2026.10.15 (Thu)
10月22日~25日まで京都芸術センターで、山下 残&ニャー・トゥイェン with プロジェクト・デイ・サンの連名で上演される『giọt-giọt | しずくたち』。日本とベトナムの 3 都市で活動するアーティストが出会い、対話や詩、ダンスノーテーション(舞踊譜)を記録した「本」を編み上げ、そこから舞台作品を立ち上げるプロジェクトです。
今回は、ベトナム・ハノイを拠点に活動する詩人・作家で、独立系出版コレクティブ「AJAR Press」の共同創設者であるニャー・トゥイェンにメールインタビューを実施しました。
詩作はどのようにして始められましたか?また、現在詩人としてどのような活動をされているか、教えてください。
「どのようにして詩を書き始めたのか」と訊かれるたび、私はいつも違う答えを返したくなります。私は長年、多くの時間を死者について、あるいは死者とともに考えることに費やしてきました。愛する人たちが多く世を去った近年は、さらにその時間が増えました。幼少期の情景がよく脳裏に浮かびます。広い中庭の真ん中、果てしない灰色の空の下に座る父。秋風に揺れるその小さな背中。肌を走る寒気。立ち上る白い線香の煙の輪のなかで、晩秋の午後全体が波打つような感覚。さまよう魂への供物が並ぶ麦わらのむしろに、香の灰が斑点のように落ちていくのを見つめながら、ベトナムの詩人グエン・ズー(阮攸、1766–1820年)による『Văn tế thập loại chúng sinh(十類衆生を祭る文)』を父が詠み上げるのを聞いていました。ベトナムの家庭が毎年旧暦7月の満月(中元節)に行う儀式で読まれる祭文です。
今にして思えば、これが私が詩、より具体的には死者のための詩へと導かれ、詩を朗誦する習慣を身につけた原点のひとつだったのでしょう。父がうつむき加減で祭文に目を落とし、木魚のリズムに合わせて声を響かせるのを、私は静かに座って聴いていました。幼い日のあの午後のひととき。私は物悲しい空気を吸い込み、遠くから近づく雨の匂いを嗅ぎ取りました。あるいは、弔いの言葉から立ち上る、行き場のない魂や餓鬼たちの気配が、雨の予感とともに漂ってくるのを感じ取っていたのかもしれません。
遠い過去が蘇ります。チョークや小枝を握りしめ、ドアのそばや母の戸棚の周りをあてもなく歩き回る小さな女の子。初めての落書きをし、民謡を書き写し、親しい人や見知らぬ人の名前を書いていたあの頃。この質問に答えている今、私にはすべての始まりの場所へ戻るよう呼びかける声が聞こえます。それは母の声であり、文字や言語というものとの出会いであり、初めてのつぶやきであり、私が最初に口にした言葉、そして初めて引いた線なのです。
詩人としての今日の活動——より正確に言えば、私自身の現在の活動——は、何年経っても根本的には変わっていません。絶えず自分の言語と土地を学び直し、周囲から言葉を拾い集め、自らの言葉として声に出し、形作ることで命を与え、世に送り出す。毎日が新たな失敗の連続であり、新たな学びの連続でもあります。この学びのプロセスに終わりはありません。
繰り返される日々のなかに、目新しいことや刺激的な出来事はありません。仕事や義務の合間に縫うようにして、本や執筆に全身全霊を傾ける貴重な時間を設けること。それは、心を穏やかに保つため、あるいは少なくとも、これ以上嫌な自分になってしまわないためのよすがなのです。言葉とともに生き、言葉の内に生きること。その営みがもたらす、しなやかな強さを私は頼りにしています。自分の言葉を手放さず、急激にすり減ったり途中で立ち止まったりすることを自らに許さず、ますます恐ろしい場所になりつつあるこの世界と関わり続けること。心からの独白。よちよち歩きで、聞くことと話すことを学んでいるあの子どもが、今も私の中にいることを忘れないように。
トゥイェンさんが中心メンバーであるAJAR Pressは、どのように設立されたのでしょうか。
ハノイを拠点にジャーナルの発行や小規模な出版活動をしているとのことですが、活動において重視していることを教えてください。
AJARと歩んできた12年をここで振り返るには、少し紙幅が足りないかもしれません。夢のようでもあり、「詩的に生きる」という幻想のようでもありましたが、その日々は私の創作の営みにおいて、今やなくてはならないものになっています。AJARが誕生したのは2014年のことで、当時ハノイに住み、ジャーナリズムの仕事をしていたケイトリン・リースと私の出会いがきっかけでした。AJARはその後、さまざまな言語の実験的な詩を扱う、独立系の出版社へと成長を遂げました。AJARは、ひとつの共同の場になっていったのです。「場」というのが適切かはわかりませんが。私たちはハノイを拠点としながらも、特定の場所は持っていませんでした。決まったオフィスはなく、自分たちの家や街のカフェを転々としていたのです。
