2026.9.7 (Mon)
言葉と身体の関係を追求する独自の方法論でコンテンポラリーダンスに新たな視座を切り拓いてきた山下残。代表作『そこに書いてある』は観客一人一人に手渡された100ページの本をめくりながら舞台上のダンサーの動きを鑑賞するユニークな手法で知られる。作品ごとにダンスと振付にまつわる根本的な問いを投げかける山下の姿勢は、日本のダンスシーンに特別の存在感を示してきた。
その山下はアジアのアーティストとの協働においても豊富な経験者としての顔を持つ。このたびKYOTO EXPERIMENT 2026でベトナムのアーティストと新作のクリエーションに臨む山下に、振付家としての今日までの歩みとコロナ禍を経て試みる新たな技法、創作につながる家族の記憶やベトナムで進行中の本の作成、リスクをともなう出版事情など、多岐にわたるインタビューを実施した。聞き手はKYOTO EXPERIMENTの共同アーティスティック・ディレクターでパフォーマンスグループcontact Gonzoとしても活動するアーティスト、塚原悠也が務めた。4回に分けてお届けする。(全4回の4回目/その3を読む)
(構成・文:竹田真理)
4.囲碁、本、ベトナムでの挑戦
【創作のルーツ:父の囲碁/記号の切り貼りと祖父の「隠された本」】
塚原:このたびKYOTO EXPERIMENT(以下、KEX)で発表される作品について聞いていきたいと思います。先ほど囲碁の話が出てきましたが、残さんのお父様は囲碁の雑誌を出版されていたそうですね。そのことが残さんの作品づくりに影響を与えているのではないかということですが。
山下:父は囲碁の編集の仕事に携わっていました。新聞のスポーツ欄の下の方に、名人戦とか本因坊戦といった新聞各紙の主催するタイトルの観戦記(勝負の進行)が載りますが、父はその棋譜を作って記事にして連載もしていました。当時はコンピューターなどない時代ですから、もう全部、白と黒の囲碁の記号や譜面を細かく紙で切って、机の上に並べて切り貼りしながら毎日原稿を作っていたんです。言葉や記号、図面、図表が、切り貼りされて、自由に編集されていく様子を小さい頃から家で見ていました。その感覚は僕の中に染みついているんだと思います。父の机の上を見て「これ落書きなんや」と思って、切り貼りされている譜面に落書きしたり色を塗ったりして遊んでいると、厳しかった父が、なぜか笑って喜んでくれたんですよね。そうした言葉や記号を編集していく感覚は、自分の中に原点として刻み込まれている気がします。
塚原:『そこに書いてある』で作成された本の発想の原点が解き明かされるような貴重なお話ですね。今回の新作は残さんの発案で、新たに本を出版することを中心的なコンセプトとしていますが、お父様の囲碁の編集のお話と合わせて、お祖父様の話も伺いたいと思います。戦時中に南満州鉄道株式会社が運営した図書館に勤務され、小説も書かれていたそうですね。
山下:DANCE BOXが大阪にあった当時、アジコン以前の1999年に20分の作品をDANCE BOXと横浜のSTスポットで発表する機会をいただきました。ダンサーとして作品の素材を集めようと、家族の歴史やアイデンティティを探っていた時期でした。そんな中、どうやら祖父が何か本を書いていたらしいと知ったのです。しかしなぜだか親戚はその話をしたがらない。親戚の一人が祖父の本を持っていると聞き、訪ねていって見せてもらったのですが、なるほど、戦時中、日本が朝鮮半島や中国大陸へ勢力を拡げ、鉄道、図書館、劇場、と次々に建設した近代都市インフラを管理運営していた、その状況下で祖父は働きながらいくつか小説を書いていたようなのです。僕が読んだその本は子供向けに戦争を翼賛するというもので。生活を切り詰めて憎き英米と戦おうといった内容の戦争賛美だったのです。戦争が終わり、それらはすべて焼却処分された。けれど親戚の一人、僕の叔母にあたる人が中国からの引き揚げ船の荷物に一冊だけ紛れ込ませてこっそり日本に持ち帰ってきた。叔母がずっと隠し持っていたその本を見た僕は、あ、これはすごいな、貴重だなと思い、コピーをとって自分の手元に置くことにしました。自分の祖父が言葉を使って作品を書いていた――内容についてはおおっぴらにできるものではないですが、その事実が僕の中に重く響きました。DANCE BOXとSTスポットでの公演では、祖父と自分自身を重ね、『想い出』とタイトルをつけて発表しました。作品としては素材をただ並べただけで、アニメの戦闘シーンの音楽をサンプリングして響かせるとか、ガスマスクをつけたダンサーが舞台に出てくるとか、戦争にまつわる現代のイメージを用いて、戦時中の祖父の執筆したストーリーを朗読するという内容でした。
塚原:歴史の波に飲み込まれ、今日の残さんのもとに届いた「本」だったのですね。
山下:今回ベトナムに行ってさまざまなアーティストとコラボレーションをしますが、山下の踊りを観察し記述してほしい、詩でも絵でも記号でもいい、本にするために協力してほしいと申し出るときに、ただ単に仕事として依頼するのではなく、心からの熱意を訴えないと通じないこともあります 相手に疑問が生じたとき、なぜダンスなのに本なのか、ダンス作品を作るのに本に執着するのかといったことを、一から丁寧に自分のストーリーとして話したい。未来の創作に向けた方法論で語るよりは、自分の父や祖父にさかのぼって話をした方がハートで伝わるだろうと。他者の力を借りることをまじめに考えた時、自分のルーツを共有することに至りました。何かしらの形で今回の作品に挿入されると思います。
【ハノイでの出会い、AJAR Pressと検閲のリアル】
塚原:さて、そのようにして現地でリサーチする中で、AJAR Pressというハノイ拠点のインディペンデントな出版チームと出会いましたね。中心人物であるニャー・トゥイェンさんにコラボレーターとして創作に入ってもらうために、このたび残さんはハノイに行かれて、話をされたと思います。その際の印象や、作品がどのような方向に進みそうかといった見通しについて伺えますか?
