシによる資本家と国家権力が結託するなかで阻害された無産階級を分析する用語に由来する。

 
<執筆者プロフィール>
田中淳士(たなか・あつし)
文化政策研究者。自治体文化部局等での勤務を経て、現在京都大学大学院 人間・環境学研究科博士後期課程在籍中。日本における文化に関する政策理念の形成過程と、その前提とされる「文化」「市民」「公共」といった概念の言説研究をしています。

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