本を作るという夢、しかも美しいオブジェとしての本を作るという夢は、「半開き(ajar)」の精神のもとで実を結びました。それは、開いているとも閉じているともつかない扉のように、自らが開かれているという状態そのものを問い直すような、ひとつの隙間や開け口を創り出すということでした。ここでぜひ、ケイトリンの言葉を引用させてください。「AJARとは設立当初から、呼吸し、遊び、想像をめぐらせるための場を開くことでした。たとえ最初は、ほんのわずかな隙間であったとしても、です。それは、何かに反発したり対抗したりするための場所ではありません。詩人や詩を窒息させようとする窮屈な枠組みから距離を置き、それらと並行して存在する空間なのです」
AJARを始めた頃の私は理想主義的で、自分たちの手だけで何でも生み出せると思い込んでいました。ベトナムの詩が他の言語と対等に共存できる空間、つまり読者や作家、そして本が既存の枠組みの外にとどまり、イデオロギーの圧力に抗いながら詩的な交流を深められるようなささやかな場所を創り出せると、無邪気に信じていたのです。あのめまぐるしく活動していた日々のなかで、私たちは友人や家族の惜しみない支援と思いやりに支えられながら、バイリンガルの雑誌や詩集を制作しました。ハノイやサイゴンの街中のカフェでワークショップやジャンル横断的な朗読会、パフォーマンスを企画し、アートブックフェアに本を出展し、さらにはベトナムや東南アジア、そしてもっと遠方から作家、詩人、翻訳者が集う、非公式の詩のフェスティバルも開催しました。友人とつながり、協働で作品を作り、過ちを犯し、私たちは燃え尽きました。私たちのアイデアは、時の経過とともに育まれては頓挫し、浮き沈みを繰り返してきたのです。
自分たちの生活が変化していくにつれ、AJARとしての活動は減っていきました。ケイトリンはアメリカへ帰国し、「流動的」だったメンバーたちも文字通り別の場所へと流れ、それぞれ新たな仕事に就きました。(たとえば、大学時代からAJARに関わってくれていたとても精力的なメンバーのレッドは拠点を移し、「Project Đẩy Sàn(プロジェクト・デイ・サン)」という素晴らしいプロジェクトを共同で立ち上げています)。私自身の生活も揺れ動くなかで、本を作ることやコミュニティを基盤とした活動を企画することは、もはや一番の優先事項ではなくなっていきました。ここ数年は、ひとときの心の均衡を取り戻そうと、自分だけの世界に身を引いています。
本づくりという営みの根底において、私がAJARに抱く希望や問いは、ベトナム語が他の言語と出会うときに生じる希望や問いと、決して切り離すことができません。それはつまり、詩人たちやその詩的な交流のために、ささやかであっても実りある空間をいかにして創り出すか、ということです。ベトナムやその他の地域における「詩の出版」という広い文脈のなかにあって、この営みは、母語に対する一人の書き手としての献身という、極めて個人的なものです。しかしそれが存在し得るのもまた、私たちが志と責任を分かち合い、共同体として支え合っているからこそです。
自己資金で運営し、もっぱら協働やボランティアの力に頼るという、この型破りな詩の出版社のあり方を維持していくのは、決して容易ではありませんでした。次なる変化に向けて取り組む今も、私はこれまでの成果と失敗の両方から学び続けています。新たな役割と、広がっていく問い。そして、AJARがまったく新しい姿で生まれ変わるかもしれないという、手元に残されたささやかな希望とともに、私はAJARの新たな始まりを思い描いているのです。この先、そのことについてもっと詳しくお話しできる日が来ることを願っています。
*1: Human is a Half-Open Being’: An Interview with AJAR Press(「人間は半ば開かれた存在である」:AJAR Pressインタビュー)- ダオ・ストロムによるケイトリン・リース、ニャー・トゥイェンとの対話。2020年7月12日公開。
取得元リンク:https://diacritics.org/2020/07/human-is-a-half-open-being-an-interview-with-ajar-press/
AJARが手がけた書籍の一部
残さんとの対話の中で、ベトナム語の複雑さや美しさについてトゥイェンさんがお話されていたことが印象的でした。
トゥイェンさんにとってのベトナム語の魅力とはどのようなものですか?また、それはどのようにご自身の創作に影響していますか?
