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ポストモダンダンスとは何かー「フォーエバーポストモダンダンス」を手がかりにー

2023.10.3

KYOTO EXPERIMENT 2023のプログラムのひとつ『ルシンダ・チャイルズ1970年代初期作品集:Calico Mingling, Katema, Reclining Rondo, Particular Reel』は、ポストモダンダンスの巨匠振付家ルシンダ・チャイルズの作品を、姪であるルース・チャイルズが現代に蘇らせる取り組みだ。この上演では「継承」が大きなテーマであり、「ポストモダンダンス」がどのように成立し、どういった影響を与えてきたのかを知ることが、作品の本質に迫る手助けになるといえる。

KYOTO EXPERIMENTでは、2022年時のプログラムとして、ダンス研究者、ダンスドラマトゥルクの中島那奈子のキュレーションにより、ポストモダンダンスの源流と継承について紐解く映像上映とトークのイベントを2回にわたり開催した。そのうち「フォーエバーポストモダンダンス」と題した回では、ベトナム戦争や検閲など1960、70年代当時の状況を踏まえつつ、米国ポストモダンダンスの魅力を中島が解説した。今回の『ルシンダ・チャイルズ1970年代初期作品集』上演に際して、このトーク部分を抜粋し以下に紹介する。ぜひ、上演に立ち会う前にご一読いただきたい。
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ポストモダンダンスとは

1962年から、イヴォンヌ・レイナー、スティーヴ・パクストン、トリシャ・ブラウンなどジャドソン教会派といわれるアーティストたちがアメリカのニューヨークで行ったダンスが、「ポストモダンダンス」と呼ばれています。これは、それ以前から踊られていたマーサ・グラハムなどのモダンダンスを乗り越える形で行われたという意味で、ポスト・「モダンダンス」と言われます。必ずしもポストモダニズムのダンスというわけではありません。彼らが行ったのは、劇場以外の場所での上演や、ダンスのテクニックにあまりとらわれず、日常の動きを使うこと。そして、偶然性—―サイコロやゲームのルール—―を使って作品をつくることです。そういった試みを様々なメディアを使って行っていた、実験的なパフォーマンスでした。

ポストモダンダンスの何が面白いのかというと、「How」よりも「What」を重視したことです。ダンスにおいては、「どう踊るのか」が重要です。しかし、この時期にポストモダンダンスが追究していたのは、「なにがダンスなのか」という、「What」の部分。そのために、ダンスの枠組みを飛び越えてしまい、「これは本当にダンスなのか」と言われることもありました。

これらのアーティストによる、欧米の芸術舞踊の伝統を否定したダンスの新しいやり方、また、それを示そうとした流れがポストモダンダンスと名付けられました。その一人であるトリシャ・ブラウンによる『建物の側面を歩いて降りる男』(1970年)は、NYソーホーのビルの壁にワイヤーをつって、ダンサーが上から歩いてくるという作品でした。

彼らがジャドソン教会派と呼ばれるのは、NYのジャドソン記念教会で公演をしたためです。当時、劇場を借りるお金がない若手のアーティストに教会がパフォーマンスの場を提供する、ということが行われていました。ジャドソン教会派はもともと、マース・カニングハムのスタジオで行われていたダンスワークショップに参加していたメンバーだったんですが、このロバート・ダンによる実験的なダンスを作るワークショップの、いわば「発表会」の場として、1962年から1964年まで、ジャドソン記念教会で『コンサート・オブ・ダンス』という公演を行いました。

ジャドソン教会派の主要なメンバーとして、イヴォンヌ・レイナー、トリシャ・ブラウン、ロバート・モリス、スティーヴ・パクストン、ロバート・ラウシェンバーグ、デヴィッド・ゴードンなどが挙げられます。教会の中では、舞台と客席をきちんと作るのではなく、パフォーマンスの周りに観客が座るというような空間作りをしていたようです。

ポストモダンダンスの系譜

Ⅰ.イヴォンヌ・レイナー(1934ー)
イヴォンヌ・レイナーはジャドソン教会派を代表する一人で、現在コンテンポラリーダンスと呼ばれる分野でも世界的に大きな影響力を持つ振付家・ダンサー・映画監督です。1970年から76年にかけては、即興に強い関心を持ち、グランド・ユニオンというグループで活動していました。

レイナーの代表作が『Trio A』という作品ですが、この作品には多くの上演バージョンがあります。今回上映した『Trio A、旗とともに』(1970年)が撮影された場所はジャドソン記念教会内で、ジョン・ヘンドリックスとジャン・トーシュが開催した『人々の星条旗ショー』という企画が行われているところです。星条旗を冒涜する作品を展示したとしてギャラリストが起訴された事件に対する抗議活動として、NYのアーティストたちが作品を作り展示しました。その企画のなかで『Trio A』が上演されました。レイナーは、星条旗と裸体の取り合わせが、抑圧と検閲への二重の反撃になると考えたそうです。『Trio A』は様々な形で上演されますが、この時は星条旗を首からまとっています。私がこのバージョンを初めて見た時には、『Trio A』が衣服をつけないどころか、星条旗をまとって踊られるまさにこのアメリカ的な展開に衝撃を覚えました。

