読み物

【インタビュー】ティアゴ・ロドリゲス(後編)

2026.10.1 (Thu)

Photo by Christophe Raynaud de Lage

Photo by Christophe Raynaud de Lage

10月3日からいよいよKYOTO EXPERIMENT 2026が開幕!
オープニングを飾る演目のひとつ、『By Heart—心で覚える』を手がけるティアゴ・ロドリゲスのインタビューをアヴィニョン演劇祭のウェブサイトより抜粋してご紹介します。
後編では、本作を通して立ち上がる予測不能な「コミュニティ」や、そこから見えてくる演劇の特性について語っています。また、『By Heart—心で覚える』が、自身の演劇観やこれまでの活動を伝える「名刺」のような作品であることについても話しています。
ぜひご一読ください!
(前編はこちら)


『By Heart—心で覚える』では、私たちの目の前で「作品ができあがっていく」ようなところがあり、その場に予期せぬコミュニティが生まれることを体験します。

舞台上には椅子が10脚あります。上演は、10人の観客がこの椅子に座り、私が11人目となるところから始まります。文学作品の力によって、10人は少しずつ変化していきます。心で覚える試みが目に見える形で展開されます。詩を心で覚えることで一時的なコミュニティが生まれるというのは確かにその通りかもしれませんが、そこには明確な存在としての集団も立ち上がります。その集団性は、演劇の変化を起こす力を求めるラブレターでありますが、その力を証明するものではありません。この作品の上演を始めてから、私は同じことを繰り返していると感じたり、俳優として飽きを感じたりすることは一度もありません。10人を従わせるということは一切なく、一緒に何かに取り組むという体験です。上演が展開していく中で、詩を心で覚えるということに何かしらの責任が伴うということをひとりひとりが感じるようになります。『By Heart—心で覚える』は集団的な挑戦だといえる作品で、私はいつも弱さと新鮮さが入り交じった感覚で体験しています。詩を覚えることにより、私たちは演劇という行為の予測不能な性質を経験します。そして、詩の力を借りて、上演が創られていく過程で、記憶のはたらきについて知るという希有な経験をします。

『By Heart—心で覚える』は、ご自身のアーティストとしての進化の中でも重要な位置を占めています。この作品は、ウィリアム・シェイクスピアのソネット(十四行詩)を覚えることを通して自画像を描いていると言えないでしょうか?

この上演では、詩、演劇、全体主義的体制と向き合う作家の表現の自由など、いくつかの異なるレイヤーが折り重なっています。何かを心で覚えようというのは政治的な試みではありません。けれども、文学的にも、老化に対して生物学的にも、抵抗の道具となりえます。いずれにせよ、これまでそうであったように未来はあり、それは最も絶望的なときでも変わらないということの証明となります。私の仕事を知る多くの人は冗談交じりにこう言います。「ティアゴ・ロドリゲスの『By Heart—心で覚える』を観れば、他の作品を観る必要はない。全部その中にあるから!」。その通りかもしれません! もしも自分のパスポートに履歴書的な情報を書き入れるとしたら、『By Heart—心で覚える』を載せます。この作品には、私が国境通過を許可されるのに必要な情報がすべて記されています。そこには私が自分自身に投げかけている問いがすべてあり、私が演劇についてどのように考えているかが表現されています。私は、演劇は死者と会話することを可能にすると言ったハイナー・ミュラーに賛同します。私は上演のたびに、レイ・ブラッドベリやボリス・パステルナークだけでなく祖母や父とも会話します。そして、幸運なことにウィリアム・シェイクスピアとも一緒に仕事に取り組むことができます。このやり取りは、二方向で行われます。ひとつ目は、見えないけれどもはっきりと認識可能なものです。それは、私の中に本への愛を植え付けてくれた祖母の振る舞いです。ジョージ・スタイナーのような研究者も然りです。ひとつ目は、存命か亡くなっているかに関わらず、また文学作品かどうかに関わらず、先祖から伝わってくるものです。ふたつ目は、観客、異なる世代の人たちに向けられます。そこには弱さによるつながりがあり、舞台上で、劇場内全体で観客との共犯関係を必要としています。私の作品の核は、演劇の予測不可能性、演劇のリアルな、しかし幸運をもたらす危険性を信じていることにあります。私は探し、引き金を引き、そうすることで舞台上に大いなる自由が立ち上がります。それはテキストへの深い敬意と、書かれたものへの尊敬と俳優の自由という、ありそうにない組み合わせを通して行われます。この不安定さのため、場合によっては『By Heart—心で覚える』の上演はうまく進まないこともあるかもしれません。そこには、「上演」のたびに違う体験があります。その意味では、私が演劇を実践する方法のマニフェストだと言えます。私のキャリア、私の舞台に関するビジョンを伝える名刺のようなものです。詩的、政治的、個人的なことが混在するのですが、時には個人的な部分を際限なく探求してしまったこともあり、私はそのことをよくわかっています。申し訳ない! しかし『By Heart—心で覚える』では、観客の前で展開される10人の人たちとの道のりすべてが、作品の芸術的、政治的側面を最も高レベルの親密さに引き上げてくれます。その意味で、この作品の終幕はアーティストが自らの魂をさらけ出す最も強烈な方法であると言えます。私は、毎回このことを再発見していて、何が起こるのかを自分が忘れていることにびっくりします。自分の感情を抑えることは困難です。

インタビュー:マルク・ブランシェ
英訳:ガエル・シュミット=クレアシュ
日本語訳:齋藤 啓

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