ベトナム語で文章を書くとき、私は決まって「tiếng」という言葉をめぐる問いに立ち返ります。この言葉は英語への翻訳を拒む、というよりも、たったひとつの明確な訳語に収まることを拒み、いくつもの解釈を求めてくる言葉なのです。
Tiếngは音である。
Tiếngは声である。
Tiếngは訛りである。
Tiếngは呼びかけである。
Tiếngは名前である。
Tiếngは言語である。
「tiếng」という言葉を想うとき、私はページの上に、昼の言葉と夜の言葉が幾重にも重なり合うパリンプセスト(重ね書きされた羊皮紙)を思い描きます。書かれているのが母語であっても、自分や誰かの手によって翻訳された言葉であっても変わりません。ここで、私の詩の一部を引用させてください。これは『giọt-giọt | しずくたち』にも収められている一節です。
私の昼の言葉は明瞭で生気がない、眠たげな話題について眠たげな言葉をいくつか呟く、もがく魚の卵を執拗に押し潰し、生き残った言葉たちは壊れてゆく、傷跡は膿み、傷跡は傷跡へと生まれ変わり、傷跡はさらに残酷な傷跡の生を生きる、傷跡はどう鳴くのだろう。
私の夜の言葉は真っ黒で、荒々しい、星はもう彷徨わない、「ばあ」と脅かすことももうしない、すべてが止まる、けれど私たちは互いの鏡を見てしまった、そしてすべての人が私を動かす、風が海を揺らす、塩が沈みる、堆積岩の上の塩気を含んだ波の舌は結末を必要としない物語の中でただ静かに佇む、途切れた会話を続けるために戻って来る者は誰もいない、私は打ち捨てられた歳月を包み、あの日からの記憶を壊さぬようにしまっておく、雨が来たあの時そしてあの子が呼んだあの時、君は、私がお気に入りの本を全部手元に抱え込んでいると文句を言い、そして私は、君がとっくに返したはずだと言い張るペンを返せと何度もせがむ。本の痕跡は頁ごとに青ざめてゆく、夜の音、昼の音、音は、どう鳴くのだろう、
(ニャー・トゥイェン『狂気を隠さないで』、英訳:ケイトリン・リース)
ケイトリン・リースの英訳では、「tiếng kêu thế nào?」というベトナム語の原文が、「how does a sound cry(音は、どう鳴くのだろう)」と訳されています。他にも訳の選択肢はあったなかで、あえてこう訳されたのは、「tiếng」という言葉に宿る、生々しい肉体的な振動を際立たせるためでした。「tiếng」はおそらく、私の詩を形作る「原初の素材」なのです。「tiếng」は、肉と肌、そして魂の響きを発します。自分がどこから来たのかを明らかにし、遠くへさまようよう誘っては、また故郷へと引き戻します。あなたが声を奪われてはいないこと、あなたの言葉が誰かに届いていることを、「tiếng」は教えてくれるのです。「言語は/発せられた言葉は/呼びかけは/声は、どう鳴くのだろう」
「tiếng」を自らの原初の素材と捉えながら、私は言葉の音や形、意味を通じて、その物質性をどこまで限界へと押し広げられるかを問い続けています。どうすれば言語を、手で触れられるようなものにできるのか。それはつまり、目に見える音を見つめ、テキストの姿に耳を澄ますことであり、音として響かせることのできる視覚的な詩のテキストを生み出すということです。言語以前の音を発することで、自らの言語をもう一度学び直すこと。それこそがサウンドテキスト、音声であり視覚的なテキストでもある私の詩の根底にある、ひとりの詩人としての初期衝動なのです。
今回の残さんとのコラボレーションでは、パフォーマンスに先立ってベトナムで本をつくりました。トゥイェンさんも詩作、編集などリードメンバーとして本の制作に関わってくださいましたが、制作のプロセスはいかがでしたか?
