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ダンス
magazine
2022.12.23
フィクショナルな力で四股を踏む
『京都イマジナリー・ワルツ』では三拍子のステップを執拗に踏み続ける松本奈々子のパフォーマンスが光ったが、京都での滞在制作2年目の『女人四股ダンス』でも、「四股」を様式化されたステップの一つとして取り上げ、繰り返し踏むパフォーマンスを基本のスタイルとしている。両作品とも特定のステップを焦点化し、ムーブメントに発展させることなく思考の起点とする。地面を踏む一歩がどのような様態で現れるかに着目し、そこから歴史が刻まれるとみるダンスについての根本的で批評的なアプローチだ。
『女人四股ダンス』は女性の月経を主題とした儀式仕立てのレクチャー・パフォーマンス作品である。ダンサーの松本が実際に体験したエピソードをもとに、女性の身体が経験する不条理を「月経の踊り」に仕立てる過程を通して、その実質に分け入っていく。松本のほか出演者・振付コラボレーターとして内田結花と前田耕平が加わる。西本健吾は今作でも出演はなく、振付・構成に徹している。
松本、内田、前田の3人は、初めに床に広がった赤い紙吹雪をほうきで丹念に寄せ集め、円周状に整えて土俵を作る。「四股」から連想されるとおり、パフォーマンスは相撲の儀式の形態に則っており、冒頭と最後、「序」と「結」にあたる場面では大相撲の土俵入りに似せた身振りを行う。月経と相撲を結びつける発想には多少の飛躍を感じる一方、女人禁制のしきたりなど因縁もありそうだ。チーム・チープロは前作同様、膨大なリサーチを行い、とくに民俗学的な言い伝えや習俗を紐解いて、女性の身体と四股の身振りを文脈化していく。「子宮と経血にひめられた霊的エネルギー」、「足踏みの魔術的な力」といった古来の考えが参照されるが、それらは儀式や芸能、踊りの発生が元来由来していたはずの、人間のフィクショナルな想像力に関わるものだろう。ダンサーは空中からエネルギーをかき集め、高々と足を引き上げては股を割って床に打ち付ける動作を繰り返す。あたかも人が四股を踏んだ最初の風景を見るようだ。月の満ち欠けと月経周期、波の音、穢れの謂われの因習的な発想も含め、民俗学や神話の語る身体観や世界観に「月経の踊り」への参照項として光を当てていく。その発想を腹の底に落とすように3人は四股を踏む。
作品は一方で、ダンサー自身の経験や記憶を、社会との関係にある個の身体の視点でみつめ、月経という事象の現実の側面を照らし出す。月経にまつわる矛盾、タブー、理不尽さ、不公正さなど、今日まで語ることが憚られ、直視されずにきた事柄のさまざまを、テキストに書き起こし、何項目もの「クエスチョン」の形で観客に投げかける。クエスチョンが言及する具体的な事柄――月経で仕事を休むことはずるいことですか?月経の話をするか迷うとき何を恐れていますか?生理用品の課税率を知っていますか?等々――からはチーム・チープロと内田、前田の4人が創作の過程で多くの対話を重ねたことが伺える。西本がパンフレットで触れているように、経験する女性、経験し得ない男性、女性同士の分かち合い得ない経験と、さまざまなレイヤーを含む対話の複雑さと厚みが、主題を扱う沢山のテキストとクエスチョンに反映されている。内田と松本による「月経日記」は、個人に還元されがちな事柄の当人による記述だが、これを上演において男性の前田が代わって読み上げていくパフォーマンスは、他の人の経験を自らの声で語り、経験の不/可能性に身を置く行為であるといえる。制作プロセスから公演までが開かれた対話と問いの場であったことは確かだろう。「月経日記」では内田、松本それぞれの習慣化された行動や、決して慣れることのない体感、独特の比喩で表現される痛み、いつもと違う食欲などが露わに語られる。特有の体感を携えて揺蕩いながら歩く京都の街の音、匂い、湿度、風景がロードムービーのような現実感を伴って記述される。民俗学の示すコスモスに対し、現実の身体が捉えるパースペクティブが月経の主題を別の面から照らし出している。
「知っていますか」「考えたことはありますか」と重ねて問いかけるクエスチョンの形式はそのまま私たちの社会のありようを炙り出しているだろう。後半には近代の合理主義が女性の身体への規制を強めた歴史が語られ、パフォーマンスは抵抗のモードに入っていくように見えた。と同時に、身振りが踊りへと移行していく瞬間の興奮を覚えた。土俵の外側では前田が変形した四股を踏んで床を鳴らし、土俵の中では松本が制御を拒む生き物のように骨盤をうねらせ、揺らし続ける。ここで土俵は女性の子宮の奥の想像された空間である。内田が加わり、女性二人のバトルのような共闘のような骨盤の振りが熱を帯びる。それまで一貫して外にいた前田が初めて土俵の内側に踏み入り、性差を越えた対話と共闘に臨むべく、三人は繰り返し四股を踏み続ける。
終盤に向けてレクチャーが参照するのは女性器を「世界の起源」と題した絵画、及びやはり民俗学から引いた大石を持ち上げる女性の大力への信仰である。ともするとどちらも女性の力を神話に回収しかねない発想で、両義的であるのだが、チーム・チープロはこの両義性を逆手に取り、むしろ転覆する力へと変える発想へ繋いで「月経の再魔術化」を謳う本作の要諦としている。「世界の起源」のさらに奥にある「赤い血に満たされた、重い重い世界の始まりの根源」を、「社会の規範を揺るがす力」で「持ちあげる」とするストーリー。私はこれを、子宮と月経にまつわる想像力を自らの身体に引き受ける意志、並びに、伝説の女の大力を今日の女性たちのエンパワメントの源とする希望、と受け取った。そして持ち上げた「重い根源」を「理不尽で気まぐれなダンスパートナー」とみなすとして、想像上の相手と踊る『京都イマジナリー・ワルツ』に接続する手腕に舌を巻いた。神話と現実、知識と想像力、謂われと対話、民俗のコスモスと個の身体のパースペクティブ、さまざまな切り口で主題を捉えたそれ自体が多面体のような舞台だ。リサーチ、テキスト、問いの形式、身体、ダンス、パフォーマンスを駆使し、自らの方法論として確立しつつあるチーム・チープロの存在を鮮やかに焼き付けたKYOTO EXPERIMENTの2年間だった。
(2022年10月9日、THEATRE E9 KYOTO)
<執筆者プロフィール>
竹田真理(たけだ・まり)
ダンス批評。関西を拠点にコンテンポラリーダンスを中心とした批評活動を行っている。KYOTO EXPERIMENT 2022ではフロレンティナ・ホルツィンガー『TANZ(タンツ)』評を毎日新聞大阪本社版に、スペースノットブランク『再生数』評をKYOTO EXPERIMENTウェブサイトに寄稿。