2024
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パフォーマンス
magazine
2024.9.30
松本奈々子&アンチー・リン(チワス・タホス)による『ねばねばの手、ぬわれた山々』のプレミアに先立ち、台北パフォーミングアーツセンターのADAMプログラムとして、ワークインプログレスが披露された。映像や美術デザインをリンが担当し、今回のショーイングではダンスアーティストの松本のみがオンサイトでパフォーマンスを行った。
歓談する大勢の観客に紛れるかのように、Tシャツにジーパン姿の松本がフロアの隅にちょこんと座っている。ラフな姿の松本がそばに置かれたビニール袋からおもむろに何かモノを取り出すと、ビニール袋のカシャカシャという音とともに会場はにわかに静まり返り、視線が一気に彼女に集まった。
松本はマイクを持って立ち上がり、あたりを散歩するように歩きながら、日本各地の民話に登場する山姥について話し出す。そして彼女は「ピッピ」と言った。続いてリンの声が、録音された音声で聞こえてくる。彼女は「テマハホイ」について語り始める。「テマハホイ」とは、台湾の原住民タイヤル族のオーラルヒストリーで、山奥に女性のみのコミュニティが存在するのだという。松本とリンは交互に、日本と台湾の「山」に関わるストーリーについて対話する。そして松本はまた「ピッピ」と言った。
会場の前方中央には大きなスクリーンが設置されている。スクリーンには森やだんだん畑などの断片的な画像が絵の具のインクのように現れ、これらの景色が塗り重ねられ、スクリーンいっぱいに広がっていく。この大きなスクリーンは山々の景色を現前に提示すると同時に、会場後方への視線を遮っている。
松本は空間の中で何かを見つめ、散歩する。彼女はカクカクと不自然に歩いたかと思えば、また自然に歩き出す。松本の身体は山の中にいるようであり、街にいるようでもある。あるいはヒトのようであり、妖怪のようでもあり、そしてどちらともつかないような瞬間がある。彼女の姿はときどき、前方にあるスクリーンで見えなくなる。山の中を歩く松本が、大木に遮られ見えなくなってしまったかのようだ。彼女はふと座り込み、ジーパンのポケットから携帯電話を取り出すと、その画面の文字を読み上げる。山の中の妖怪を思わせる身体は、たちまち人間の姿としてそこに現れる。
松本は最初にビニール袋から取り出したモノを床の上に転がす。モノはサツマイモとタロイモのようだ。それらを床の上でゴロゴロと転がすと、その音は想像以上に大きな音で、山鳴りのような、あるいは洞穴の遠くから風が吹いてくるような、腹のそこから響く音である。彼女は手のひらや前腕を使ってその形や感触を確かめ、タロイモを転がす。次に大きなスライサーのような道具を使って、シャクシャクと音を鳴らしながらタロイモを削り始める。削られたタロイモが床に列を作り、カーブを描きながら空間を横断する。それはまるで、照葉樹林が日本と台湾の山を緩やかにつないでいくかのようだ。
松本とリンの対話、彼女らと山との対話、私たちはこれらを追体験するかのような時間を過ごした。その中で松本は、幾度と「ピッピ」という言葉を発した。それは何を意味していたのだろう。日本人の私には可愛らしい擬音のように聞こえた。もしもタイヤル語を解する者が聞けば、それが女性器を表す言葉であると理解しただろう。そして「テマハホイ」のストーリーへと想像が回帰したかもしれない。しかしながら私は、松本が発する「ピッピ」に特定の意味が付与されているようには感じなかった。ショーイングを通して私たちが共有した時間と空間、そしてそこに散りばめられた「ピッピ」。それは漂うダークマターのようであり、あるいは特定の座標をもたないクィアな「山」という存在への入り口かのようである。
<執筆者プロフィール>
松倉祐希
1997年生まれ。ダンサーとして国内外で活動。2023年修士号取得(京都大学、地域研究)。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科東南アジア地域研究専攻博士課程に在籍し、日本学術振興会特別研究員(DC2)として台湾の原住民によるコンテンポラリーダンスについて研究している。