この本がどのようにして形になったのか、長くてとりとめのないお話をさせてください。それは、執筆という旅の途中で思いがけずもたらされた、贈り物のような出来事でした。なにしろ、たった一杯のコーヒーが、一冊の本と舞台作品へとつながっていったのですから。
残さんと初めてお会いしたのは、彼がリサーチのためにホーチミンを訪れたときのことです。私が2026年3月に進行中の博士研究を「Practice Research Symposium Asia」で発表するため、同地を訪れていたタイミングとちょうど重なりました。ハノイへ戻るフライトの前に、コーヒーを飲みながら話せたのはほんの数時間でした。プロジェクト・デイ・サンの友人であるレッドが、何かコラボレーションができないかとこの機会をセッティングしてくれました。この街ならではの、古いアパートを改装した隠れ家のようなカフェで、残さんは自身の旅のこと、地元のアーティストとのダンスワークショップのこと、本への関心、そして依頼された舞台作品に向けて本を作る計画について語ってくれました。彼はAJARのウェブサイトを見てくれていて、本づくりについて私に尋ねてきました。シンポジウム直後で疲れ切っていた私は、どこか上の空でした。自分がこれまでやってきたこと、AJARの活動を長くお休みしていること、そして、空間や音、視覚をテキストのなかに持ち込み、ひとつの展覧会のように鑑賞できるアーティストブック——文字とその響きを耳で感じられるサウンドテキストの本——を作りたいという願望について、私は語りました。また、私はパフォーマンスアーティストではないため、劇場のステージで上演することを前提とした本は考えていなかったとも伝えました。それでも、私は演劇に興味があり、本が持つパフォーマティブな可能性に惹かれています。本自体が自らの言葉をパフォーマンスするような本、つまりテキストのパフォーマンスとしての本です。お会いする前に残さんの作品について調べたり見たりする余裕がなかったこともあり、ある時点から私はただ、自分自身のアイデアの海を漂っているような状態でした。
すると残さんが、即興で少し踊るから、それを見ながらノートに何か書いてくれないかと提案してくれたのです。そのときは他にお客さんがいなかったため、カフェのスタッフに静かな部屋の一角を使わせてもらえないか尋ねると、応じてくれました(彼が踊っているあいだに、カップルが一組入ってきましたが)。私は彼の即興を見つめました。その身体は静止していると同時に動いているようでもあり、表情は凪いだ湖のように穏やかでした。彼の手先の動き、とりわけ、狭い空間を少しずつ這うようなつま先の動きに、枝葉の間を吹き抜ける静かなそよ風を感じました。彼の身体の動きには、私の美意識と響き合う、細やかな詩情が息づいていたのです。とはいえこの出会いのあと、私はこの日の体験と思考を置き去りにしてしまっていました。もしコラボレーションするとしても、具体的に何をすればいいのかまだ見当もつかなかったからです。
数週間後、残さんとKYOTO EXPERIMENT(KEX)の運営チームから連絡があり、オンラインでの打ち合わせを経て、彼のハノイ再訪が決まりました。目的は「互いを知り合うこと」。そして、彼の舞台作品の一部となる本を作る可能性について、さらに深く語り合うためでした。 私たちが再会したのは、7月上旬です。今度は日本人の通訳の方と、AJARの友人であるガンも一緒でした。ここで私たちは正式に、コラボレーションへ向けて踏み出すことを決めたのです(とはいえ、それが具体的にどんな形になるのかはまだ見えておらず、その後の時間はもっぱら、プロジェクトの段取りと、紙や本の形式に関する初期のアイデアを交わすことに費やされました)。