『Trio A』の映像として一番有名なのは、イヴォンヌ・レイナー自身がソロで踊る、1978年に研究者のサリー・ベインズが撮った記録映像です。これが一人歩きしているところがありますが、もともと『Trio A』は3人で踊るものでした。たとえば1966年の初演時は、イヴォンヌ・レイナー、デヴィッド・ゴードン、スティーヴ・パクストンの3人で踊っていました。ほかにも『Trio B』などがあったようですが、残っているのはこの『Trio A』という振付だけです。

動きとしては非常に奇妙な作品です。日常の動きから作られているので、少し体操のようにも見えますが、モノトーンでクライマックスや繰り返しが全くありません。「なんで面白いのだろう?」と思うダンスでもあります。ただ、ダンスらしくないにもかかわらずダンスであるという、ダンスの「素」のところを抽出したような、その意味で、見れば見るほど面白くなるダンスのように思います。

たしかにこの『Trio A』にダンスの特別なテクニックは必要ないと言われますが、実際に踊ってみると非常に難しいです。この『Trio A』を2017年に京都芸術劇場・春秋座で再構成した時に、プロのダンサーの方たちにやっていただいたんですが、ダンサーにはそれぞれ踊りの癖があり、どうしても動きをキメてしまう。このアクセントともいえる「キメ」を取るのが非常に大変だということがよくわかりました。

最近のバージョンである『Trio A 老いぼれバージョン』(2017年)では、振り付けをしたレイナー本人が踊るんですが、途中で振り付けを忘れてしまいアシスタントに尋ねたり、脚が上がらなかったり。体がよろけて支えてもらう、というくだりもあります。もしかしたら、本当は振り付けを覚えていて、あえてこのように踊っているのかもしれません。

この、2017年の春秋座での『Trio A』上演は、KYOTO EXPERIMENTの提携プログラムとして行ったのですが、『Trio A』に加えて『Chair/Pillow』というイヴォンヌ・レイナー初期作品の再構成を、アーカイブ資料と一緒に展示しました。通常『Trio A』にはプロのダンサーをキャスティングするよう、レイナー側からリクエストがきます。しかし、ダンサーの年齢や背景については何もリクエストがないことにこのとき気がつきました。そこで、京都での上演では、能楽師の高林白牛口二さんなど、様々な年齢とジャンルのダンサーに踊っていただきました。そうして新たに「京都バージョン」のようなものができてきたんです。

このときの『Trio A 』上演では、もう1人のダンサーが、『Trio A』を踊っている人のまなざしを追いかけるという『Trio A Facing』のバージョンも上演しました。高齢の能楽師とコンテンポラリーダンサー2人の、曰く言い難い緊張関係が非常によく出ていたため、レイナ―さん自身も、今まででいちばん良い『Trio A Facing』だ、と喜んでいました。

ほかにも、レイナーは『運搬のそれぞれのあり方』(1966年)というパフォーマンスでは、 テクノロジーとアートの統合を試み、様々な物理学者とコラボをしています。 レイナーは「ものを動かす」ことに関心がありました。この作品の中では、パフォーマーが板や箱といったモノを動かしていきます。

パフォーマーと物体を並置して比較することにレイナ―は強い関心をもっていたようです。レイナーは初期作品では、彫刻とダンスの対比をよく扱っていました。その中で、箱などの生きていないもの=オブジェクトと、ダンサーの生きる身体を並置した時に、ダンスする身体とは 動かされるものであり、かつ、動くものであることが明らかになります。つまり、心と身体、もしくは主体と客体として二元化されたダンサーを作品化していく、という議論に繋がっていくのが、この「運搬」=何かを運んでいくこと、というアイデアなんです。

これは、アンナ・ハルプリンなど先行者のアイデアを使った「タスク」とも言えます。物を動かすという「タスク」をさせることで、ダンサーがもともと持っているダンスの動きは見えづらくなり、その訓練の歴史が不可視化されるという点でも、面白い戦略でした。

Ⅱ.トリシャ・ブラウン(1936-2017)

トリシャ・ブラウンは2016年のKYOTO EXPERIMENTでも初期の作品がたくさん上演されていました。世界的にも評価が高い振付家で、キャリアの後期では大掛かりな劇場作品を手がけました。そういった近作とは異なりますが、『壁を歩く』と『蓄積』はトリシャ・ブラウンの魅力を形作っている初期の代表作と言えるのではないでしょうか。

『壁を歩く』は、 1971年にホイットニー美術館の中で行われました。特に初期のトリシャ・ブラウンは、身体と重力の関係に関心がありました。建物の外を歩く作品、もしくは『壁を歩く』は初期の代表作です。 ダンサーの歩行を、私たちが見上げるという感覚が面白いと思います。

最もよく知られているのが『蓄積(accumulation)』です。音楽はアメリカのヒッピー文化を代表するバンドGrateful Deadの『Uncle John’s Band』です。この曲によって、見ていてなんとなくほわっとしますが、振り付けは非常に幾何学的に、ゲームの規則にしたがって作られています。素晴らしい作品だと思います。

