2022
10.1
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10.2
パフォーマンス
magazine
2022.9.29
KYOTO EXPERIMENT 2022のオープニングの演目の一つ、『TANZ(タンツ)』のダンサー・振付家フロレンティナ・ホルツィンガーへのインタビューの一部をご紹介。
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Q1:訓練された、または操作された身体を描くことへのご関心についてお話いただけますか?
ホルツィンガー:
私は余興のスタイルにのめり込む以前に、劇場とパフォーマンスに関する自分の本来の関心につながるものとして、長い間スタントの方へと回り道をしていました。人は何をもって鑑賞し、体験したいと思うのでしょうか? 人は明らかに俳優、つまり「スター」の代役を演じ、命を危険にさらしているというのに自身が認知されることはありません。
人は生命エネルギーと超越することに対するある種の欲望に突き動かされて、身体を特殊効果として扱う能力を持っています。それは明らかに私自身がパフォーマンスで自分の身体に対して抱く関係性でもある。その側面があるからこそ私は全般的に他者の身体に興味を抱いています。ただ私自身はその裏腹に精神と身体の調和の取れたつながりに根差した強い伝統のなかで育てられました。身体を完全に分離することができるというアイディアに私が常に惹かれるのはそのためかもしれません。
Q2:精神と身体の調和の取れたつながりに根差した強い伝統のなかで育ったというのはどういうことか、ご説明いただけますか?
ホルツィンガー:
私の出身校であるアムステルダムのSchool for New Dance Developmentは、「ニューエイジ的」という定評があり、例えば私たちがバレエで目の当たりにする、西洋の身体と精神の二元性に対抗する概念などを多大に与えてくれました。
クラシックバレエのテクニックでは、ダンサーの身体と動きが厳格に基準化され、身体を特定の理想形の形状に適合させる必要があります。ダンサーには自身でダンスを形成する選択肢がなく、その型を満たすことができなければ失敗とみなされます。
私は真逆の教育を受け、そこでは<身体と精神の一体性>のなかで、何かに成りゆく「becoming」の状態の身体を観察することが重視されていました。「presence(存在)」の概念に多大な重点が置かれていたのです。そのすべてがかなり神秘的で刺激的でしたが、同時にダンスに主観的な価値を与える「エンボディメント(身体化)」に対する大いなる神秘に私は多々もどかしさを覚えました。
そこで私はより「測定可能」な物理的な実践に避難を求めました。一体感を作り上げるのではなく、身体に1秒足りとも考える余地を与えず、身体を道具としてコントロールし遊ぶことができる対象物として扱うに至りました。現在の私の作品と作業に対する姿勢は、両概念の影響を大きく受けています。
出典元:Spike by Vanessa Joan Müller