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【コラム】「もしもし」の変貌 (佐藤健二)

2021.10.12

“もしもし?!”
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、オンラインでの対話などにより目の前には存在しない、不在の身体に呼びかけることが多くなった。いまここにいる/いない他者の声や、いま起きている/起きていない音にいかに耳を傾けるのか、これまで以上に問われているのではないでしょうか。「もしもし」と呼びかける主体はわたしなのか、それともわたしは呼びかけられているのか。そして、見えない「もしもし」の向こうをいかに想像していくのか。ここでは、今回のキーワード“もしもし?!”を出発点に、さまざまな視点からのコラムを展開します。

​​ インターネット空間は、ときどき現代のユニークな「常識」を教えてくれる。
 「もしもし」は無作法な言葉づかいで、電話で使ってはいけないという教えに出会った。いくつものサイトが訳知り顔に、その理由を解説し、気づかぬマナー違反なのだと説いている。
 失礼の論拠は「略語」。このフレーズは、もともと電話交換手が使った「申し上げます、申し上げます」を略したものだという。なるほど、仲間うちの特殊な略語は、意味を知らない人にいささか配慮に欠けたもの言いと受けとめられることがある。だから避けるべきである、という論法なのだけれども、相当にあやしい。
 そもそも、「略語」と説くこと自体が、こじつけである。電話交換手による使用の遥か以前、近世から「もしもし」はそのかたちで使われていて、しかも「申し上げます」のくりかえしの省略形ではなかった。
 人に声をかけるとき使われていた「もうし」に由来する。しかも「もうし」よりはすこし気軽な「もし」を重ねた強調である。気づかずに立ち去ろうとする相手を急ぎ呼びとめるような、せわしい状況で用いられた。同輩や目下に対する呼びかけの「おい」よりも、明らかに丁寧でおもて向きにも使えた。「こら」は、同じく呼びかけ言葉の「これ」の変形で、いまはとがめ立ての意味のほうが強い。「おいこら」より「もしもし」のほうがよほどへりくだった適度の距離感があって、あわてて重ねたとしても優しくひびく。
 ちなみに、なぜ言葉を重ねるのかについて、「妖怪」が関与しているとの奇説もネット上に散見する。返事をすると吸い込まれて溶かされてしまう『西遊記』の金角・銀角の瓢箪よろしく、何ものかわからない声に、不用意に応じてはいけない。ただ、怪かしの化け物はつねに「一声呼び」。だから間違われないように、二回重ねの呼びかけにするという説で、大がかりで遠回りの解説だが穴だらけ。電話という文明の利器を使おうかという場面に、なぜそんな特殊な信心がもちだされたのか、理解に苦しむ。
 私の印象では、電話において「もしもし」が使われたのは、この交信の新しい空間の、まさに物理的で身体的な特質ゆえである。
 電話では、相手が見えない。視覚なら瞬時にできる同定も、対応の調整もできない。声だけで相手の存在を確認し、それが誰でどんな意図であらわれたかを探り、耳の感覚だけで対話を続けなければならない。お互い目かくしで、しかも線だけでつながる、離れた状態で話し合うような体験は、それまでの日常にはまったくなかった。そこでは、どことなくの不安 (つながっているかどうか…) と、微妙な遠さの距離感 (目の前に相手がいない…) と、突然の気ぜわしさ (急にベルが鳴り、相手は誰かわからない…) などに、対処せざるをえない。
 「もしもし」と呼びかけて探り始める必要は、気分としても自然な選択であった。英語でも「hello」以前に使われたのが、船員が離れた相手の船に呼びかける「ahoy (おーい)」で、遠さの感覚が残っていたのは偶然でない。
 それならば、なぜ「失礼」の解釈が生まれたか。おそらく、ビジネスでの電話応対の教育が関わっている。インターネットで応対マニュアルを即席に調べてみると、2001年頃から「避けるべき」だという記述が見つかる。問い合わせや苦情の処理などの電話応対を専門に行う「コールセンター」が社内外に多く設置され、オペレーター向けの言葉づかいの教育が求められたこととも深く関連する。
 その主張は単純である。誰であろうと、用があってかけてきたのだから、あらためての「もしもし」は不要、ただ「はい、〇〇 (会社名) です」「お待たせしました」と出ればよい。「もしもし」は声が聞きとれず、回線が通じているかを確認する場面でも使われるが、そういうときは「恐れ入ります、電話が遠いようで、もういちどおっしゃっていただけますか」と言え、と事務的に指南している。こうした会社の教育が、電話での会話一般にも持ち出され、前述の無理な解説につながる疑問が生まれた。
 電話接続のプロトコルが、余分で過剰に感じられはじめた機器使用環境の変化もある。機器に番号表示の機能が備わり、誰からの電話か出る前からわかる。そこでは、「もしもし」と探る必要がない。さらに、ケータイは電話の個人化を押し進め、本人への接続が普通の日常になった。声ではない文字のチャットの便宜も、礼儀の常識を混乱させていく。
 しかしながら、「もしもし」の禁止という平板で抑圧的な結論だけを、マナーとして押しつけるのは貧しい。それは声のもつ力の複雑さを看過し、実感によりそう新たな表現の創出に前向きでないからだ。
 思い出すのは漫才などで、面と向かい合ってなのに「もしもーし」と話しかけて、いま「通じない」理解の食い違いを強調するしぐさのおもしろさである。この距離感の演出をともに笑えるのは、見る私たちのなかにも、気ぜわしさに緊張し慌てながらもつながろうと、電話という仕掛けを使いこなしてきた、無意識の修練が身体の記憶としてあるからだ。
 いま、コロナ禍の閉塞感のなかで、テレビ会議やらWebミーティングの新たな空間が拡がっている。思ったより便利だなと感じる反面、うまく共存を実感できず、沈黙を分かちあえない隔離感もわだかまりとしてある。その距離を超える、どんな呼びかけと応答とを工夫することができるのか。もういちど、言葉を糸口に、われわれ自身の身体感覚の変容を覗きこむ必要がある。


佐藤健二
1957年生まれ。東京大学人文社会系研究科教授。専門は歴史社会学、メディア論、社会調査史など。著書に『ケータイ化する日本語』『柳田國男の歴史社会学』『真木悠介の誕生』などがある。

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