山下:そうですね。これはここでお話ししていいことなのか悩むところですが、ベトナムは報道の自由度がかなり低い。北朝鮮より低いといわれています。そういう状況下でニャー・トゥイェンさんはインディペンデントな出版社を運営しつつ、自身も詩人として活動している。僕としては闘う詩人、闘う女性、ベトナムで規制と向き合いながらレジストするアーティストというイメージを情報として持っていましたし、実際にお会いしても強くそのように感じました。初めてホーチミンでお会いした時、闘う人ならではのもの静かな佇まいを感じ、この人と何かコラボレーションしたいという圧倒的な願望が湧いたんです。先日改めてハノイにあるニャー・トゥイェンさんの拠点でじっくりお話しすると、逆に本人は、実験的ではあるけれど政府に反抗するための詩ではない、といった方向に話をもっていく。僕が意識的に政治的な方向に話を向けようとしても、ことごとくずらされるんです。むしろ詩というものは物質的に言葉そのものを扱うのであって、さまざまな形でベトナム語の面白さ、翻訳の魅力を追求するのだと。僕にとっての囲碁みたいなもので、ニャー・トゥイェンさんにとっては言葉が子供の頃からの遊び道具だったようなのです。むしろベトナム語の成り立ちや、かつては中国語と漢字が使われていたことなど、言語や文化、歴史について熱心に話してくれました。これから京都でクリエイションする中で、なぜAJAR Pressを立ち上げたのか、ベトナムの出版困難な状況でいかにセンサーシップ(検閲)と向き合うのか、その辺りを探っていけたらと思っています。
塚原:時代や地域によって人々の表現に対する政治の介入の深度や方法は様々です。戦時中の日本はもとより、その後現代においても、例えば報道などを営利企業が担うことで起こる種々の問題点に関しても、これまで多くの指摘があるのは事実です。この作品はそういった事柄も作品の一要素として取り込んで行くものなのでしょうか?
山下:作品自体は、出演者の体と声と、観客に配る本とがまず重要な要素として存在します。ベトナムで出来上がった本と、その場のサウンド、光、いろいろな媒体をただ同列に配置することだけを考えています。その際、センサーシップといった限定的なテーマに絞って作品をまとめることはせず、クオリティのある一つ一つの素材で場を構成するように演出、振付をするつもりです。内容に関しても、異なるカルチャーに属する人物が舞台上で対面するといった、対話型やレクチャー形式をとることは考えていません。もし検閲など政治的なテーマにフォーカスするとしたら、ニャー・トゥイェンさんにアフタートークなど別の場所で話を聞く機会を持ってもらうのがいいと考えています。実は、もうすでに本をつくり始めていまして、それをどう日本に運ぶかについて現地とやり取りしているのですが、ここにもセンサーシップが、つまりどこかで止められる可能性があって、それを潜り抜けるにはどうしたら、といった議論を現地のコーディネート担当のグループと続けているんです。そのプロセスの中のいろんなやりとりが今、面白い状況なんですよね。それをなんとか記録して、ドキュメンタリーとして別枠で発表するのも面白いかもしれませんし、この先、ベトナムやアジア各国とのコラボレーションのための一翼になるのではとも思っています。
塚原:ベトナムから日本へ本を運び込むプロセスは、旧満州からお祖父様の本を持って帰ってこられた山下家のファミリーヒストリーとリンクして鳥肌がたちます。作品の中で直接取り上げることはないとしても、本を作ることがメインとなる本作において、表現の自由への規制という状況は作品の背景として観客の皆さんに知ってほしいですね。
山下:そうですね、KYOTO EXPERIMENTという国際的な場ですから、国によって出版や表現に対する規制が存在することはオーディエンスも分かっておられると思います。「ベトナムで本を作りました」というだけでは、なにか趣味の話に終始してしまうようで物足りないと思うのです。もう少し踏み込んで、ベトナムで本を作ることの困難さだとか、それを日本に持ち運ぶ危うさだとか、その中でじゃあ日本はどうなのかということも含め、地域によりさまざまなレベルで表現の自由や出版の自由が規制される政治状況のある中で国際的なコラボレーションを行うことの意味を、共に考える場になればと思います。
(2026年6月26日 オンラインにて実施)
執筆者プロフィール
竹田真理(たけだ まり)
ダンス批評。関西を拠点にコンテンポラリーダンスを中心とした舞台芸術の取材・執筆・批評に携わる。毎日新聞大阪本社版、批評誌「シアターアーツ」「Act」等に寄稿。国際演劇評論家協会会員。