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【レビュー】『影の獲物になる狩人』文:中村外

2023.12.6

撮影:岡はるか

他者と自分を眺める姿を映す作品

バック・トゥ・バック・シアターによる『影の獲物になる狩人』。本演目では、俳優3名が自身と同じ名の役を演じる。登場人物の障害の内容は、俳優本人の特性と一致しているものと解釈できる。冒頭でスコットがサラに対し、「許可なく他者に性的な部位を触らせてはならない、性的行為は同意がない場合に行ってはならない」などと教え諭すことから作品は始まる。明らかに遅延反響言語を想起させるような、状況に適合しない発話である。遅延反響言語は過去に他者から受けた何らかの言葉を場面にかかわらず反復することで、自閉症やアスペルガー症候群の児童に見られるものである。性的問題行動を起こさないよう、過去に保護者等からの教育的な諭しをスコットが受けたことを背景としていることを連想させ、これが後に劇中で挙げられる過去のスキャンダルやそれを引き起こした人物への言及へ有機的につながっていく。その後この2人にサイモンを加えた3人が障害者の待遇について話し合う集会の場面が展開されていく。

私は劇中、ほぼ全編にわたって障害者のおかれる状況について、政治的な観点での思考を巡らせることになっていたと思う。台詞のすべてが、障害をもつ俳優自身の主張のように感じられるからだ。観客としては、演じられた行為を目にしていると考えることがより妥当であるはずなのに、彼らの台詞をアクチュアルな主張のようにして受け取ってしまう傾向を自らに感じる。例えばサラは劇中に「Disabilityという語の使用を避け、Neuro-diverseという表現を使うほうが望ましい」といった主張をする役を演じたが、ポスト・パフォーマンス・トークで彼女は「Disability」という詞を発話中に少なくとも一度は(批判の文脈ではなく)使用していたはずで、本人が抜本的な用語変更に必ずしも賛同しているわけではないと推測される。これは意見が衝突する台詞による立場の複数性を示す演出だと考えられるはずなのだが、私はそれにすら気づかない。三者の立場の異なりを、あたかも実際の多角的な議論であるかのように錯覚していることを自省した。

これまで意識したことのなかったことだが、私自身は自分と異なる属性を持つ人物が舞台上で演技を行うときに、演技であることを忘れてしまう傾向を持っているのかもしれない。特に身体的、あるいは知的な制御が定型発達と異なる場合については、その動作や言葉の発し方が本人の制御するものではないかのように受け止めており、その見方は台詞の内容にまで及んでいる。劇中で語られる「健常者は常に何かを演じているように見える」という台詞の対極として、自らの目に映じるもの、そしてそれを見る自身を発見したように思う。今回の演目は、障害者が障害者の役を演じるものだったが、カンパニーとして、障害そのものをテーマに設定するのは初めてだという。一般に障害者の役というのは演じるのが難しい役どころとして語られるものだ。演劇作品やテレビドラマについての宣伝記事では「(俳優が)難しい役柄に”挑戦”・”熱演”」といった見出しが散見される。難しい役なのは、それを演じるのが必ずといっていいほど定型発達の俳優だからであろう。定型発達の俳優を起用しなければならない理由はそもそもないことが発想の出発点になく、前提として障害者は日本では人口の約7.6%と推計されている(平成30年版厚生労働白書)にもかかわらず、演劇やテレビドラマの世界においては排除されている、といった政治的観点からの批判が可能であるが、それと同時に、観客としての自身の視線についてより自覚的になることもまた必要であるように思われる。演技が演技であることに安住できる地帯を観客である自分は求めているのかもしれない。演技とは自ら制御をすることであり、そのパッケージの中の振る舞いが自然であるかぎりにおいてそれを、自然な演技と評して観ているものなのかもしれない。

本作で障害をもつ俳優が障害者の役を演じたことによる最も大きな芸術的達成はエンディングだったと考える。スコットは「他者に性的部位を触らせてはならない。小児性愛は許すべからざるものである」と、冒頭と同じ主旨のことばをまたしても繰り返すが、サラは「私は40代の女性であって小児性愛者の対象となるものではない」と応答する。ある意味では当然の受け答えがユーモラスなコミュニケーションとして立ち上がり、作品全体が締めくくられる。言葉は常に均一の意味ではなく、その発揮する力は、それが置かれる場によって大きく異なる。遅延反響言語という、典型的なコミュニケーションの様態とは区別される反応(もちろん本作においては演出であると考えるべきだが)が、この文脈に置かれることで新たな意味を獲得するのである。だからこそこのエンディングは非常に美しいものとなっている。私達の誰も、過去に学び取ったことを材料として他者とのコミュニケーションを遂行する以外に方法を持たず、困難であるが唯一可能な方法であること、またその一回性、そのかけがえのなさを増幅して我々に差し出すのだ。また、身体的にも同様のことが言えるのかもしれない。我々の誰もが、現在自身が保持するこの身体でしか、この世に現れる方法をもっていない。身体はクリエイションで新たに得られるものでなく、それを示すかのようなダンスシーンもまたこの作品中の印象的な部分となっている。

私達が日頃考えているよりも、現実の足場は悪く歪である。社会的に許容されない性的行為や、加害・被害両面でのリスクを伴う他者との性的接触を強く禁止する教育を受けたとしても、実際には絶えず禁忌を犯す者の存在する奇妙な世界で我々は生きている。言葉を額面通りに受け取る自閉症傾向がある者にとってはなおのこと理解し難い世界なのではないか、と私は想像する。劇中においては主に演劇界で性的な不祥事のあった人物の名が羅列されたが、奇しくも日本においても、大手の芸能事務所での大規模な性加害事件が問題となっている。権力の不均衡によりもたらされるこうした問題の犠牲については、障害者にとって大きな関心事であるに違いない。実際に米国において障害者が虐げられた歴史も語られていく。一方で、加害者の立場へ容易に転倒することも示される。劇中では一部の人物がリーダーシップがあり、カリスマ性がある、とすることで、そこにあてはまらない人物は排除されていくことが簡単に起こるさまが描かれた。排除された者の怒りがすぐにあからさまとなり決裂していくのだが、議論が進行するにつれ、合意の形成が困難となっていき、「いつもめっちゃくちゃ(mess)になってしまう」という台詞が発せられる。そしてそこへの反省、あるいは恥の意識、さらに、恥じる必要ない恥を感じているという恥、二重の恥だと語られる。私はここへ共感の言葉を寄せたいのだが、立場の違いを考えそれははばかられてしまう。私も自分の考えはまとまらず、他者と合意にいたる道筋を見つけることも容易でない。私も同じように混乱状態にあると思うのだが、混乱していても、おそらくいつもうまくやり過ごしてきた私には、何かを演じているように見える振る舞いしかできないのかもしれない。この作品を通じて自分自身を眺め渡してしまう。本作品のタイトル『影の獲物になる狩人』は、ジャック・ラカンに想を得ているということを踏まえれば、自らが他者へ自分のイメージを投影していることを考えることになり、自分の姿がさらにとらえどころのないものとなる。共感しているように思えるのはただ、自己を他者に投影しているだけのことなのだろうか。自己と他者を眺めている自分、それを覗き込むよう促す作品だったと思う。

<執筆者プロフィール>
中村外(なかむら・そと)
1990年大阪府生まれ。早稲田大学スポーツ科学部卒業後、一般企業勤務を経て、現在フリーランス校正者・編集者。編集担当書に『荒地』(T・S・エリオット、西脇順三郎訳、土曜社刊)など。

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