Ⅲ.ルシンダ・チャイルズ(1940ー)

ルシンダ・チャイルズは現在も活動している振付家の1人です。 2022年10月8日から9日には、『浜辺のアインシュタイン』という、チャイルズがかつて振付をした作品が、神奈川で上演されます。代表作は大規模な劇場作品、特に1979年の『ダンス』かと思います。フィリップ・グラスのミニマルな音楽に合わせて、ダンサーがぱーっと離合集散して動く、素晴らしい作品です。ルシンダ・チャイルズのジャドソン教会派としての活動では、『カーネーション』(1964年)があり、パフォーマーとして顔にスポンジや水切り、足にゴミ袋をつけています。

Ⅳ.マース・カニングハム(1919ー2019)

マース・カニングハムは、ポストモダンダンスの先駆者と言われている人物で、先ほどお話したジャドソン教会派のダンサーたちの多くが彼のスタジオに通っていました。カニングハムはもともとマーサ・グラハム舞踊団のダンサーでしたが、その後独立し、自分のカンパニーを設立して様々な作品を作りました。カニングハムの作品は、訓練されたダンサーが踊るものが中心です。長年の共同作業で知られる作曲家ジョン・ケージだけでなく、アンディ・ウォーホルの装置を使った『多雨林』(1968年)、コム・デ・ギャルソンの衣装を使った『シナリオ』(1997年)など多くのアーティストとのコラボレーションだけでなく、ビデオやカメラなど新しいメディアを駆使した試みでも有名です。

マース・カニングハムは初期から、カメラとダンスの関係を模索していました。ジョン・ケージとのコラボ作品、『カメラのための浜辺の鳥』(1993年)では、ジョン・ケージが『FOUR³』を作曲し、カニングハムが振りをつけました。もとは舞台用に作られた作品ですが、お見せしたのは、3人のダンサーを加え、ドルビーの音響装置を使ってスタジオ撮影をして作った映像です。

鳥の動きというか、手がこちょこちょと動く振り付けがとても面白いです。『自然研究』というカニングハムの一連の作品の1つで、鳥の動きだけでなく、チェスの動きを取り入れたそうです。ダンサーをチェスの各駒に見立てて、駒が動くルールに沿って動くという、非常に凝った振り付けがされている部分があります。

構成は「チェス」「龍安寺」「5人のための組曲」「風景」の4つに分かれています。ダンサーはユニタードと呼ばれるぴたっとした衣装を身に付け、上半身が黒に染められています。この マーシャ・スキナーの衣装が非常に効果的に使われていると思います。ビデオダンスの傑作と言われる作品です。

なぜポストモダンダンスがいま語られるのか

各国の美術館や劇場、また芸術大学でポストモダンダンスが今でも話題にのぼり、再構成・再演が行われています。それはなぜなのでしょうか。
ポストモダンダンスの時代はダンスが最も理論化された時期でもありました。特にイヴォンヌ・レイナーは、ダンスとはどういうものか、ダンサーの体がどういうものかということについて多くの書籍を書きました。その意味で、見ている人にダンスの哲学というものを喚起させていく面白さがあります。

また、記録映像が少ないために、「ポストモダンダンス」として一体どういうことが行われていたのか、あまり知られていませんでした。そのため、この10年ほど、実際にポストモダンダンスの振付家を呼んで当時の作品を再構成しようという試みが各国の美術館で行われてきました。ポストモダンダンスには、歩いたり走ったりといった動きが多く、ダンスの高度なテクニックを必要としないと言われます。そのため再演が難しくなかったという事情もありました。
モダンダンスのカンパニー、たとえばマーサ・グラハムなどは現在も毎年のように公演を続けていますが、ポストモダンダンスのカンパニーは現在ほとんど残っていません。そのため、どうしたらこの時代のダンスを見られるのか、神話化されるくらいの「ポストモダンダンスとは何だったのか」という興味を逆に起こさせるのです。

 

中島那奈子(ダンス研究者、ダンスドラマトゥルク)
老いと踊りの研究と創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。作品に「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。2022年よりカナダ・バンフセンターでファカルティ・ドラマトゥルク(教員)を務める。編著に『老いと踊り』(勁草書房)、2017年米国ドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。
http://www.dancedramaturgy.org

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『ルシンダ・チャイルズ1970年代初期作品集:Calico Mingling, Katema, Reclining Rondo, Particular Reel』は、10月13日~10月15日に京都市京セラ美術館 中央ホールにて上演。これは、1970年代という「ポストモダンダンス」が大きく花開いた時代の作品群を、次世代に「継承」するという挑戦でもある。鑑賞後には、「ポストモダンダンスとは何か」という問いの答えも、さらに立体化し見えてくるはずである。

 

公演の詳細はこちらから
ルース・チャイルズ&ルシンダ・チャイルズ
『ルシンダ・チャイルズ1970年代初期作品集:Calico Mingling, Katema, Reclining Rondo, Particular Reel』

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