ともに過ごしたこの週末、私たちが決めたのは、コラボレーションのコンセプトと、日本語とベトナム語、それぞれのタイトルでした。とはいえ、その時点ではまだ具体的なものは何も形になっていません。私は、頭の中で少しずつ思い描いていた『Thủy âm』という連作詩について話しました(この仮題はのちに『Aquatic utterances』と英訳され、漢字で『水言』と表記されることになります)。これは、漢越語で「水」や「始まり」を意味する「thủy」と、「音」や「母音」を表し、「tiếng」と同じく「言語」も指し示す「âm」を組み合わせた言葉です。この組み合わせは、言語の起源へと遡ろうとする私の執念と、その不可能性へのこだわりを引き継いだものでもあります。一方、残さんが提案してくれたのは「しずくたち」という言葉でした。あえて複数形にすることで「しずくの集まり」という意味を持たせた、遊び心のある日本語です。水とのつながりは、まったくの偶然でした。「たしかに私の詩には、たくさんのしずくが滴っているな」と、私は心の中で思いました。そこで私は、液体のひとしずくである「giọt」を詩的な対象として視覚化する、『giọt-giọt』というベトナム語のタイトルを思いつきました。ベトナム語で「giọt-giọt」と言葉を重ねると、豊かさや音、そして動きが伝わってくるのです。残さんと別れる前には、お互いの作品をさらに深く知るために、交代で一時間ずつインタビューも行いました。私はこのやり取りがいつか、本の一部になるのではと思っていました(実際にはなりませんでしたが!)。
その後、このパフォーマンスブックの編集を主導する立場となった私は、新たな試みに挑むことにしました。ページの上でも舞台の上でも、詩と実験的なダンス作品が対話できるような本を作ろうと決めたのです。私はこれまでもずっと、詩というものを、音や文字、言葉が織りなす生きた身体として思い描いてきました。ページの上で呼吸し、踊り、やがて物理的な空間のなかで肉体を獲得していく存在です。だからこそ私たちが作るべきは、単に読まれるだけの本ではなく、それ自体がテキストのパフォーマンスとなる一冊、つまり、行為を引き出すことのできる作品でした。こうして私は、抽象的な概念から、具体的な手触りを持った素材に至るまで、「tiếng」という言葉が内包するあらゆる次元を、この詩的でテキストを中心とした本の核心に据えることにしたのです。
こうしてメールでのインタビューにお答えしている今、残さんとプロジェクト・デイ・サンとのコラボレーションの第一段階が実を結び、ついに完成した本が私たちの手元に届きました!この本の中心となるのは、私がタイプライターで新たに打ち出したバイリンガルの連作詩と、長らくお蔵入りになっていた原稿『vị nước(水の味)』から選び出した古い詩たちです。『giọt-giọt | しずくたち』は、全体を3つのパートに分け、それぞれをベトナム語の音節をつくる要素(頭子音、母音、末子音)に呼応させるというコンセプトで構成しました。そして、上がり下がりを繰り返す声調の動きに沿って、作品の輪郭が浮かび上がるようにしています。この本には、そうした私の詩やスケッチ、タイプ打ちの作品のほかに、残る2つのパートがあります。ひとつは、残さんが2026年7月にホーチミンで現地のアーティストたちと行った実験的なセッションから生まれた舞踊譜です(私はこのワークショップには参加していません)。そしてもうひとつは、遠い過去から蘇ったテキストです。個人的な宝物であり、死者の記憶でもあるその文章は、残さんの祖父である山下義行氏が執筆し、1942年に満州国の奉天で吐風書房から出版された小説『北を守る子供たち』からの抜粋です。
はっきりさせておきたいのですが、私はこのサウンドテキストの詩をかなり長いあいだ温めていたものの、それが残さんとのコラボレーション作品の一部になるとは夢にも思っていませんでした(タイプ打ちの詩が誕生した経緯は、本づくりにまつわる、また別のお話になります。さらに言えば、残さんと一緒に活動を始めた当初は、私自身が実践を通して行ってきたリサーチをこのコラボレーションが進展させることになるとは想像もしていませんでした)。このコラボレーションが、形態や分野、言語、文化といった枠組みを越えてさまざまな概念を行き交わせながら、発話の物質性や言語の微細な構造をめぐる私の探求と響き合うものだったのは、幸運なことでした。また、メディアの消費や絶え間ない暴力に支配された世界において、実験的な芸術や詩がいかにして意味を持ち得るか、そしていかにして個人的にも集団的にも私たちの感覚を呼び覚ますことができるかという、私の問題意識も反映されています。パフォーマンスについては、ここではまだ語らないでおきます。10月に上演されますが、私自身にとってもまだ未知の部分が多いからです。
