2022
10.20
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10.23
演劇
magazine
2023.3.6
それは「嫌がらせ」か、それとも「警告」か
突然だが、「嫌がらせ」という名称の楽曲をご存知だろうか。同じメロディを840回繰り返して演奏するピアノのために書かれたこの曲は、演奏するものにとっても、聴くものにとっても「嫌がらせ」されているという感覚に陥るかもしれない。1963年に初めて実際に演奏された際は、18時間40分を要したようだ。またあるピアニストは595回弾いたところで幻覚症状に陥り、舞台を降りたという逸話もある、まさに狂った楽曲である。フランス語で「嫌がらせ」を意味する『ヴェクサシオン』と名付けられたこの楽曲は、19世紀末から20世紀初頭に活躍したエリック・サティによって生み出された。異端児と称されるなどサティは、空間の雰囲気作りのための音楽である「イージーリスニング」や、パターン化されたメロディを繰り返す音楽である「ミニマル・ミュージック」の生みの親とも言われている。そんな先見の明があったサティは、『ヴェクサシオン』をただ「嫌がらせ」のために書いたのか、それとも来るべき未来への「警告」として書いたのか。
サティの『ヴェクサシオン』の生演奏には、残念ながら居合わせることがまだできていないが、KYOTO EXPERIMENT 2022で上演された『リアル・マジック』を観劇した私は、幸運にも擬似体験をすることができたともいえるのではないだろうか。
テレビで放映されているクイズショーを彷彿とさせる舞台上に3人の男女が現れる。舞台上で繰り広げられるのは、出題者が掲げる言葉を、目隠しをされ3回の回答権利を与えられた回答者が当てるというクイズ。それぞれ司会者、出題者、回答者を担い、順番で役目が入れ替わっていく。この事象が100分間続くだけの芝居と聞いて、皆様はどう感じられるだろうか。
序盤、3人の表情は明るく、楽しんでこのクイズショーに参加しているように見える。出題者は、当たるか外れるかという状況を楽しみ、回答者は頭をフル回転させ考える。そして司会者はその間に立ち、時に双方を煽り、クイズショーを盛り上げていく。しかしそれぞれの役目を入れ替えながら繰り返していくうちに、次第に快活さが失われていく。出題者が掲げる言葉と回答者の回答は毎回変わらず、ルーティン化し、司会者もただクイズショーの進行を進めることに専念する。その姿はどこか事務的、機械的にこなしているだけに感じられた。舞台上の3人の表情も決して明るくはなく、思考せずに言葉だけを発している状態。役目が一巡するごとに要する時間が短縮され、決められたルール通りに淡々と進行していく。所要時間の観点では効率化が見られるが、決してクイズショーというエンターテインメントとして機能しているとは言えない。現代社会において効率化は推奨される時間と、その裏で削ぎ落とされている議論や思考の時間のようにそれぞれ感じた。
例えば、芝居の終盤、あまりにも回答者が正解に至らないため、出題者は答えを書いたボードを、回答者にも見えるように掲げる。それであっても回答者は正解に至らないのだが、出題者はその状況に対して、明らかに苛立ちを募らせている。しかし、例えばこの出題者は、回答者が盲目である可能性を、排除してはいないだろうか。回答者が盲目であれば、いくら答えをテキストで掲げたところで、伝わることはない。にもかかわらず、出題者は自身の常識のもと苛立ち、司会者は決められたルール通りに、その状況を気にもせず、ただ進行させていく。一度、進行の速度を緩めれば至りそうな考えに基づく議論やアクションが起こらないまま、ただ進行していく様は、不寛容な現代社会の現実ばかりか、高度なロボットがプログラミングされた言葉を流暢に発しているようにも見え、不気味ささえ感じさせる。
この不気味さは、パフォーマンスの裏で流れている音楽によって助長されていた。楽曲は、ハチャトゥリアンが作曲したバレエ音楽「ガイーヌ」より『剣の舞』。日本でも広く知られている楽曲の冒頭4小節が、壊れたレコードのように永遠に繰り返される。この壊れたレコードのように、舞台上の3人も壊れていってしまうように感じられる。そもそもこの「ガイーヌ」という作品の成立の背景に旧ソ連体制の監視があることや、『剣の舞』の楽曲自体も、初演直前に、体制下の文化省から結末の書き換えを命じられたが故に書かれた作品であることから、舞台上が管理された社会であるように感じられるのであった。時折、舞台上の3名はクイズショーの進行を止め踊るが、その姿でさえも操り人形が踊らされているように見えてしまった。
芝居の進行は、ルーティン化され、例外が認められないマニュアル通りの社会に対して「警告」を発する一方で、時間の進行を一度緩めることを提案しているのではないだろうか。サティは『ヴェクサシオン』によって、来る大量生産と均一化の時代に対し「警告」を発していたと、私は感じてならない。時代は100年進んだが、その間に起きた科学技術の目まぐるしい発達によって、サティの時代には想像できなかった新たな段階に、私たちは生きている。私たちは自ら思考し、行動をすることができる。私たちは違和感を自分で察知し、行動を起こし、かつ他者に促すことができる。何が私たちをそうさせないのか、もしくはそうさせなくしようとしているのか。舞台上の3人のような状況に、私たちは陥らないと言い切れるのか。『リアル・マジック』は不気味に進行していく100分の中で、そのような危機感を抱かせる作品であった。
<執筆者プロフィール>
今井俊介(いまい・しゅんすけ)
1993年生まれ。上野学園大学音楽学部をクラリネット専攻で卒業。アーツアカデミー東京芸術劇場プロフェッショナル人材養成研修長期コース(音楽)を経て、2017年度より公益財団法人東京都歴史文化財団東京芸術劇場事業企画課勤務。若手演奏家育成プロジェクト「芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー」制作担当(2016年~2020年)。ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018『夜と霧〜迫害された作曲家の作品とともに〜』(2018)、芸劇&読響『みんなでハモろう!』(2020)、野田秀樹演出「モーツァルト/歌劇『フィガロの結婚』~庭師は見た!~(再演)」(2020)岡田利規演出「團伊玖磨/歌劇『夕鶴』(新演出)」(2021)等、制作担当。