この出版を実現するため、夏の間は昼夜を問わず作業に没頭しました。そのプロセスそのものが真のコラボレーションと呼ぶにふさわしく、私たちに実り豊かな変化をもたらしてくれました。互いの考えが偶然にも一致したことや、AJARの素晴らしい仲間たちやプロジェクト・デイ・サンのチーム(特にガン、タイン・サン、レッド)とコーヒーを片手に過ごした途方もない時間を思い出します。真夏のある週末には、残さんがハノイまで飛んできて私たちとテーブルを囲み、賑やかな笑い声を交えながら、紙の種類や言葉の配置、画像を一つひとつ丁寧に確認してくれたこともありました。残さんとのワークショップから舞踊譜を提供してくれた地元のアーティストたち、厳しい締め切りのなか、ベトナム語、英語、日本語の3ヶ国語でテキストを見事に花開かせてくれた素晴らしい翻訳者たち、そして、数え切れないほどのテスト印刷に付き合ってくれた協力的な印刷会社の方々に、心から感謝しています。また、KEXチームと国際交流基金の多大なるサポートがなければ、この本の実現はあり得ませんでした。深い感謝の意を表します。そして、コーヒーのマグカップ、街中で私たちの仮設オフィスとなってくれたカフェ、長いこと放っておかれた私のタイプライター、紙、言葉、辞書、さらに、あの濃密な作業期間を支えてくれた友人や家族に、静かに「ありがとう」と伝えたいです。この本はまさにひとつのコレクティブです。未知の世界へと落ちていく数多のしずくたちが、美と言語への共通の想いによって(手作業で)束ねられているのです。
そして今、私たちは「パフォーマンス」という、もうひとつのまだ見ぬプロセスを待ちわびています。
これから京都でパフォーマンスをつくっていくにあたり、期待していることや意気込みなどをお聞かせください
京都でのパフォーマンスに参加するからには、この「まだ見ぬもの」にそのまま身を委ねようと思っています。実験的なプロセスになるでしょう。さまざまな形を持った言語の手触りを、どうやって舞台の上に引き出すか。詩的な響きや声の重なりを、どう身体に宿らせるか。そして全5回のセッションを通して、環境が変わるごとに動きの言語がどのように伝わっていくのか。そうしたことを探求していくプロセスです。観客の皆様にも、ともに場をつくる存在として加わっていただき、これらの言語をともに聴き、ともに観て、ともに読み、そしてともに感じ合える時間を心待ちにしています。
京都の街を歩き、初めて鴨川を目にするでしょう。出会いという特別な贈り物は、私にとって大切なものです。都市を知り、その土地やそこに生きる人々から学ぶことは、いつだって私の実践に豊かな糧を与えてくれるのです。
2026年9月26日 ニャー・トゥイェン
ニャー・トゥイェン
ハノイ(ベトナム)
ニャー・トゥイェンは、ベトナムのハノイを拠点に活動する詩人、作家、編集者。20年間にわたり、執筆と本の出版に注力しながら、朗読会や上演、詩の交換、交流にも活動を広げている。何冊もの著作があり、英訳されたものに『呼吸する言葉、別の場所の生き物』(原題『 từ thở, những người lạ』、2015年)、『(非)殉教者ーベトナムの詩の世界で(自ら)消えた存在』(原題『 bất\ \tuẫn: những hiện diện [tự-] vắngtrong thơ Việt』、2019年)、『狂気を隠さないで』(原題『đừng giấu cơn điên』、2024年)がある。2014年には、オンラインと紙面上で詩の場所を創り、時には小さな集まりも開催するバイリンガルな小規模出版活動として、AJARを共同設立し
た。彼女の作品は、「Asymptote」「Cordite Poetry Review」「The Margins」「WordsWithout Borders」「Jacket2」「Gulf Coast」「The Kenyon Review」「Modern Poetryin Translation」といった専門誌に掲載されている。また、詩の作品は英語、ドイツ語、オランダ語に翻訳されており、様々なカフェやアートスペースで朗読上演された。また、アジア太平洋地域やイギリス、ヨーロッパ各地の国際フェスティバルにも出演している。2022年のロッテルダム国際詩祭と 2023年 DAAD(ドイツ学術交流会)ベルリン芸術家プログラムでの受賞歴を持つ。現在は、RMIT大学(オーストラリア)での実践研究に参加するとともに、次の詩集「水の味覚」(原題「vị nước」)の刊行を待っている。